亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

Archive for the ‘小説’ Category

韃靼タイフーン

09.20.2017 · Posted in マンガ, 小説

安彦良和の『韃靼タイフーン』を読んでみてまず考えたのは、これほど優れた作品が世に知られていないからには、 私のような弱小作家の小説がまったく売れなくても当たり前だな、ということだった。 『韃靼タイフーン』が彼の他の作品と比べてものすごく優れているといいたいわけではない。 出来としては『王道の狗』『虹色のトロツキー』くらいだろうか。 最近の作品で比べれば、『麗島夢譚』や『天の血脈』よりはましな気がする。

『麗島夢譚』もほとんど知られていないが、『韃靼タイフーン』と同じ理由で、連載されている雑誌がマイナーだからだ。 『天の血脈』はアフタヌーンなのでまだメジャーといえる。

安彦良和は恐れずマイナーな雑誌に書きたいものを書く人だ。 逆の言い方をすると、書きたいものを書こうとしても企画会議を通らないから、そういうネタはマイナーな雑誌に回さざるを得ず、それゆえに世間に知られないということになる。

『ナムジ』や『神武』は強烈につまらない。 たぶん『アリオン』の流れでギリシャ神話から日本神話に飛び火したのだと思うが、彼には神話(というより、ファンタジー全般)を書く才能は無いと思う。

『ヴイナス戦記』のつまらなさにはあきれた。アマゾンでまとめてポチったが1巻目の最初のところで挫折してほってある。 たぶん彼にはSFの原作を書く才能も無いと思う。 『Cコート』は非常に面白い。『ヴイナス戦記』を書かせるために『Cコート』の連載を中断させたのだというが、まったく馬鹿げたことだ。なるほど読者は『ガンダム』の作画監督・キャラクターデザイナーが書いた宇宙戦記物が読みたいのだ。『クラッシャー・ジョウ』の挿絵を描いた安彦良和のオリジナル作品が見たいのだ。そして出版社はそれをアニメ化して当てたい。しかし彼にそんな才能はない。彼には『Cコート』を書かせるべきだったのだ。『ヴイナス戦記』に費やした労力は大いなる損失だ。 『韃靼タイフーン』もまた『ガンダムオリジン』を出すために中途半端に終わらせたというのだが、まったくもったいない話である。

『三河物語』は非常に面白いのにほぼ同じ時代を描いた『麗島夢譚』がつまらないのは意外な感じもするのだが、このあたりに安彦良和という人の限界があると思う。 ある程度史実に基づいて脚色したものは面白いのだが、史実から逸脱してほとんど空想だけで書いたものはつまらない。そう思うのは私だけだろうか?鄭成功と宮本武蔵を絡ませた話が面白いだろうか?荒唐無稽というべきだろう。 『韃靼タイフーン』も破綻寸前なのだが、なんとか帳尻あわせてある。

『ジャンヌ』もつまらない。なんなのだあのフルカラー書き下ろしは。よくもこんなくだらない企画を思いついたものだ。 どうも、メジャーなメディアからの頼まれ仕事ほど本人のやる気がなくてつまらなく、 マイナーなメディアで出したものほど本人のこだわりが濃厚で面白くなるのだ。 しかし世間様の評価というものは、作品の出来とはまったく何の相関もなく、 ただメジャーな媒体に出したものほど評価が高く、 マイナーな媒体に出した作品はほとんど認知されない。

安彦良和ほどの人ですらこのようなありさまなのだから、私のようなひよっこが世の中に正当に評価されるはずもない。 そう思ってずいぶん気楽になったし、これからも周りにあわせず自分の書きたいものだけを書いて遺そうと思った。 同時に、世間に媚びず、マーケティングもせずに読者を獲得することは恐ろしく困難なのだと思った。

安彦良和の本質は「右翼作家」なので現代の出版界では決して正当に評価されることはない。笑うべし。

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12.13.2016 · Posted in 小説

私はもう『妻が僕を選んだ理由』を書き終えたつもりだったが、私の頭の中ではいまだに主人公たちが動きまわっていて、 私は仕方なく彼らの行動を追記しなくてはならない。 彼らが動かなくなったり、別の話で頭の中が置き換わるまでは、彼らによって僕の頭の中は支配されている。 彼らの過激な言動が私自身に影響を与えることがあり、少し困る。特に酔っ払ったときなど。 作者は自分自身を狂わせないと作品を作れないのかと思うこともある。

