亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

Archive for the ‘学問’ Category

plato’s 7th letter

02.01.2017 · Posted in greek

[323δ]

Πλάτων τοῖς Δίωνος οἰκείοις τε καὶ ἑταίροις εὖ πράττειν.

Plato to Dion’s associates and friends wishes well-doing.

Πλάτων プラトン、主格。 τοῖς 定冠詞、複数男性与格。 Δίωνος ディオン、与格? οἰκείος 親しい。 τε καὶ かつまた。 ἑταίρος 親しい。 εὖ 良く。

ἐπεστείλατέ μοι νομίζειν δεῖν τὴν διάνοιαν ὑμῶν εἶναι τὴν αὐτὴν ἣν εἶχεν καὶ δίων, καὶ δὴ καὶ κοινωνεῖν διεκελεύεσθέ

You wrote to me that I ought to consider that your policy was the same as that which Dion had; and moreover you charged me to support it, so far as I can,

[324α]

μοι, καθ᾽ ὅσον οἷός τέ εἰμι ἔργῳ καὶ λόγῳ. ἐγὼ δέ, εἰ μὲν δόξαν καὶ ἐπιθυμίαν τὴν αὐτὴν ἔχετε ἐκείνῳ, σύμφημι κοινωνήσειν, εἰ δὲ μή, βουλεύσεσθαι πολλάκις. τίς δ᾽ ἦν ἡ ἐκείνου διάνοια καὶ ἐπιθυμία, σχεδὸν οὐκ εἰκάζων ἀλλ᾽ ὡς εἰδὼς σαφῶς εἴποιμ᾽ ἄν. ὅτε γὰρ κατ᾽ ἀρχὰς εἰς Συρακούσας ἐγὼ ἀφικόμην, σχεδὸν ἔτη τετταράκοντα γεγονώς, δίων εἶχε τὴν ἡλικίαν ἣν τὰ νῦν Ἱππαρῖνος γέγονεν, καὶ ἣν ἔσχεν

both by deed and word. Now if you really hold the same views and aims as he, I consent to support them, but if not, I will ponder the matter many times over. And what was his policy and his aim I will tell you, and that, as I may say, not from mere conjecture but from certain knowledge. For when I originally arrived at Syracuse, being about forty years old, Dion was of the age which Hipparinus has now reached,1 and the views which he had then come to hold

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02.01.2017 · Posted in 学問

思うに、プラトンやクセノフォン(が書いたとされる著作)は論語とかせいぜい史記くらいのものであり(論語だって孔子が自分で書いたわけじゃない)、 古典ギリシャ語がやっかいだということは置いておいて、書いてあることはシンプルであり、 書いてあるとおりに理解すればよいのだと思う。

ところがプラトンの後、アリストテレスの時代から、ヘレニズムの時代が始まり、ギリシャはペルシャ世界まで膨張する。その西半分はローマに飲み込まれる。 最初はギリシャからローマに一方的に文化が流れ、 ギリシャ語がラテン語に影響を与えたが、次第に融合していき、 ラテン語からギリシャ語にも影響するようになり、 東ローマ時代にはたとえば Eudokia のようにギリシャ語とラテン語の複合語などが使われるようになる。

ローマではラテン語が公用語であり、東ローマではバシレウス2世あたりからギリシャ語が復活した、 などと言われているが、そうではなく、東ローマ、つまりかつてのヘレニズム世界では、 少なくとも民衆の間では、ずっとギリシャ語が使われていたと考えるのが自然ではないか。

それで、東洋では論語の後に孟子が出て、朱子学ができたわけだが、 これは西洋ではギリシャ文芸、特に新約聖書の、ラテン語世界における再解釈に相当する。 宗教改革以降ではこれがさらにドイツ語や英語にとってかわられるのだが、 さらに独自解釈が加えられ、古典ギリシャ文芸のシンプルさが失われ、特に哲学といわれる部分の解釈が、 どうしようもなくゆがんできた。

どうゆがんだかといえばこれも朱子学とだいたい同じであって、 春秋時代の孔子から発祥したいわばボトムアップな儒学の上に道というものを作り、道の上に天というものを作った。 逆に天から道ができ道から儒教ができた、というようにトップダウンに作りかえてしまった。 頭でっかちに抽象的になってしまった。

西欧でも、まずキリスト教神学があって、その下に哲学があって、その下にアリストテレスの百科事典があって、 その下にプラトンらの初期の著作がある、という構図にしてしまった。 だからプラトンがわけのわからないことになってしまったし、 イソクラテスなんてもっとわけがわからない。 西欧は神学が学問の最上位に君臨して支配していた時代があまりにも長いのでどうしてもそうなる。 現代でもだ。

