鳥羽院は、和歌だけでなく、芸能全般に興味がなかったっぽいな。
待賢門院は、芸者そのものであったから、鳥羽天皇は困っただろう。
> 白河院の寵妃・祇園女御に鮮鳥を献上し、父に続いてこの女御に仕えた。
平正盛、忠盛が親子で祇園女御に仕えたと。
> 鳥羽天皇に入内した藤原璋子(待賢門院)の政所別当となる。
璋子は祇園女御の養女で、しかも清盛は祇園女御の妹の子、とある。
祇園女御の妹、といっても、遊女であれば、実の妹ではないかもしれない。
祇園女御に仕えつつ、その妹分の女を妾にもった、というような意味か。
Visited 14 times, 1 visit(s) today