今年は精神的肉体的限界を感じた年だった。 たぶん外飲みはほとんどしなくなると思う。 私の精神はもう飲酒に耐えられない。きっぱりとやめられるといいんだが。

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未捕狸算用皮

12.05.2016 · Posted in 小説

kobo ではまだ1冊もダウンロードされてない。

なんか設定がマズイのかなと思って、ジャンルを3つに増やし、説明も書いてみた。 しかし、ジャンルが大分類と中分類しかなくて、小分類は著者には指定できない。

表紙も文章も一瞬でアップロードできて一瞬で反映される。 KDPの「はがゆさ」を知っている人にとっては意外な感じがするだろうと思う。

やはりアマゾンという外圧がなければ KDP のようなものは自然と日本で生まれるはずがないのだと思う。 Puboo にはお世話になったが今は使ってない。 カクヨムは、今後使わない予定だ。伊勢物語は気が向いたら書き足すと思うけど。 私は一太郎メインで書く人なので、一太郎とカクヨムで両方執筆するのは結局は手間だ。 発作的に何か書きたくなったとき、特に短篇の場合、カクヨムや小説家になろうは便利かもしれないが、 後できちんと書こうというときに邪魔になる。 なら最初から一太郎で書いてKDPで出すのがよい。

とにかくアマゾン様のおかげで、『妻が僕を選んだ理由』は無料本の中で今も良い位置につけている。 この状態はいつまで続いてくれるのかな? あまり期待しないほうがいいかな。 もし1ヶ月あまりも、 アマゾンkindle無料本「SF・ホラー・ファンタジー の 売れ筋ランキング」の1位に居座り続けたら、 私は何か勘違いしてしまうかもしれない。 でも要するに、ジャンル別で1位と言っても大してダウンロードされてはなかったということよね。 夏目漱石『こころ』なんかもおそらくせいぜい1日100部くらいだろう。 年で4万部。大したことない。 だからほんとなら『こころ』を凌駕するような個人出版がぽんぽん出てこないと嘘だということになる。 紙の本で1万部なんてのはざらにあるわけだから。

コンスタントに平均1日20部ずつダウンロードされたとして年で7300部。 無名の作家にとってはバカにならない数だ。 1年くらいで1万部突破するかもしれない計算だ。捕らぬ狸のなんとやらだが。 無料で、しかもどこにも話題になってないので、中身を読んでダウンロードしているはずがない。 なんとなく気になるタイトルだからとりあえずダウンロードしているのだろう。 それでランキングがあがり目立っててそれでまた違う人の目に触れてダウンロードしている。 ランキングが持続しているということは、これまでより、読者の裾野がずっと広いってことだ。いろんな読者がいる。 やっと魚影が濃そうな漁場を見つけたのかもしれない。

若い作家はラノベやファンタジーを書く傾向がある。 作家どうしで著者となり読者となるのなら、つまり同人的な著作活動ならそれで良いと思うが、 そうすると似たような小説ばかりになる。 同じような作品ばかりになると世の中の読書量の総和には限りがあるから、 作品一つ当たりの読まれる機会は減ってしまう。 『妻が僕を選んだ理由』というタイトルは今までありそうでなかったのだろう。 他に似たような名前の作品がないから私の作品を読むしかないという状態ではなかろうか。

婚活物語みたいな感じで読まれているのかもしれない。 何かの鉱脈に触れている手応えはある。

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初出・初版一覧

12.04.2016 · Posted in 小説

私が最初に本を出したのは実は1990年で、出版社は工学社だった。共著だった。 それから新紀元社とかオーム社から出したが、これらも皆共著だった。 出版社からわかるように、当時は技術書しか書かなかった。しかも、いつも私の名前は共著者の中で最後だった。

