二発目以降もよく売れた一発屋

森鴎外は長編も書くが短編も書いている。芥川龍之介だって、菊池寛だって、中島敦だって、志賀直哉だってそうだ。みんないろんなものを書いているが、夏目漱石はほとんど純粋に雑誌か新聞に連載する小説しか書かなかった。

普通小説家になろうとする人は短編か中編を書いてみて、だんだんに長くしていって長編小説を書くものだろう。漱石はいきなり長編を書いた。ずいぶんおかしな人だと思う。これもやはり連載小説という形であったからそうなっただけだとしかいいようがない。

漱石は『猫』以降も、基本的に長編小説しか書いてない。『猫』『坊っちゃん』が雑誌「ホトトギス」連載、『草枕』も雑誌連載、次の『二百十日』は『草枕』の続編か何かのような、熊本の山の中をただ歩きながら登場人物二人が会話ばかりしているへんてこな中編小説。その次の『野分』は「ホトトギス」連載。その後は全部朝日新聞連載。

処女作の『猫』がとにかくいきなり長い。最初は一話読み切りのつもりで、試しに書いてみたんだろうが、好評だったからなし崩しに連載になった。上巻、中巻、下巻と三部に分かれていて、猫が死んで終わりにしたのに、まだ続編を書いてくれと言われたと下巻の序に書いてある。とにかく読者からの要望が多かったからこんなに長い話になったのだろうが、これといってストーリーがあるわけでなく、だらだらと続く話だ。同じことは『坊っちゃん』にも『草枕』にも言えるだろう。

漱石も『こころ』あたりまでくるとちゃんとあらかじめしっかりストーリー構成して計画的に書いているが、『猫』はそうではない。まったく無計画に書いている。『草枕』もストーリーは基本なくて、書きたいことをただ書きたいように書いてみて、それで読者の反応を見ている感じ。『二百十日』はさすがに読者ももうわけがわからなくて、書いている本人もわからなくて、あんな落語か漫才の出来損ないみたいな話になった。

あとから朝日新聞に連載した作品群はともかくとして、基本的に漱石という人は一発屋である、というより二発目以降もよく売れた一発屋という性格の作家であって、人に言われるがままに書いて、それがなぜか毎度好評だったので、書き続けるしかなかった。彼はきっとなぜ自分が小説家のようなことをやっているのか最後までわからなかったのではないか。

当時は病弱で短命な人はいくらでもいたけれども、漱石もやはりそうした一人であって、小説を書き出した頃にはすでに相当病んでいたが、売れっ子作家になり、朝日新聞専属作家になったあとにますます症状が悪化して、死を意識しなくては作家活動もできなくなってしまっていただろうと思う。もしかして創作活動をきっぱりやめてしまえばもう少し長生きできたのかもしれない。そうした創作活動で精神をやられて体を壊してしまう人だったのではなかろうか。自分の好きな物を書くのでなくて、読者の評判を気にしすぎていたのかもしれない。一生熊本辺りで高校教師をしていたほうが楽しく暮らせたのではなかろうか。

自分の話をすると「エウメネス」も最初は、ゲドロシアの沙漠で兵士が捧げた兜一杯の水を捨てる話をメインにした短編だった。ところがこれが良く売れるので続編を3巻目まで出した。それでもまだ売れ続けたので切りのよい6巻目まで書いたのだった。必ずしも長編を書きたかったわけではなく、短編は中編も書いてはいたが、反応を見てだんだんに長編も書くようになった。逆に何の反応も無しに長編を書くことなんかできないと思う。

小説を書き始めたきっかけというのは、もう何度も書いているが、宮本昌孝『義輝異聞』を読んだからだった。ああこういうものを書いてもよいのか、こういう題材であれば私にも書けそうだという気になり、「将軍放浪記」というのを書いた。それより前に「アルプスの少女デーテ」などというものをちょこっと書いたこともあったのだが、何よりも私はたぶん、頼山陽とか本居宣長なんかにはまっていた頃だったから、そういうものをそのまま小説に書くのもありなんだなというとっかかりになった。一度書き始めると現代小説なども書いた。人が書いたものを読むだけというのにすっかり飽きてしまっていたから、自分が読みたいものを自分で書くようになった、というのが一番動機としては近いと思う。

それ以前はいろんなものを乱読していたのだが、久しぶりに部屋の片付けなどするとそうした乱読時代に買った本がたくさん出てきて、塩野七生なんかは今ではまったく嫌いになったけど昔は良く読んだよななどと思い返した。嫌いになったのはこの人が完全に西洋史観に完全に没入した人で、かつ歴史認識にもいろいろ問題があるからで、要するに、司馬遼太郎のたぐいで読めば読むほど嫌になるタイプの小説を書くからである。しかしながら彼女のハンニバル戦記などは「エウメネス」を書く上で大いに影響を受けているには違いない。昔自分が読んだ本を、自分が書いた物の原点を再確認する作業のつもりで読み直している。宮城谷昌光『重耳』は割と好きで読んだが、改めて読んでみてやはり面白いと感じる。他には子母沢寛、陳舜臣、酒見賢一などを読んでいた。宮崎市定は手に入るものはほとんど全部買ってあるのではないかと思う。そうしたものを読んだ上で次第に平家物語とか太平記とか吾妻鏡とか六国史や伊勢物語なんかの、より古いものを直接読むようになっていった。

幸田露伴『努力論』を読んでみたがまったく面白くない。こういう校長先生のお説教みたいな本をよくもまあ書いたもんだとしか思えない。幸田露伴ってどこが面白かったんだろう?

森鴎外の短編はまあまあ面白い。改めて不思議な人だなと思った。というより、鴎外もまた普通の人だし、漱石は漱石で普通の人であっただろうし、露伴は露伴で普通に真面目くさった人だったのだろう。

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