亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

Archive for 8月, 2015

08.30.2015 · Posted in 雑感

ヨハンナの長兄はテオドールTheodor。 1846年に医師免許を取り、 1847年に軍医として分離同盟戦争(スイスの内戦)に従軍。

次兄はクリスチャンChristian。 1847年頃にベルリンに留学。ブラジルに渡り、農場を作る。

もう一人男子がいたが早世した。

姉妹は、アンナAnna 25、ヨハンナJohanna 23、エガEga 19、メタMeta 14。 1850年時点で彼女らはみなまだ実家にいた。

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『正法眼蔵随聞記』2-1

08.29.2015 · Posted in 宗教

是によりて一門の同学五根房故葉上僧正の弟子が、唐土の禅院にて持斎を固く守りて、戒経を終日誦せしをば、教へて捨てしめたりしなり。

葉上とはまさしく栄西のことである。 道元が栄西のことを「一門の同学」と呼んでいるのは興味深い。 このくだりは、仏像や仏舎利などを崇拝したり、戒律を遵守し一日中読経するのは、あまりにやりすぎれば逆に外道となる、 南宋の僧も必ずしも戒律にはこだわらなかったし、栄西も戒律にこだわるのを捨てさせたというのである。

道元は栄西を同じ宗派だと考えていたのだろうか。

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wenn, sollte dann

08.21.2015 · Posted in ドイツ語

いつもの長文(というより、長いセンテンス)の時間です。

Wenn wir Menschenkinder kaum ertragen können, die Fehler und Flecken zu sehen, die uns und unsere Mitmenschen entstellen und erniedrigen und um so schärfer sehen, je mehr uns an den Menschen gelegen ist, sollte dann nicht unser Herr und Gott immer noch schärfer sehen und es noch genauer mit uns nehmen?

全体的に見ると

wenn もしなんとかならば, sollte dann であるべきだ

という形になっている。sollte はここでは助動詞。sollen の過去形とみると意味がおかしい。

「もし、私たち人の子が、ほとんど耐えることができなかったら」その目的語は「誤りや汚点を見ること」である。そのあとの die は「誤りや汚点」を受けていて、

die uns und unsere Mitmenschen entstellen und erniedrigen

私たちや私たちの同胞を損ね、貶める

und (die) um so schärfer sehen, je mehr uns an den Menschen gelegen ist

厳密に見れば見るほどににますます人々にとって重要になる

となる。 gelegen はここでは明らかに形容詞(ふさわしい、重要な)であり、かつ、

人3 an 物4 gelegen sein

だれそれにとって何々は重要である、というイディオムになっている。 また

je 比較級、um so 比較級

もイディオムである。

それでまあ、直訳すれば、「私たちや私たちの同胞を損ね、貶める、しかしながら厳密に見ればみるほどに重要になっていく誤りや欠点を、私たちがほとんど直視できないとしても、私たちの主と神はいつも厳密に見ているのだから、私たちもやはり厳密に受け止めるべきではなかろうか。」とでもなるだろうか。 最後のあたりが少し自信がないが、主語は es ではなくて unser Herr und Gott であり、es は目的語だろう。 いずれにしても、訳してみると、べつにこんなに馬鹿丁寧に訳す必要のあることではない。 てきとうに意訳しておけば十分だろう。

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dagegen

08.03.2015 · Posted in ドイツ語

Fanden nun Vater und Mutter ihren besten Trost und die befriedigende Nahrung für ihr inneres Leben in den Worten des alten Bibelbuches und solcher Schriften, die desselben Sinnes waren, so war es dagegen den Bedürfnissen ihrer Natur gemäß, aus den Worten der Dichter und Weisen zu schöpfen, die ihren Blick weiteten, ihr Denken erhellten und ihr ganzes Wesen festeten, daß sie, der eigenen Kraft bewußt, gerüstet dem Leben entgegentreten könnte.

なんと長い、そしてコンマの多いセンテンスだろうか。 これは A, so B, daß C と言う形になっていると解釈できよう。

A の部分は

父と母は古い聖書などの書物の言葉の中から、彼女のために、元気と心の糧を見つけた。 それらはおよそ同じような意味合いだった。

B の部分は

しかしそれゆえにそれらの宗教的な文句は彼女自身の好みに反していた。

彼女の好みというのは aus den Worten der Dichter und Weisen zu schöpfen という zu 不定詞句が Bedürfnissen ihrer Natur gemäß にかかるとみて、

詩人や賢者の言葉から生まれ出て、 彼女の視野を広げ、 彼女の考えを明解にし、彼女の本質を確立してくれるもの

である。 そして C の部分は

自分自身の力を自覚し、 すでに自分なりに理論武装していた彼女は、人生に立ち向かっていけた。

となるだろう。

前半部分の父母の宗教的な好みと、 後半部分の彼女の詩的な好みが対比されている、と見るべきだ。 dagegen があるのでそれがわかりやすい。

「, so」や「, daß」などでセンテンスが大きく切れている、 ということに着目すべきだ。

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