そんなこともあって私は死ぬまでに単著の一本くらいは書きたいとずっと思っていた。

  1. 『アルプスの少女デーテ』初出2004年9月、某Wiki(匿名)
  2. 『超ヒモ理論: もし俺がヒモになったら』初出2011年4月Puboo(「山崎菜摘」名義、原題『超ヒモ理論』)
  3. 『スース』初出2011年6月Puboo(「山崎菜摘」名義)
  4. 『将軍放浪記』初出2011年8月Puboo
  5. 『西行秘伝』初出2011年8月Puboo(原題『山家物語』)
  6. 『川越素描』初出2011年8月Puboo
  7. 『司書夢譚』初出2011年9月Puboo
  8. 『安藤レイ』初出2011年11月Puboo
  9. 『将軍家の仲人』初出2012年8月Puboo(原題『新井白石』)
  10. 『紫峰軒』初出2013年1月Puboo
  11. 『エウメネス1 ― ゲドロシア紀行 ―』初出2013年3月KDP(原題『エウメネス』)
  12. 『巨鐘を撞く者』初出2013年4月KDP
  13. 『特務内親王遼子』初出2013年7月ブログPDF版
  14. 『古今和歌集の真相』初出2013年9月KDP
  15. 『フローニの墓に一言』初出2014年1月KDP(現在非公開。『ヨハンナ・シュピリ初期作品集』に再収録)
  16. 『エウドキア: ローマの女王』初出2014年2月KDP
  17. 『江の島合戦』初出2014年4月KDP
  18. 『生命倫理研究会』初出2014年12月KDP
  19. 『虚構の歌人 藤原定家』2015年6月初版(田中紀峰名義、夏目書房新社)
  20. 『ヨハンナ・シュピリ初期作品集』2016年3月初版(田中紀峰名義、夏目書房新社)
  21. 『エウメネス2 ― グラニコス川の戦い ―』初出2016年7月KDP
  22. 『エウメネス3 ― イッソスの戦い ―』初出2016年7月KDP
  23. 『斎藤さん ― アラカルト ―: 田中久三短編集』初出2016年8月KDP(『小説家になろう』に公開していた短篇などを集めたもの)
  24. 『潜入捜査官マリナ』初出2016年9月KDP
  25. 『妻が僕を選んだ理由』初出2016年11月カクヨム

『アルプスの少女デーテ』を最初に書いたのは2004年で、39歳。小説らしきものを書いたのはこれが初めてということになるが、 高校生くらいに書き殴って今はどうなったかわからないようなものとか、 そういえば小学生のころ書かされたものもあった気がするので、昔からその気はあった。 しかし私は自分で書いたものを読み返してみてやっぱり自分には才能がないと諦めていた。

で、最初に書いたまともな小説は『将軍放浪記』で、これは2009年ころに新人賞に応募したのを2011年にパブーで公開し、 その後も加筆や修正をしてある。 最初の頃は、新人賞に応募する作品は田中久三で、そのままPubooに載せるやつは山崎菜摘名義で書いていたような気がする。 或いは歴史小説は田中、現代小説は山崎、という書き分けだったかもしれない。 2011年頃Pubooにたくさん出てるのはもともと書きためていたものを(紙の本で出版される見込みはないと見切って)ウェブに公開したのだ。 この頃の作品には今では公開してないものがいくつかある。

『アルプスの少女デーテ』は最初はもっと短いものだったが、どんどん肉付けしていって今ではどちらかといえば長編になった。 『西行秘伝』も『巨鐘を撞く者』も、もとはもっと短かった。 この頃はいろいろ試行錯誤してた。

村上春樹が、ジャズのインプロビゼイションのように、同じリズムで同じ繰り返しで毎日欠かさず書くと言っていたが、 確かに村上春樹の作品はジャズの即興演奏に似てて、ただひたすら文章が積み上げられているだけのように私には思える。 私の執筆方法はそれとはまったくことなる。それは『デーテ』のころから同じで、 まずアイディアがあってその骨格を書いて、段々に肉付けしていく。 読書というのものが、ライブハウスでジャズを聴くようなものであれば、それは村上春樹の作品のようなものがふさわしいだろう。 私の作品はおそらくはコンピュータ言語で書かれたプログラムのようなものではなかろうか。 私の場合、こういうキャラクターを書こうというキャラクター設定がある。 それは NPC (non-player character) の AIプログラミングに似ている。 そのキャラクターをある環境(ゲームプログラミングでいうところの map)に置けばキャラクターは勝手に動き出す。 そこに別のキャラクターを置くとインタラクションが生まれて展開していく。 だからストーリーは細かく書けば書くほどに長くなる。 ゲームのプレイ動画の長さは、プレイ時間を長くすればいくらでも長くなる。それと同じ。まあ、あまり長くすると飽きるが。

