鬼坊主の女

私は「鬼平犯科帳」は池波正太郎の原作を、流し読みではあるが一応全巻読んでいて、さいとうたかをのマンガも機会があれば読むようにしているのだが、そのマンガに「鬼坊主の女」というものがあった。原作には見覚えのない話なので(和歌が題材になる話を私が見落とすわけがない)、さいとうたかをのオリジナルかと思ったのだが、調べてみると、もとは「鬼平犯科帳」とは直接関係ない「にっぽん怪盗伝」という、池波正太郎の短編集があり、その中に収録されていたものらしい。「にっぽん怪盗伝」は audible にあったので聞いてみた。

ウィキペディアの鬼坊主清吉によれば、鬼坊主と呼ばれた盗賊は実在していて、獄門にかけられたときに辞世の歌

武蔵野に 名もはびこりし 鬼あざみ 今日の暑さに かくてしをるる

を詠んだという。これは和歌としてみて、まずまずの出来だと思う。意味も明確だ。1805年6月27日のことだというから、長谷川平蔵は既に死に、松平定信も老中を退いている。旧暦文化2年6月27日をグレゴリオ暦に変換すると1805年7月23日となるから、夏の暑い盛りだったことになる。オニアザミが咲くのは6月から9月。

この話は落語『鬼あざみ』になっていて、その中では

武蔵野に はびこるほどの 鬼あざみ 今日の暑さに 枝葉しおるる

となっている。池波正太郎はこの落語を元ネタにして、「鬼坊主の女」を書いたらしい。

盗賊の頭、鬼坊主は捕らえられたが、子分に命じて、先に盗んで隠しておいた金を使って、辞世の歌を代作してもらって、それを獄門のときに詠じて、役人を驚かせたということにしたのである。この「鬼坊主の女」では辞世の歌は

武蔵野に 名ははびこりし 鬼あざみ 今日の暑さに 少し萎れる

となっている。これを鬼平犯科帳ものに最初に仕立て直したのはテレビドラマで、1970年5月19日放送の「鬼坊主の花」であったという。さらに1993年に再度「鬼坊主の女」としてドラマ化され、2003年にはさいとうたかをによってマンガ化されたらしい。

このマンガでは鬼坊主と一緒に磔にされた手下二人も代作の歌を詠み、しかもこの歌を代作したのが長谷川平蔵やら木村忠吾であったことになっている。

武蔵野に 名を轟かせし 鬼太鼓 罰は受けれど 音のさやけき

商売の 悪も左官の 粂なれば 小手は離れぬ 今日の旅立ち

浄瑠璃の 鏡に映る 入れ墨に 吉の噂も 天下いちめん

こうなってくるともう和歌ではない。狂歌としても、あまり良い出来とはいえない。池波正太郎の原作まではなんとか和歌らしい様式と体裁を保っていたが、おそらく和歌というものの良し悪しのわからぬ人の手によって、テレビドラマ化、マンガ化する段階で誰かが適当におもしろおかしく改作したのだろう。

こうして並べてみると、やはり鬼あざみ清吉本人が詠んだ歌が一番優れているように見えるのだが、あまりに出来過ぎているので、人から人に言い伝えられるうちに上品に洗練されていったのではないかと思われる。あるいは、歌の内容からして、本人が詠んだというよりは、獄門にされた清吉を見た誰かが詠んだ歌にも見える。やはり無学文盲な盗賊がいきなりこのレベルの和歌を詠むということはちょっと考えにくい。ちょうど大田南畝が蜀山人の号を使い始めた頃に当たるから、彼が詠んだとしてもおかしくはない。大田南畝はれっきとした幕臣なので、彼が盗賊に同情的ともとれる歌を詠んではまずいので、盗賊本人が辞世で詠んだ、ということにした、としたらなかなかおもしろいかもしれん。

また、しょせんテレビドラマやマンガを見る人、或いは作る人々には、和歌のよしあしなどわからないのだなという気にもなる。盗賊が辞世にまずい狂歌を詠んだという演出にはおあつらえかもしれんが。

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