嵯峨天皇「春日遊猟、日暮宿江頭亭子」
> 三春出猟重城外 四望江山勢転雄
> 逐兎馬蹄承落日 追禽鷹翮払軽風
> 征舟暮入連天水 明月孤懸欲暁空
> 不学夏王荒此事 為思周卜偶非熊
これは恐ろしく良くできた詩だ。
平仄も押韻も対句も完璧。
しかも、天皇なのに乗馬して猟をしている。
嵯峨天皇が実際にこういう人であったかどうか。
少なくとも嵯峨天皇は日本の大君ではなくて中国の皇帝を理想としていた。
唐の皇帝を。それを唐詩にした。
大和朝廷の王権というのは、ま要するに、天武天皇くらいに固まったのである。
天武天皇から嵯峨天皇まではわずかに150年くらいしかない。
当時の日本国というのは若い国家だった。
この頃はまだ万世一系とかそんなことは関係なく、
日本は、
アジアによくある、生まれては滅んでいく王朝の一つにしかすぎなかったのだ。
南北朝のころになってやっとなんか日本という国は特殊だな、ということに北畠親房あたりが気づいたのに過ぎない。
嵯峨天皇は中国式の完全に新しい国家を作ろうとしたのだろうと思う。
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