小説を書く前からゲームプログラミングらしきことはやっていた。 modを作っていた。 その影響は確実にあると思う。 小説はそんなふうに書くものじゃありませんよと言われても困る。 私にはそういう書き方しかできないから。 私が表紙絵に3DCGのキャラを使うのも、もとはといえばmodをやってたからだ。 もともと文章を書こうと思っても、なんかもやっとした、納得いくものが書けなかった私が、 人に読ませるための文章を書き始めたのは、自分が比較的得意とするプログラミングのテクニックを導入したからかもしれない。 それでなんとかこうとか書けるようになった(気がした)。

ともかく私の作品の中ではキャラクターは勝手に喋って勝手に行動しているとしかいいようがない。 キャラクターがなぜ勝手に動くかといえば作者が実在の人物や歴史上の人物をモデルにしていて、 彼らがこういうシチュエーションに置かれたらきっとこう動くだろうと予測しているにすぎない。 少なくとも歴史小説に関して言えば、他の人はどういう書き方をしているかしらないが、 私はそういう書き方しかできない。 私の場合歴史小説の書き方を現代小説や未来小説、SFに応用している、とも言える。

『妻が僕を選んだ理由』は最初『ジオコミューン』という名前にするはずだった。 『ジオコミューン』は核シェルターみたいなものをイメージしていたが、 fallout の影響をうけているからだ。 表紙にゲッコーが描かれているのもそう。 これもサンプルのつもりで気軽に書き始めたのだが、結構な長編になってしまった。 fallout の他にもいろんなものがオマージュに使われている。 『キル・ビル』『バクダッド・カフェ』『僕の村は戦場だった』『ソラリス』『レヴェナント』『007スカイフォール』。 『Marooned with Ed Stafford』とか植村直己にもかなり影響受けてるよな。 わざといろんなものをこてこて付け足していったらこうなってしまった。

セレブな美女と一般男性の恋愛というのは、今までもずいぶん書いてきた。 源懿子と西行、遼子と稗島、アマストリーとエウメネス、喜世と新井白石など、みんな同じといえば同じだ。 全然違うことを書いているようで実は通して見ると、かなりネタがかぶっている。 『安藤レイ』はアンドロイドの話だが、『妻が僕を選んだ理由』はサイボーグと人工知能の話で、私の中では比較的近いテーマなのである。 なぜ私がそういうものを書きたがるのかということはもちろん自分でもわかっている。 村上春樹もまたいつも同じような作品を書くがそれは彼がそういうものをどうしても書いてしまう何か理由があるのだろう。 その根っこの原体験というものが彼と私は根本的に違うし、 村上春樹の作品が好まれるのは彼の原体験が多くの読者の原体験に近いからだろう。 私と同じ原体験を持つ人はたぶんそんなに多くはないと思うので、私の作品がどのくらい読まれるのか、かなり私は悲観している。

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ほぼ完成した。

09.20.2016 · Posted in 小説

自分ながら、 どのくらい需要があるかまったく読めない作品になった。 普通、読者というものは、探偵・刑事物、江戸下町情緒もの、アキバ系電脳もの、 それぞれのジャンルに分かれている。 これらのてんでばらばらなものを一つにまとめてしまった。 どっちにしろだらだら加筆修正するのだが、もすこし待ってもらい、 twitter で告知するくらいのタイミングで読み始めてもらいたいと思う。

