言文一致

たまたまヒマがあって図書館で「小説の書き方」みたいな本に一通り目を通したのだが、
どれもだいたい明治の頃に「言文一致」運動というのがあってそれまでは書き言葉と話し言葉の二種類があったのだが、書き言葉が捨てられて話し言葉で小説を書くようになったなどという説明がある。
これは嘘とまでは言えないがものすごく乱暴な言い方だと思う。

そういうことを言っている人たちは、江戸時代に女子供らが読んでいた、
例えば「春色梅暦」のようなものを読んだことがないのだろう。
もちろん厳密に小説(novel, Roman)と言えばそれば西欧のものだが、
それがそのまま輸入されてそれまでの日本の読み物がすべて淘汰されたのではない。

たとえば「言文一致」で語尾を「だ」とか「です」とか「である」にそろえたという話があるが、
そのこと自体からすでに「話し言葉」ではない。
明らかに、当時の話し言葉からサンプリングした新しい「書き言葉」に他ならない。
つまり明治維新がなって、日本人が誰でも読める本や新聞の文体というものが必要になったから、
それを当時の東京山の手辺りの話し言葉を基準に決めたというのに過ぎない。
それまでは共通語と言えば古典語しかなかった。
完全な正書法をもっていたのは、和歌などに使われる比較的きっちりとした大和言葉しかなかった。
無節操に漢語や仏教用語などを取り込んだ平家物語などは文章に書けば読めなくはないが、
あれを註釈無しで耳で聞いてわかる人はあるまい。
しかし大和言葉ならば意味と音が比較的きちんと対応しているから、
音声だけで意思疎通が可能だった。つまりは「話し言葉」として使うことも可能だった。
もちろん大和言葉だけでは新しい概念を表現できないから漢語など交える必要がある。
本居宣長の玉勝間などもそうして書かれている。
うぞうむぞうの方言に分かれていた封建時代の日本において日本人が誰でも読めるような書籍を書くには宣長のような書き方が一番現実的な文体だった。
そういう古典語が廃れたのはおもに西洋の概念を急速に輸入する必要があったからだ。

「春色梅暦」は当時の江戸の話し言葉で書かれているから今の私たちが読めばものすごく読みにくい。
仮名遣いもむちゃくちゃなので今の現代仮名遣いになれた人も、
当時の歴史的仮名遣いになれた人にもとても読みにくい。
いずれにしても話し言葉をそのまんま文章にした小説というものであれば、
多少の古典的言い回しは混じっていたにせよ、江戸時代にもあったのである。

山東京伝の黄表紙や為永春水らの人情本ですら読みにくかった。
今私たちが聞いている落語にしたって江戸時代のものをそのまま聞けばわからんに決まっている。
落語の多くは、元ネタは江戸時代にもあったかもしれないが、明治になって直したもの、
或いは明治になって新しく書かれたものだ。

話し言葉というものはそのまま文章にすればものすごく読みにくいものだ。
そんなことは今も口述筆記でそのまま話し言葉を記してみただけでわかる。
話し言葉と書き言葉の違いは現代でも歴然としてある。
今の書き言葉が読みやすいのはきちんと全国的な標準が定められて、全国一律で教育され、
またすべての出版社や放送局がその決まりを守っているからに過ぎない。
近代以降の国語はいずれも、多かれ少なかれ人工言語であり、極めて人為的なものだ。

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