結構百人一首に採られてるな。
> 43 心あらん 人にみせばや 津の國の 難波わたりの 春のけしきを
能因法師。ジャストシステム様、能因法師を一発変換できるようにして欲しいです。
> 46 立はなれ 澤べになるゝ 春駒は おのがかげをや 友とみるらん
着眼点がおもしろい。公任。
> 52 春の夜の やみにしなれば 匂ひくる 梅より外の 花なかりけり
これも公任
> 55 我やどの 垣根のうめの うつり香に 獨ねもせぬ 心地こそすれ
詠み人知らず
> 57 春はたゞ 我宿にのみ 梅さかば かれにし人も 見にときなまし
和泉式部の歌。すばらしい。
> 62 我宿に うゑぬばかりぞ 梅花 あるじなりとも かばかりぞみん
主でさえこれほどに見るだろうか。
> 89 いづれをか わきてをらまし 山櫻 心うつらぬ えだしなければ
> 93 白河院にて、花を見てよみ侍りける 民部卿長家
> あづまぢの 人にとはばや 白川の 關にもかくや 花はにほふと
これはおもしろい。感動した。
> 160 聲絶ず さへづれ野べの 百千鳥 殘りすくなき 春にやはあらぬ
> 165 四月ついたちの日、よめる 和泉式部
> さくら色に そめし衣を ぬぎかへて やま郭公 けふよりぞまつ
> 214 さみだれの 空なつかしく にほふ哉 花たちばなに 風や吹らん
相模。さらりと。
> 216 おともせで おもひにもゆる 螢こそ なく虫よりも 哀なりけれ
重之
> 217 宇治前太政大臣卅講の後、歌合し侍りけるに、螢をよめる 藤原良經朝臣
> 澤水に 空なる星の うつるかと みゆるは夜はの ほたる也けり
> 229 夏の夜凉しき心をよみ侍りける 堀河右大臣
> ほどもなく 夏の凉しく 成ぬるは 人にしられで 秋やきぬらん
> 265 秋も秋こよひもこよひ月も月ところもところ見る君も君
詠み人しらず。
> 379 大井川ふるき流れをたづね来て嵐の山のもみぢをぞ見る
白河天皇御製。
宇多上皇が御幸した大井川(大堰川)とはやはり嵐山あたりの桂川のことを言うわけだ。
> 390 さびしさに煙をだにもたたじとて柴折りくぶる冬の山里
和泉式部。
> 404 いづかたと甲斐の白根はしらねども雪ふるごとに思ひこそやれ
> 539 立ちのぼる煙につけて思ふかないつまた我を人のかく見む
和泉式部
> 607 かくなむと海人のいさり火ほのめかせ磯べの波のをりもよからば
源頼光。これは珍しい。
頼光が歌を詠むというのが珍しいし、「なむ」が歌に使われるのが珍しい。
> 611 おぼめくなたれともなくてよひよひに夢に見えけむわれぞその人
和泉式部。これも珍しい。「おぼめくな」などという口語的な言い方をするとは。
> 624 こほりとも人の心を思はばやけさ立つ春の風にとくべく
能因法師。貫之の、袖ひちて結びし水の凍れるを春立つけふの風やとくらむ、が本歌であろうが、
うまくひねってある。
> 625 満つ潮の干るまだになき浦なれやかよふ千鳥の跡も見えぬは
> 635 したきゆる雪間の草のめづらしくわが思ふ人に逢ひみてしがな
和泉式部。序詞がうまく効いてる。
> 646 つれもなき人もあはれといひてまし恋するほどを知らせだにせば
赤染右衛門。どうかこれは。
> 657 恋死なむいのちはことの数ならでつれなき人のはてぞゆかしき
> 658 つれなくてやみぬる人にいまはただ恋死ぬとだに聞かせてしがな
陳腐ではあるがなかなかおもしろい。
> 664 ほどもなく恋ふる心はなになれや知らでだにこそ年はへにしか
> 678 たのむるをたのむべきにはあらねども待つとはなくて待たれもやせん
相模。期待させるあなたに期待はしないが待つとはなしに待つかもしれません。
なんかな。
> 708 風の音の身にしむばかりきこゆるは我が身に秋やちかくなるらむ
詠み人知らず
> 712 明日ならば忘らるる身になりぬべしけふを過ぐさぬ命ともがな
赤染右衛門。
忘れじの行く末までは難ければ今日を限りの命ともがな、の本歌か。
赤染右衛門のやけくそな感じがおもしろい。
君がため惜しからざりし命さへながくもがなと思ひけるかな、の真逆を言っているのがおもしろい。
> 753 来じとだにいはで絶えなばうかりける人のまことをいかで知らまし
相模。
もう来ないといって来なくなった人へ。
来ないとすら言わず来なくなったなら、つらい人の本心をどうやって知ることができよう
(来ないと言い残したので本心は知っている)。
なんかもうね。
> 754 たが袖に君重ぬらむからころもよなよな我に片敷かせつつ
これも相模。すごい歌だな。
中島みゆきみたいだな。
> 755 黒髪のみだれも知らずうちふせばまづかきやりし人ぞこひしき。
和泉式部。
これ有名。これ知ってる。
> 779 こひすとも涙の色のなかりせばしばしは人に知られざらまし
良い歌だなこれ。弁乳母。
> 790 世の中に恋てふ色はなけれどもふかく身にしむものにぞありける
これも和泉式部。さらっと。でも良い歌。
「恋てふ色」なかなか詠めそうで詠めぬよなあ。
> 796 荒磯海の浜のまさごをみなもがなひとり寝る夜の数にとるべく
相模。荒磯海の浜の真砂を全部欲しいと。
> 797 かぞふれば空なる星も知るものをなにをつらさの数にとらまし
藤原長能。星の数は数えられても、つらさの数をどうやってはかればよいのか。
> 798 つれづれと思へば長き春の日にたのむこととはながめをぞする
眺めているしかない。つまり期待できることはない。
> 801 君こふる心はちぢにくだくれどひとつも失せぬものにぞありける
和泉式部。
> 810 君がためおつる涙の玉ならばつらぬきかけて見せましものを
ありがち。
> 811 契りあらば思ふがごとぞ思はましあやしや何のむくいなるらむ
> 812 けふ死なばあすまでものは思はじと思ふにだにもかなはぬぞうき
> 816 神無月よはのしぐれにことよせて片敷く袖をほしぞわづらふ
相模
> 820 人の身も恋にはかへつ夏虫のあらはに燃ゆと見えぬばかりぞ
和泉式部。夏の虫が燃えて死ぬように、
人の身も恋に燃やして代えてしまおう。
> 826 うしとてもさらに思ひぞかへされぬ恋は裏なきものにぞありける
> 831 白露も夢もこの世もまぼろしもたとへていへばひさしかりけり
和泉式部。これもなんか知ってるな。
とりあえずこのへんにしとく。
後拾遺集はやっぱすごいわ。とくに和泉式部。
相模もすごい。
選者に共感するところがある。
でね、後世まあ定家とかがつまみぐいした百人一首が流行ったおかげで、
定家的に解釈される傾向があるのだが、
つまみぐあいによれば後拾遺集は写実的な歌ばかりのようにもみえ、
定家みたいにつまめば幽玄有情みたいにみえなくもない。
どちらともとりえる。
少なくとも後拾遺集は古今集の影響はそれほど無いとみた。
もちろんだじゃれや掛詞だけのうたもあるからそれが貫之の二番煎じだというようにピックアップすることもできるのだが、それはあまりにも後拾遺集というものをゆがめてみすぎだと思う。