アキバ系としてはそれほど珍しいものではないだろう。

江戸下町的なものはいくらでもある。

探偵・刑事物としてはかなり異質なものだと思う。 女捜査官ものとしてはわざと読者に肩すかしをくわせている。

著者としてはこれらを組み合わせて今までにない作品を作った気でいる。

電脳都市が江戸の下町の真ん中に存在していることを多くの人は忘却している。 そこにわざと警視庁の女捜査官を送り込む。 そのトリッキーさを楽しんでもらいたいのだ。

文章には、非常に凝ったつもりだ。 文章をそれなりに書いてきて自分なりに練ってきた書き方なんで、五年前の自分には絶対書けない。 どんどんネタばらしすると工藤と山下の恋愛感情の機微も(機微なんで、はっきりとは書いてない)、自分的には割と凝ったつもりだ。 もしここがツボにはまらないとこの小説はつまらないだけだと思う。 舞台はごく見慣れた町並み、 登場人物はすべてごく普通の人、つまらない人、中途半端な人として描写してある。もちろん著者は逆に、その裏にあるアブノーマルさを読んでほしいのだ。 えっ。凡人の日常を描いたものなの、じゃ読まない、と思われる危険性はある。

書いてて思ったが、私はそれぞのジャンルに、つまり漁場にでかけて、 そこにコマセをまいて、釣りをする人間ではないのだ。 私自身そういう読書の仕方をしない。 少なくとも自分には面白いのだけど、どんな魚が当たるか自分でもわからない。 カテゴライズされたとたんに創作物は二次創作となって死ぬ、と私は思ってる。

筒井康隆が言ってたと思うが、小説とは Novel、何か新しいものなのだから、 今まであるものを書いても仕方ない。私には非常に賛同できる考えだ。

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潜入捜査官マリナ

09.18.2016 · Posted in 小説

marina2

最初は「潜入捜査官エリカ」というタイトルで主人公は梅ヶ谷エリカという名だったのだが、 いろいろググってると、2010年に「悪貨」という小説が出てて、 主人公が花園エリカ。 それが2014年には黒木メイサがエリカ役でドラマ化されている。

どうも潜入捜査官でぐぐるとエリカという名前が良く出るなと思ってたら、これが元ネタだったらしい。 そしてたぶん無意識に私もどこかでそれを見てて、 意図的に真似たのではないが、なんとなく雰囲気でエリカにしてしまっていた。

まこれはまずいので他の名前を考えて、「潜入」捜査官だから、海のイメージを重ねて、 三崎マリナという名前にした。

表紙の絵を変えたりしてるので読むのはまだ待ってください。

新人賞に応募しようかどうか迷っていた。 ツイッターでアンケートとった際もKDPですぐ出すよりはまずどこかに応募したほうが良いという意見が多かった。 しかしまあいろいろ考えた結果さっさとKDPで出すことにした。 どちらかといえば Kindle Unlimited 用に書いた。 100枚ほどの長さだが、最後まで飽きずに読ませれば私の勝ちだ(笑)。 ミステリーは食わず嫌いというか、今度書いてみて、案外こういう探偵物、刑事物も面白いなと思ったのだが、私という書き手に広く興味をもってもらい、 少しでも自分の得意フィールドの歴史小説に読者を誘導するために書いた。 それが今回の当初の執筆動機。

昔、現代小説として試しに「墨西綺譚」というのを書いてみた。 一時期KDPでも出版していたが、今は全面的に手直しするため公開してない。 ていうか「墨西綺譚」は登場人物がやたらと出てくる割に展開が早すぎて読者がついてこれない謎の群像劇になっていた。 言われてみればその通りで、ひまを見て直そうとおもってる。 これに工藤襄という探偵みたいな探偵じゃないみたいなキャラが出てくるのだが、 今回「マリナ」に出てくる工藤は「墨西綺譚」とまったく同じである。 読んだことある人にしかわからんのだが、 「墨西綺譚」は平成15年頃が舞台。「マリナ」は今現在。 だから13年後の設定になるわな。 「墨西綺譚」はレバ刺しが禁止されるよりも前の話なのである。 守口というのも同じ登場人物。基本的に舞台も設定も完全に一致させている。 だから自分の中では「マリナ」は「墨西綺譚」のリライト作業の派生物(一部)ってことになる。

