スース

家で療養しててやることがないので、スースを[5話](http://p.booklog.jp/book/28960)まで書いたのだが、
さっさとハッピーエンドにして終わらせようと思ったがなかなかうまくいかない(笑)。
助手の森田とくっつけちまうのは簡単だが、それはではつまらんなあとか。ええ、プロットは書きながら考えてますが何か。

そろそろ病院にいくしかないと思っている。

今月頭くらいから肺に水がーなどと言っていたのだが、治るかと見せかけて治らなかったりして、
とりあえず今週末は酒を抜いて自宅で養生してみて、それでもやはり肺に水が入ってくるようであれば、
観念して医者へ行こうと思う。

心臓がばくばくしたりとか、息苦しいということはもはやないのだが、とにかく腹がはる。腹がはると苦しくて身動きとれない。

傾向としてだが、朝方の方が夕方よりも腹がはる。夕方、さらに、酒を飲んだりすると割と楽になるので、治ったかのような気分になるが、たぶんこれが良くない。反動で次の日の朝、かなり水がたまる。

水は安静にしているときにたまる。つまり夜中寝て居るときとか。昼間も横になっているとたまるので、逆に昼間は、ずっと軽作業などしている方が楽。

運動を始めると腹が張り始めるのだが、これは、運動によって新たに水がしみてきたというよりは、呼吸と水がまざって肺の中でふくらむのだと思う。肺を圧迫することによってある程度は肺から水が抜けることはある。

食欲は普通にある。

タフマンの車内広告だらけだったので栄養ドリンクでも飲んでみるかとコンビニに行ったがタフマンはなくて、リポビタンDを飲んでみたのだが、少し元気になる気がした。

だから早く医者いけと。

昨日の夕方くらいだったか、なんだか急に肺が動き出した感じだった。
肺に貯まった水がだんだん粘度がましてきて、痰のようになる。
痰は気管支をさかのぼって食道から胃へ移動する。
普通に風邪ひいて肺をやられたときと同じ現象だわな。

思うに、肺にたまった水は、圧力が下がったからといってふたたび毛細血管へもどるわけではなく、
粘度が上がってから痰として排出されるのではないか。

呼吸はだいぶ楽になったのだが、吉野家のうな丼一杯たべただけで胃が満腹になってしまうのは、
やはりおかしい。
まだ肺に相当の水が残っていると考えた方がよい。
肺の半分くらいか四分の一かしらんがそのくらいが水浸しでも、別に呼吸には影響しないのかもしれないが、
激しい運動や腹の張りなどにはやはり影響してくるということだろうか。

ともかく肺に水を入れないよう、入ってしまったらじっくり抜けるまで気長に待つ。
運動ができるようになったら無理ない範囲でやる。

みんなから早く病院いけといわれる。もっともな話である。

闘病

闘病という二文字がふさわしい今日という日だった。
「入院」「手術」「休職」などという言葉も頭によぎる。しかしできるだけそうならないよう節制して生きて行こう。

腹が張っているあいだは、肺に水がたまってるから、極力飲食や運動は控える。とにかく安静に。
酒はあまり関係ない気もするが、やはり控える。
肺から水が引いたら、いままで以上に積極的に運動し、栄養もきちんと摂る。こんな感じだろうか。

これから長くて40年くらい生きるとしてその大半がこんな闘病生活かと思うと萎えるなあ。
せいぜいおもしろおかしく暮らそう。

なんか家にずっとこもると退屈なんで Tomb Raider 3 Gold Lost Artfiact などやってる。
Sleeping with the Fishes というところまで来た。

動機

なぜ私が自分で小説を書くかという理由の、おそらくかなりの割合を占めるのは、
今の世の中の小説を読んでもどれも面白くないから、自分で読んで面白いものを書きたいということだ。
しかしこれはマーケティング的に言えばかなり無謀であり、
普通の職歴、普通の学歴の人たちは普通のテレビ番組を見て、普通の小説を読み、普通のアニメを見るものだ。
このあたりが一番読者層が厚くて、要するに売れる。
もっと言えばテレビドラマの原作にでもなりそうな小説というのが一番売れる。
さらに言えば、それ以外の小説というのは、流通に乗せてももうからない。
だから最初から乗らない。

