> 歌の学び有リ、それにも、歌をのみよむと、ふるき歌集物語書などを解キ明らむるとの二タやうあり
> 歌をよむ事をのみわざとすると、此歌学の方をむねとすると、二やうなるうちに、かの顕昭をはじめとして、今の世にいたりても、歌学のかたよろしき人は、大抵いづれも、歌よむかたつたなくて、歌は、歌学のなき人に上手がおほきもの也、こは専一にすると、然らざるとによりて、さるだうりも有ルにや、さりとて歌学のよき人のよめる歌は、皆必ズわろきものと、定めて心得るはひがこと也、此二すぢの心ばへを、よく心得わきまへたらんには、歌学いかでか歌よむ妨ゲとはならん、妨ゲとなりて、よき歌をえよまぬは、そのわきまへのあしきが故也、然れども歌学の方は、大概にても有べし、歌よむかたをこそ、むねとはせまほしけれ
宣長は、「うひやまふみ」で、詠歌と歌学と二つがあって、
歌学がよい人はだいたい歌を詠むのが下手で、歌学のない人のほうが歌はうまい。
しかし歌学の良い人は必ず歌が下手だというわけではない。
詠歌と歌学という二つのものそれぞれの性質(こころばへ)を心得ていれば、歌学が詠歌の妨げとなるはずはない。
良い歌が詠めないのはそのわきまえがないからだ。
しかし、歌学のほうはだいたいでよく、歌を詠むほうをこそ大切にするべきだ。
などと言っている。
これは宣長自身が戒めとして言っていることに違いない。
あるいは契沖や頓阿のことを言っているのだろう。
宣長は国学者であり、歌学者であった。古学を解き明らめることを得意とする人であった。
しかしなによりも歌人たることに憧れていたし、歌人であることに至上の価値を見出していた人だった、と言えないだろうか。
少なくとも詠歌よりも歌学のほうが、歌学よりも古学のほうが重要で、(古事記などの)古学に励みなさい、などというはずがない。