「探偵物語」で松田優作が演じるのが私立探偵の工藤俊作。 ここでも名前がかぶってるが、キャラ的には全然かぶってないと思う。

こういう女刑事物は世間では官能小説か大衆小説と相場が決まってて、 だいたいハードボイルドにお色気、つまりエログロなんだが、 「マリナ」は全然そんなんじゃない。 私立探偵も出てくるが推理物かというとそういうわけでもないと思う。ガンマニアテイストは単にフレーバーとして足しただけ。だからキャラもストーリーも退屈に見えなくはない、見えるだろう、まあふつう、見える。私自身刑法とか警察が詳しいわけではない。だからもともとこのジャンルが好きな人には絶対受けない自信がある。 で普通非公式・非合法な部署とか架空の組織とか近未来法改正があったみたいなのを仮定しないとこういう刑事物は面白くならんのだが、それも私は「マリナ」では禁じ手にしている。裏返せばそんなおもしろおかしい刑事とか捕り物なんて現実には存在しなくて、ミステリーがネタに行き詰まっている証拠なの。 名探偵コナンだってドラえもん化、水戸黄門化してる。ところてんにはところてんの需要がある。 相棒は頑張ってるほうかなあ。 でまあ私の場合意地でそういうツボをわざとはずして読者の期待をはぐらかさないと気が済まない。

あとあんまり書くとまずいところもあってそこはぼかしてある。 だから全体的になんかもやっとしているがあとは読者任せというか。

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小説の体裁

07.22.2016 · Posted in 小説

twitter の自己紹介に「小説のようなもの」をKDPで出版してます、 などと書いてたのだが、 こんど出す「エウメネス2」と「エウメネス3」に関しては、 自分の作品ながら「小説のようなもの」呼ばわりするのは変な気がした。 失礼な気もする。 それで若干自己紹介を書き換えたのだが、 なんでそう思ったかと自己分析してみた。

「エウメネス1」はもともとは私が勝手に書いた「小説のようなもの」なのだが、 これはけっこう売れたので、 お金を払ってくれた人に対して失礼な気がする。 お金を払って買ってくれた人はこれを「小説のようなもの」ではなくて 「小説」という商品として買ってくれたわけである。

つまり、ものを売るということはそういうことなわけで、 自分のものだからといってむやみに卑下してはならない気がする。

「エウメネス2」と「エウメネス3」は初めて予約注文でやったが、 予約者も(そんな多くはないが)いて、 書いている最中から、読者、というより、買ってくれる人、を意識して書いた気がする。 「エウメネス1」を買ってくれた人にまた買って貰いたいという気持ちで書いた。 もっと言えば、夏目書房新社で紙の本を出版してもらい著者紹介にも少し書いてもらった(その紹介文は非常に恥ずかしいものだったが。CiNii にまで載ってしまった。なおさら恥ずかしい)。 ちょこっとだが編集会議のようなこともしたので、私が独断で出版して良いものではない (だが、続編をちょっと書き足すというつもりで、独断で書かせてもらった。完結させたのではない。 完結させるとしたら全部で1000枚では済まないだろう。 もし今回の続編が売れたらも一度、改めて相談してみるつもりだ)。 いろんな人の意見も聞いた。 だからもうこれは「小説のようなもの」ではあり得ないのである。 「プロ意識」と言えばそうなのだろう。

で、私の場合昔からそうだったのだが、100枚のつもりで書いて、 最初の書き終わりは80枚くらいだが、手直ししていくうちに100枚になる。 しかしその後いろいろ書き足したり肉付けしたりする。 歴史小説の場合特にそうなりやすい。 文章そもそもの磨いていく。 そういう書き方を5年くらい続けてきたので、 私はそういう書き方をする人間なんだなってことがわかってきた。

最初にプロットなりノートなりを書いて書くときは一気に書く人もいるが、 私はそうではなく、ひな形みたいな作品をまず書き上げて、それから肉付けしていく人なんだな、 ってことを書きながら気付いた。

