アンティオキア湖。イッソスからタプサコスまで。

アンティオキアはセレウコスの父アンティオコスにちなんでセレウコスが建設した都市だが、 もともとここには[アララハ](https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%A9%E3%83%8F)という古代都市があったが、セレウコスの時代には廃墟になっていたと思われる。

アンティオキアはオロンテス川が流れ込み、流れ出す、アンティオキア湖のほとりにあった。 今は灌漑されて小さくなったが、かつてはもっと大きな湖であったはずで、したがって、イッソスからハルペへ行く途中はこの湖を迂回せねばならなかったはずだ。

google maps で地形を表示すると真っ平らなので、かつてこの平原が湖であったことは明白である。

イッソスからアンティオキア湖まではかなり急峻な山道を通らねばならない。

オロンテス川は大地溝帯の北端に当たっていて、このアンティオキア湖はその地溝帯の谷間にあったのである。 地形的にはイスラエルの死海やガリラヤ湖と同じ。

タプサコスの渡し場のあたりは、地形図で見ると平地ではなくて山地になっている。 エウフラテスの川幅が狭まっている箇所ということだろうと思う。 川の中に中州というか島がある。 ここに舟を並べて舟橋にして渡ったのであろうと思う。

クセノフォンの『アナバシス』に、 [ミュリアンドス Myriandros](https://en.wikipedia.org/wiki/Myriandus) という地名が出てくる。フェニキア人が住むシリアの海辺の町。ここはイッソスのアレクサンドリア、今のイスケンデルンである。 商業の中心地とある。

ミュリアンドスを出て行程4日、20パラサンゲス(1パラサンゲスは30スタディア、5.4km)でカロス川についた、とある。 このカロス川というのは、今のアレッポの町の中を流れる[クウェイク(Queiq) 川](https://en.wikipedia.org/wiki/Queiq)であるという。 従ってこのカロス川が流れる町はアレッポ、古代の呼び名で Khalpe となる。 ハルペの住人は魚と鳩を食べないとある。 これはおそらく魚はダゴンの使いであり、鳩はイシュタルの使いであるからだ。 ダゴンはもともとはフェニキア人の神であり、それもハルペ南西55kmにあった[エブラ](https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%96%E3%83%A9)という町の主神であったろうと考えられる。 ハルペ住人がダゴンを信仰していて魚を食べなかったのはほぼ間違いないように思われる。 日本語のウィキペディアには、ダゴンはヘブライ語由来だと書かれているのだが、そんなことはない。 ダゴンはクトゥルフ神話で有名だが、これはラヴクラフトが適当に考えた世界観である。

鳩を食べないというのは、おそらくイシュタル信仰のためだ。イシュタルは鳩が好きで、自らも鳩の姿をしている。 それゆえイシュタルの羽根と足は鳩のものなのだ。

クセノフォンの『アナバシス』はヘロドトスの『歴史』に比べると描写がずっと具体的である。

カロス川から行程5日、30パラサンゲスでダルダス川に着くとあるが、 これは al-Bab という町を流れる[Dhahab 川](https://en.wikipedia.org/wiki/Dhahab_River) であろう。

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