たとえばだが、華道、茶道、書道、剣道、柔道、居合道など、だいたいこれらは江戸時代の習い事に由来しているわけで、
どれも江戸時代に確立された古態をそれなりに継承している。
歌道もまたそうだったはずだ。
歌道は、いろんな習い事の中の一つとして嗜まれていて、
茶道や華道などと同じ程度に庶民にも親しまれていたはずだ。
ところが、明治になって近代文学運動というものに、歌道だけが巻き込まれた。
茶道や華道や書道などは西洋の影響をあまり受けずに済んだが、
歌道は、つまり和歌は、同じ文学の一種だというだけの理由で、西洋的な価値観で自己批判を強いられて、
さんざんにいじり回され改造されて、
あれほど日本人のいろんな種類の人たちに愛されていたという記憶まで奪われ、
今日に至っているのだ。
和歌は本来相当に保守的な芸能であって、たとえていえば、
能や狂言や神楽などと同じかそれ以上に保守的な伝統芸能といって良い。
しかし、能楽に関しては、正岡子規のような攻撃者がいたわけでもなく、
西洋演劇理論で改造すべきだなどいう乱暴な議論がされたわけでもなく、
今日に至るまで古典芸能として生き延びてきた。
しかし和歌は古典芸能であり続けることを否定されてしまった。
古典芸能でありつづける部分と、近代文学として変化して行く部分と、
うまく両立できればよかったのだろうが、近代文学な部分があまりにも勢いづいてしまい、
伝統芸能の部分がしだいしだいに枯死してしまったのだ。
そして、歌道というものは一部の公家と知識階級によってもてあそばれた「糟粕の糟粕の糟粕の糟粕ばかりに御座候」
ということにされてしまったのだ。
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