西行の歌に
> 願はくは花の下にて春死なむその如月の望月の頃
というのがあるのだが、旧暦2月15日はおよそ春分の日のことであり、
桜が咲くには早すぎる、と以前から思っていた。
旧暦2月15日は釈迦涅槃の日でもあって、
娑羅双樹の木の下で死んだことになっているから、
ここで花というのはおそらく娑羅双樹の花をさしている。
こんなことを私が初めて発見したわけはないと思いググってみると、
川田順という人が「古典日本文学全集西行集」の中で言及しているらしい。
娑羅双樹なんて日本に生えているわけがない。
また娑羅双樹の花が咲くのは初夏であり、
涅槃日とされる春分の日には絶対に咲かない。
また桜の花でもあり得ない。
つまり、「願はくは」は完全に空想の歌であり、
何か具体的な花をさしているのではなく、
ある抽象的・観念的な死の花を言っている。
あるいは死後の西方浄土の世界を詠んでいる。
現実の、春分の頃に咲く梅とか桃とかの花ですらない、ということになる。
おそらく後世の人があやまって(あるいは故意に)山家集の桜の歌の中に「願はくは」の歌を混ぜてしまったのだろう。
特にその次に
> 仏には桜の花をたてまつれ我が後の世を人とぶらはば
をもってきたのはまずかった。
当然「願はくは」の花は桜だという誤解を定着させた。
しかるに、もしこの花が娑羅双樹の花だとわかるように歌集の中に配置されたり詞書がついてたりしたら、このように有名になることも、西行の代表歌になることもなかっただろう。
西行と桜のイメージの相乗効果によってこの歌も西行も有名になったのだ。
こういうふうに後世の人の誤解(脚色)のせいで有名になることはたくさんあると思う。
そもそも釈迦の涅槃が春分の日であるというのも根拠がない。
後世の人がえいやっと春分の日を涅槃日ということにしたのにすぎない。
クリスマスがちょうど冬至の日にあたっているようなものだ。
当然、西行が春分の日に死んだことになってるのもただの伝説にすぎない。
人は真実を知るよりもむしろ美しい嘘にだまされたいものなのだ。
「古今和歌集の真相」の記述も少し書き換える必要がある。
「西行秘伝」はもともとフィクションだからいじる必要はない。
そうして疑ってみると「願はくは」の一つ前の歌
> はなにそむこころのいかで残りけむ捨てはててきと思ふ我が身に
これも実景を詠んだのではなく、釈迦入滅の心境を詠んだものかもしれない、とも思える。
釈迦が死の直前に弟子のアーナンダに「この世界は美しい。そして、人生は甘美である」と言ったとあるが、この時釈迦が見ていた花はマンゴーの花であったかもしれない。そして西行はこの臨終の際に釈迦が言った言葉を和歌に翻訳してみたのかもしれない。