光と風と夢

「光と風と夢」これはもとは「ツシタラの死 — 五河荘日記抄」という名前だったのだが,編集者に言いくるめられてわけのわからない名前に変えたのだそうだ.中島敦も当時駆け出し作家で,強情が張れなかったのか,かわいそうなことだ.「光と風と夢」じゃあまるで少女漫画か西部劇か.中島にしては珍しく長編で,タイトルがわけわからず,また冒頭も実に退屈だから,誰もが読むのは後回しにするのではないか.しかし,中島の作品の中では一番作家の「地」が出た,面白い作品だ.「李陵」「山月記」などは,ちょっときどった娯楽短編に思えてしまう.そういうふつうの中島敦体験を一通り済ませてから読むのも良い.

「ツシタラ」というのはサモア語で「物語作家」というような意味らしい.スティーブンソンというイギリスの作家がいる.代表作は「宝島」という冒険小説と「ジキル博士とハイド氏」,そういわれれば誰でもわかるに違いない.彼は大変有名になったのだが,体が弱いたちで,熱帯以外では喀血してしまうので,サモアに移りすむことにした.で,そのすむところに五つの川が流れているので,「五河荘」.スティーブンソンの日記と,中島敦のナレーションが交互に繰り返されるという斬新な構成.オリジナルの日記が実在するのか,中島の創作なのかは不明.最初は実にのんびりとした南の島の描写が続くが,次第にきな臭い話に発展する.当時サモアには王が君臨していたが,ドイツ,イギリス,アメリカの三国の勢力が手を伸ばしてきており,その中でも植民地後発のドイツが露骨な砲艦外交で干渉をしてくる.イギリスとアメリカが反発し,サモアはドイツが支持する傀儡王政府と,英米が支援する反乱軍の戦争に発展,三国の艦隊があわや会戦というところで,台風が襲来し,ほとんどすべての戦艦が沈没してしまう.スティーブンソンは政治嫌いながらも,白人の圧制に反発し,土人の王や副王,ドイツの裁判官などの間でさまざまな調停役を買って出る.で,なんだかんだがあったあと,かの地でスティーブンソンは死去し,山の頂上に土人らによって手厚く葬られる.というストーリーなのである.簡単に言えばサモアにスティーブンソンが来てから死ぬまでの日記風の話なので,「ツシタラの死 — 五河荘日記抄」というわけだ.

日本の南洋の委任統治領はもともとドイツ領で,第一次大戦で日本が火事場泥棒的に奪い取った.中島は南洋庁役人としてパラオに療養をかねて赴任する.中島はスティーブンソンと同じ喘息持ちの作家なのである.結核は当時 fatal な病であった.事実彼は一時帰国後まもなく死んでしまう.世は日中戦争,日独伊三国同盟の殺伐たる時代.新たな世界大戦の到来を感じつつ,自分の境遇をスティーブンソンに重ねて,白人,土人,植民地,帝国主義やら,また,日本や自分自身がこれからどのように行動すべきかということを考え,それを訴えたかったのに違いない.わたし的には非常に面白い.「パパラギ」よりももっと広く,少なくとも日本人には知られて良い作品だと思う.大東亜戦争前夜,日本人は国際感覚が麻痺していたととかく考えられがちだが(司馬史観と言うこともあるようだが),そんなことはなく,中島のような正常な物の見方をする人たちも少なからず居たのだろう.

中島敦はともかく非常に面白い.全集を熟読してみたい.「ツシタラの死」は芥川賞候補となり,選考委員の川端康成ただ一人が絶賛したという.誰か他に受賞者が居たのではなく,「該当者なし」で落とされたのだ!確かにこの作品は非常に新しくかつ変則的で,ふつうの日本の純文学とはかけはなれている.直木賞にもなりにくいかも.「李陵」が長編小説だったら,中島はやすやすと芥川賞を取ったかもしれない.しかし,中島は自分の書きたいことを自由に書きたかったのだ.

「まんだら屋良太」の中で,円生はつまらん,談志は最悪,林家三平は落語が文学的芸術的に堕落していくのをくい止めた最高功労者,という話が出てきた.これは作者の畑中純の見解だろうか.私は円生が一番面白いと思うが.談志は…ようわからん.

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