そういう意味では、私の書くものは、普通の恋愛小説からはかなりはずしてあるし、
歴史小説と一般に言われるものからもそうとう逸脱している。

たとえばスースは田舎育ちの箱入り娘で才女で酒好きで理系大学院進学希望で男をいまだ知らないという設定だが、誰が感情移入できるのだろうか。
書いていて気がめいる。

うーんなんちゅうか。

500万円でCD買うのも、車買うのも、酒飲んだくれるのも結局同じじゃねーのか。ただの趣味だよな。

自分の中では上の三つのうち一番無駄なのは車だと思うが。
結局、道具でしかない車とかPCとかに金かけてるのが一番むなしい。仕事で使うなら経費で落とせばそれで良いわけで。

常々言っていることだが、タクシーを公共交通機関として認めて、今の運賃の十分の一にする。それで、自家用車にわざわざ乗るやつは激減する。
わざわざ個人で所有するやつもいなくなる。
ついでに個人で運転するやつの免許取得をはるかに難しく、コストも高くする。
そうすりゃ交通事故も減る。
いいことづくめだろ。
それが実現しないのは自動車産業のせいだ。
それと交通課の利権?
まあいい。
ともかくさっさと自動運転を実用化してもらいたい。
自分のテクニックで公道で車を運転していると錯覚している連中をなんとかしてくれ。
あと自転車もなー。

肺の調子

また肺に水をためてしまった。
肺に水がたまるのは一瞬。
それがほぼ完全に抜けるのに五日か一週間くらいかかることがほぼわかった。
だいたいどんな状況で肺静脈に圧力をかけてしまい、水が肺にたまるのか、
わかってきた。それを回避して、
肺に水をためないように。用心して生きていく。
できれば心臓をも少し鍛えて、肺静脈に負担をかけないような心臓にしていきたいものだ。

肺から完全に水が抜ける前に、運動をすると心臓に負担をかけるので危険だ。
逆に抜けてしまうと、かなりきつい運動をしても、心臓の鼓動はさほど増えない。

スース2

[スース](http://p.booklog.jp/book/27144)の続編
[スース2](http://p.booklog.jp/book/27939)をほぼ書き終えた。
『スース』はけっこうダウンロードもPVも多くて、そのうち『超ヒモ理論I』を超えそうな勢いだ。
なぜかはわからないが、それで励まされて、続編を書いてしまったのだが、
しかし思うに、この『スース2』みたいな話を喜ぶ読者というのがどのくらいいるものなのだろうか。
そもそも『スース』がなぜこんなに読まれているのかもわからん。

だいたいパブーというところは、ただ小説を公開しただけでは埋もれてしまうだけのはずだが、
いったいどこからどうみつけてきて、『スース』までたどり着くのか。
単に「女子大生」とかでググって来ているだけなのか。
謎だ。

それから

> ぼんやりして、少時(しばらく)、赤ん坊の頭(あたま)程もある大きな花の色を見詰めてゐた彼は、急に思ひ出した様に、寐ながら胸の上に手を当(あ)てゝ、又心臓の鼓動を検し始めた。寐ながら胸の脈(みやく)を聴(き)いて見るのは彼の近来の癖になつてゐる。動悸は相変らず落ち付いて確(たしか)に打つてゐた。彼は胸に手を当(あ)てた儘、此鼓動の下に、温(あたた)かい紅(くれなゐ)の血潮の緩く流れる様(さま)を想像して見た。是が命(いのち)であると考へた。自分は今流れる命(いのち)を掌(てのひら)で抑へてゐるんだと考へた。それから、此掌(てのひら)に応(こた)へる、時計の針に似た響(ひゞき)は、自分を死(し)に誘(いざな)ふ警鐘の様なものであると考へた。此警鐘を聞くことなしに生(い)きてゐられたなら、――血を盛(も)る袋(ふくろ)が、時(とき)を盛(も)る袋(ふくろ)の用を兼ねなかつたなら、如何(いか)に自分は気楽だらう。如何に自分は絶対に生(せい)を味はひ得るだらう。けれども――代助(だいすけ)は覚えず悚(ぞつ)とした。彼は血潮(ちしほ)によつて打たるゝ掛念のない、静かな心臓を想像するに堪へぬ程に、生(い)きたがる男である。彼は時々(とき/″\)寐(ね)ながら、左の乳(ちゝ)の下(した)に手を置いて、もし、此所(こゝ)を鉄槌(かなづち)で一つ撲(どや)されたならと思ふ事がある。彼は健全に生きてゐながら、此生きてゐるといふ大丈夫な事実を、殆んど奇蹟の如き僥倖とのみ自覚し出す事さへある。

夏目漱石『それから』の冒頭部分だが、まあまさに今、そんな心境だわな。
漱石が42才頃の作品。うーむ。