宣長「手枕」

宣長が源氏物語に欠損する巻を補うために書いたという擬古文の「手枕」を読んでみようかと思ったが、それなりに難しいので、ネットで検索してみると、京都歴史研究会というところに 宣長「手枕」現代語訳 というものがある。これは労作だ。他にもいろいろ面白そうな読み物があるのでそのうち読んでみよう。

追記: こちらが移転先であると思われる。

で、六条御息所の年齢についてなど読むと、御息所の年齢に矛盾があるので、その夫、つまり前坊(先の東宮、つまり皇太子)は、皇太子だったのだけど早死にしたので即位しなかったのではなく、何らかの理由で皇太子を廃されたことになるらしいのである。宣長の手枕では

どのような御心情を御持ちになられたのでしょうか、世間をどうにもならず空しいものと御考えになり、常々、何とかしてこのような苦痛で気詰まりな身の上でなく、生きている限りは、心穏やかでのんびりと、思い残す事無く、好きなようにして、日を明かし暮らしていく方法がないものだろうか、とばかり御考えになり時を過ごしておられたが、とうとう御考えのように、東宮を辞退申し上げなさり、六条京極辺りに居住してらっしゃる。

として、東宮みずからその地位を辞して(おそらく臣籍降下というのでなく、ただの親王となって)、のちの御息所の住居である、六条京極辺りに移り住んだ、としているのである。宣長自身の註釈に

このふみは、源氏の物語に、六条の御息所の御事の、はじめの見えざなるを、かのものがたりの詞つきをまねびて、ものせるなり

とある(鈴屋集七・鈴屋文集下)。思うに、宣長がこの文を執筆したいと思った理由は、単に源氏物語風の擬古文を書いてみたかったとか、源氏物語に欠落した源氏と御息所のなれそめについての巻を補完したかったということもあるだろうが、源氏物語を研究していてわいてきた疑問点や不審点、特に御息所の年齢問題に、きちんとした解決を与えたかったのだろう。

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