和歌とプロパガンダ

伊東静雄の詩を読むと、
当時の日本人の昂揚と、そこから突き落とされた絶望が刻まれていてつらい。
伊東静雄は戦前はドイツ語訳風な漢語調の硬派な詩を作った。
しかし戦中は大和言葉で詩を作った。
戦後、ふつうの話し言葉で詩を書くようになった。

伊東静雄もまた国粋主義に振り回された一人だった。

国威高揚のための国粋主義は極めて危険だ。
大和言葉もファナティックな思想の道具とみなされてしまった。
非常に不幸なことだ。
上田秋成も本居宣長も大和言葉や和歌がプロパガンダに使われるとは思ってもいなかっただろう。

私の祖父も戦中に大和言葉で和歌を詠んだ。
伊東静雄とまったく同じだと思った。
戦争だから和歌を詠むというのはあまりにも悲しい。
戦後和歌が忌避され、醜悪な現代短歌が生まれたのは、和歌をプロパガンダに使ったせいだ。

ツイッターでわざと歴史的仮名遣いを用いたり、
天皇は万世一系でうんぬんと賛美したりするのを見るのはつらい。
我々は一度挫折と失敗を経験したのだからそこから学び、その経験を活かすべきではないのか?

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