むろん、小説自体のできもこれまでよりは良いつもりだ。 良い、というより「小説」としての体裁を具えている、という感じかな。 良いものを書いた自信、というのとも少し違う。 小説としての体裁を考えずにがーっと書いてたころの作品のほうが良いかもしれない。 でも今はもうそんな純粋な気持ちでは書けない。 長編だと特にそうだ。 どうやって読者に読み続けさせようかみたいなことを考えながら書く。 自分が何を書きたいかということよりもそちらのほうが書いてて気になる。 たとえて言えばピタゴラ装置を作っている気分。 あーここで玉が止まっちゃうとか、ここで読者読むのやめちゃうよなとか、 いつの間にかそんなことばっかり気にしてる。 まあしかし、それが小説の体裁というものなのではないか。 最初は自分しか読者がいなかった。 世の中に自分が読みたい本がなくなったので自分で書くことにした。 自分のために書いたから自分で読めば面白いに決まっているのだが、 他人が読んでも面白いほうがよいに決まっている。 ただ他人が読んで面白いものというのは、私が飽きてしまって読まなくなったようなものなので、 そこの折り合いをどうつけるか。 自分にとっては面白くもなんともないが、 他人には喜んでもらえるピタゴラ装置を延々と作ってもむなしいだけだ。

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エウメネス2 ― イッソスの戦い ―

07.09.2016 · Posted in 小説

最初は「エウメネス2」か「イッソスの戦い」かどちらにしようか迷ったが、 結局間をとって「エウメネス2 ― イッソスの戦い ―」とした。

図版無し90枚くらいのはずが、図版あり225枚くらいになった。 かなりの大作だ。 最終的には250枚くらいになるだろうと思う。

「イッソスの戦い」がメインなのだが、だんだん書いていて「テュロスの戦い」もけっこういけるんじゃないかなと思えてきた。 この「テュロスの戦い」だが、あまり深く掘り下げて書いたものはなさそうだ。 むろん、イッソスにしろ、テュロスにしろ、アリアッノスの「アレクサンドロス東征記」を下敷きにしているわけで、 こちらのほうが細かいといえば細かい。 しかしほかの文献で補完したりしてかつ私なりの脚色と考察を加えているわけだから、 私のほうが詳しいといえば詳しい。 割と良い出来だと思う。

先に書いた『エウメネス』だがだいぶ整合性がなくなってきたので、少し書き換えた。 少しだけだけど。 最新版ダウンロードはアマゾンに個別にリクエストしてください。すみませんが、よろしくお願いします。 変えたところというのは、 まず、カルディアというポリスのことを誤解していた。 カルディア == トラキアのケルソネソス半島だと思っていた。 実際にはケルソネソス半島のごく一部。 また、エウメネスの母をトラキア人としていたのだが、フリュギア人に統一。

しかし、『ヒストリエ』ではなぜエウメネスをスキュタイ人としたのだろうか。 たぶんプルタルコスの『対比列伝(英雄伝)』の記述に引っ張られたんだと思うが、 『対比列伝』は、ローマ人についてはともかくとして、ギリシャ人の記述は民間伝承レベルで、決してよろしくない。と思う。 ヨーロッパからみたスキュティアは今のウクライナ辺りになるのだが、 北方のトラキア人を広い意味でスキュタイ人と言ったのだろうか。そうかもしれんね。

もうほとんど完成したと思うんだが、出版予定日は繰り上げずに予定どおりやると思う。 こまごましたところはゆっくり直していけば良いと思うんだけどねえ。KDPなんだし。

ちょっとだけネタばらしすると、 テュロスの戦いですごいのは、おそらくアレクサンドロスが世界で初めて「投石器を搭載した軍艦」を建造し、 実戦に投入し、これによって勝利した、 ということだと思う。 誰か前例を知ってたら教えてください。 無いと思うけど。 それまでの海戦はだいたい軍船どうしの戦いだったはずだ。一日で決着がついた。 しかしテュロスの戦いは軍船による島の上に建てられた城の包囲戦だった。 こんな戦いがテュロス以前にあったはずがない。 これがゆくゆくは米海軍による黒船襲来、マニラ艦砲射撃へとつながっていくわけですよね。 もちろん軍船の上で弩を使って撃ち合った、というようなことはあったかもしれんが。

でまあ、私としては、テュロスの戦いはもっと注目されて良いと思った。 と言っても、イッソスの戦いですら、日本ではあまり話題になることがないのだよね。

あと一気に読むのは長さもあって辛いと思います。 私も校正してて気絶しました。 地名や人名がたくさん出てくるのは勘弁してください。 そういうところは流し読みしていただけると助かります。

