真淵翁添削ノ宣長詠草

山居梅

かくれがや うめ咲くのきの 山風に 身のほどしらぬ 袖の香ぞする

此言、一首に言はば言ひもしてん。一句につづめては今俗の俳諧言也。

古寺落花

夕あらし はつせの花や さそふらん そでにちりくる 入相の鐘

歌ともなし

花埋苔

庭のおもは 桜ちりしく 春風に さそはぬこけの 色ぞきえゆく

いやし。

夏月

程もなく ふくるを夏の しるしにて すずしさはただ 秋の夜の月

此所歌にはならず。

野虫

月影も こぼるる野べの 秋かぜに むしのね消えぬ 浅茅生の露

只今の俳諧にこそ。

野分

散りにけり 野分する夜の おもかげに 明日の朝げの 花の千種は

かく上へかへして言ふ事、古今にも少しあれど、歌にからめたる人のわざ也。

うき雲の ゆききも空に 絶えはてて 吹く風見せぬ 秋の夜の月

歌とはならず

浦雪

かつ散りて つもりもやらぬ 松の雪 たがふちはらふ 袖のうら風

此のつづけいやし。また浦の事ここにのぶと出。

為人忍恋

いさや川 いさめし人の ひと言に うきなもらさぬ 袖のしがらみ

歌ならずや。

後朝恋

きぬぎぬの なごり身にしむ 朝風に おもかげさそふ 袖のうつり香

言ひつまれり。一句言ひつめては歌にならず。

恋命

同じ世の 月見る事も こひしなば これやかぎりの 契りならまし

此言いかが。

寄魚恋

小車の わだちの水の うをならで かかるをなげく わがちぎりかな

から人の言を歌に用ゐる事、古今などにもあれば、心にくきなり。いかほどもここの古事なからんや。

寄箏恋

かきたえて 忘れなはてそ 逢ふ事は なかの細緒の ちぎりなりとも

寄風恋

さそはれぬ 深き思ひの 色もなほ ありとはしるや 庭のこがらし

猶を言の下に言ふ事後世の俗歌にのみ有る也。古今に今の本には一首あれど、古本は別也。

寄枕恋

思ひやれ 三年の後も あかつきの かねのつらさは しらぬ枕を

言ひなし俳諧也。恋などは艶にあはれにこそいはめ。

是は新古今の良き歌はおきて、中にわろきをまねんとして、終に後世の連歌よりもわろくなりし也。右の歌ども一つもおのがとるべきはなし。是を好み給ふならば万葉の御問も止め給へ。かくては万葉は何の用にもたたぬ事也 [松坂町 小津芳蔵氏蔵]

春立つ日

吹く風も なごの浦松 ほのぼのと かすむ梢に 春はきにけり

此所古意ならず。

うちなびく 春はきぬらし ひさかたの 雲ゐにかすむ 高円の山

後世にも此の体ありしか。

うぐひす

きのふけふ 春ともしるく わが宿の うめがえさらぬ 鴬の声

聞こえたり。

春寒み まだ白雪の ふるさとも なくうぐひすに 春やしるらん

言いふりたり。

うめの花

白雪の きえあへぬ枝に さきそめて それかあらぬか 梅の初花

聞こえたり。

風吹かば ちりか過ぎなん 梅の花 けふのさかりに をりかざしてな

ひとりぬる

はしきやし 妹にこひつつ ぬば玉の 長きこのよを ひとりやねなん
妹が袖 まかでやねなん あしひきの 山のあらしの 寒きこのよを

いはでおもふ

かくとしも いはでの山の いはつつじ いろにやいでむ こふるこころは

いつもの事也。

としふとも 人しるらめや こもりぬの したの心に わがこふらくは

右いづれも、是ぞ聞こえぬとはなかれど、今少し本立のよわく、何とやらん後世風の調べをはなれぬ様也。常有る事をも、つづけ様によりて気象高く聞こゆる事、古今の梅の花それとも見えず、鎌倉公の此のねぬる朝けの風にかをる也、軒ばの梅の春の初花、我が宿の梅の花さけれり・・・咲くや川辺の山吹の花などの調子を思ひ給へ。歌はただ此の調子に有る也。

夏のくさぐさの歌

Visited 4 times, 4 visit(s) today