懿子2

角田文衛『待賢門院璋子の生涯』を読んでいて思ったのだが、
白河天皇の最初の后も天皇より11歳も年上で、后が28歳、天皇が17歳。
立太子した年に結婚したそうだ。
これまたかなり無茶な結婚である。

『源氏物語』の桐壺など読むとわかるが、皇子は御曹司といって、元服するまでは母親と一緒に住む。
元服したら一家を構えて別居することになるが、
普通皇子には財産がなく家もないから、金持ちの貴族の娘と結婚して、その貴族に家や所領をもらうことになる。
光源氏の最初の妻もそうだったし、
白河天皇も妻の方が年上。
後白河法皇も同様だった可能性が高い。

待賢門院璋子の父は藤原公実で、璋子の腹違いの姉にあたる女子、公子(きみこ)が、藤原経実に嫁いで生んだ子が懿子である。だから、懿子は璋子の姪にあたる。

また、源有仁は白河天皇の甥にあたるが、
やはり公実の娘をめとり、子供ができなかったのか、懿子を養子にしている。
懿子が皇子時代の後白河天皇と結婚したとき、懿子は24歳。後白河天皇は13歳だった。
実のいとこどうし(祖父がいずれも公実)の結婚ということになる。
とすると、やはり、後白河天皇はしっかりした後見人(この場合は藤原経実)を持つために、
つまり主に財政的な理由で懿子と結婚した、と考えた方がよかろう。

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