これを当てて、ゆくゆくは総集編を出したいよねえ(笑)

あ、あと、アマゾンが 50pt 付けてくれてるのはありがたい。

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特務内親王遼子

06.06.2016 · Posted in 小説

特務内親王(完結編)は無事出版されました。 まだ多少手直しするかもしれませんが、読もうと思えばもう読めます。

400字原稿用紙(一太郎計算)で言うと200枚、Kindle換算で118ページなので、 「エウメネス」や「巨鐘を撞く者」「将軍家の仲人」などよりは(少なくとも文章量と挿絵に関していえば)お得感があると思います。 「安藤レイ」より長いので、私にしてみればけっこうな長編ですね。 ただまあ kindle 換算はあまりあてにはならないんだけど。 三章に分かれてて、第三章が半分くらいある。 第二章はかなり加筆した。 第一章はほとんどそのまんまだと思う。

無料キャンペーンをやるのはよりたくさんの人に読んでもらい、新しい読者を獲得し、 できれば良いレビューを書いてもらうためなんだろうけど、 もう4年ほどKDPで出してきて、今更効果もなさそうな気もするんで、 基本放置しとくことにします。 たぶん読む人は読むし、レビューを書きたい人は書くし、あまりキャンペーンは関係ないんじゃないかと思う。 昔はともかく今は。

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12.12.2015 · Posted in 小説, 詠歌

実はこないだ久しぶりに中編くらいの小説を書いて新人賞に応募したのだが、これは落ちてもKDPで出す予定がない。 新人賞が取れれば多少恥をかいてもよいが、そうでないのなら人目にさらしたくはない、そういうものだからだ。

私の場合あまりネタを使い回すことはなく、一つのネタを使うとネタが貯まるまで時間がかかる。 通常複数のネタを組み合わせて一つの話を作る。 まあ、二年くらいあければなんらかのネタはたまってくるから、今後も完全オリジナルな小説は書けなくもなさそうな気がする。 しかし余り年を食うともう頭がぼけてくるから書かないほうが良いと思う。 耄碌した老人を、たくさん見てきた。彼らも60歳くらいまでならまあ普通だが、 それからだんだんあやしげになる。 たぶん自分もそうなるだろうと思うから、早めに書いておかなきゃならんなと思う。

私の場合、積極的にネタを拾いに行くことはできるかもしれん。 そう、根は非常に臆病者なので、天涯孤独ならできるかもしれんが、いろんなしがらみで動けない。 あと病気持ちなんで怖い。 旅行いくのも最近はおっくうになってしまった。 もっと若いうちにいろいろ旅行しておけばよかった。 熟年とか定年後によくみんな旅行にいこうと思うなって思う。

小説以外にもいろいろ書きたいものはあり、書き始めて、同時並行で下調べをしていて、 ものすごく大変だってことがわかって書けなくなる。 いろんなものが途中で放ってある。 これがまあ、必ず売れるとわかっていればやるんだろうが、これまで売れたためしがない。

ツイッターは便利だが、危険でもある。 ブログのほうが安全だなと思う。

なぞかかる愚かなる世に生まれ来て今日また酒に酔ひてかも寝む

酔ってこういう感じの歌を詠んでそのまんまツイッターに書いて、翌朝忘れた頃にまた見て、びっくりするということがあった。 そういう危険な歌の詠み方をしてはいかんなと思う。 いったん紙とペンでメモるべきだ。

私はもともと理系だから理系の空気というものを身にまとっている。 文系の人は文系の空気を、芸術系の人は芸術系の空気をまとっている。 同族であるかどうかはその空気でわかる。 理系の人間が文芸出版の世界へ入っていくのはその空気を身にまとっていないのでかなり難しいと思う。 その、私から見ればなれ合いというか既得権益のようにしか思えないその空気をかき乱してやりたい気になる。 そしてますます入り込めずにいる。 だがまあ、文系の人間が文系の文芸を書くのは当たり前のことであり、 そこで世界が閉じていて面白いわけがない。 その世界の高度な専門性をもっていて敬服する人もいるのだが、 単に閉じこもっているだけとしか思えない人もいる。

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