日本の、或いは中国の、近世における古文辞学的手法と、 西洋で起きた聖書から「史的イエス」を文献学的に復元する作業というものは、同時並行して起きた動きだ。 「史的イエス」研究はものすごく発達している。 当然「史的イエス」に対して「キリスト教的イエス」「イスラム教的イエス」「形而上学的イエス」などが副産物として分離され明らかになっている。 本居宣長や契沖の国学、荻生徂徠の古文辞学も相当に高度なものだ。 しかし「史的プラトン」や「史的クセノフォン」「史的アリストテレス」を復元しようという試みはまだまったく不十分としかいいようがない。 一部の研究者はそれに気づいているが、一般にはまったく知られていないようだ。

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01.31.2017 · Posted in 学問

「賢い」は σοφος。 σοφιστης は「賢人」。

φιλοσοφεω は「賢さを好む」。

φιλοσοφιᾱ は「賢さを好むこと」。philosophy。

φιλοσοφος は「賢さを好む」という形容詞。

ὁ φιλοσοφος は「賢さを好む」という形容詞に冠詞がついて名詞化して、「賢さを好む人」。 いわゆる philosopher。

πολιτης は「市民」。 ὁ πολιτικος は「市民の人」という意味だが、プラトンの『ソフィステース』と『ポリティコス』では対義的に使われていて、おそらくソフィステースは(ポリスにおける市民活動を行わない純粋な)学者という意味であり、 これに対してポリティコスは(学問や著述というよりは公の場で活動する)市民という意味であり、 さらには政治家と訳される。

なぜプラトンはソフィステースとポリティコスを対比したがったのか? ソクラテスは、市民であり、賢者であり、政治活動家でもあり、宗教家でもあった。 一人の人間がそれらの要素を合わせ持つほうが自然だ。 イソクラテスはソフィステースの親玉と見なされたが、彼もソクラテスと同じタイプのキャラクターだ。

なぜプラトンはソフィステースとポリテースを対義させなかったのか?

そもそもこの時代ソフィステースとフィロソフォスには区別があったのか? というよりもフィロソフォス、哲学者、などという呼称がすでにあったのか。

政治活動を行わないソフィステース、つまり、 ポリス郊外のアカデメイアやリュケイオンなどの学舎で学問だけ行う人のことをフィロソフォスというのだろうか。 何もかも謎だ。

-ικος という語尾だが、これはラテン語の語尾 -ic と同じなのだが、どちらが先なのだろうか。

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01.31.2017 · Posted in 学問

今更ギリシャ語の勉強をするのかと思うとおっくうになるが、 ギリシャの古典を学ぼうとすると日本語の本だけじゃあ到底足りなくて、 英語の辞書とか英訳とかを読まないわけにはいかない。 英語がある程度読めるようにならないと、 英語の他にもたとえばドイツ語なんかも多少はたしなんでおかないと、 ギリシャ語なんて読んでもつまらんし、続かないのだと思う。 とすれば50過ぎてからギリシャ語を始めるというのもある程度理には適ってそうだ。 65くらいまでは頭もぼけないだろうから、あと10年か15年あまり、 一生懸命勉強してみるのも悪くないかもしれない。

ギリシャ語の研究は、新約聖書は非常に進んでいるが、 ローマが関わってくる前の、プラトンやクセノフォンあたりはかなりぞんざいな感じがする。 未だに、プラトンがアカデメイアで、アリストテレスがリュケイオンで講義した講義ノートというオリジナルのテキストがあって、それを弟子たちがまとめたのだという仮説に基づいている。

私の場合『エウメネス』がそこそこ売れているというのもあり、 完結させてみたいが、そのためには膨大な勉強が要る。 アリストテレス、プラトン、ソクラテス、クセノフォン。 少なくとも英訳、できればギリシャ語の原文を一通り読みたい。 ドイツ語であれほど苦労しておきながら、また、英語も大してできないくせに無謀といえば無謀なのだが、 どうかんがえても和訳されたものを読んでいては何も新しいもの、隠されたものは見えてこないように思う。 ヘレニズムの遺産というのはローマだけに受け継がれたのではなく、ペルシャにも同じくらいに残ったはずだし、イスラムにも遺ったはずなのである。 インドでは仏典にも残っている。 ところが我々はローマの末裔である西欧に伝わり解釈されたギリシャしか知らない。 これがギリシャ理解を阻んでいると私は思っている。 しかしいまさらアラビア語やトルコ語やペルシャ語なんか手を出していられない。 それが悔しい。

ギリシャ語の研究者というのは、海外でも日本でも、ほぼキリスト教徒だろう。 聖書はそれなりに批判にさらされているが、 ギリシャの古典はキリスト教神学に都合の良いように解釈されていて、 また原文に当たる研究者もオックスフォードかケンブリッジ、海外だとハーバードくらいの、 小さなコミュニティにしかいない。 もっといろんなひとがわーっと研究すればだいぶ新しいことがわかるに違いないのである。 今年で52だが、これまでの人生を無駄にしてきたつもりはないが、 もう少しどうにかならなかったのかと思う。

そもそも伊勢物語に手を付けてまだ全然進んでない。 伊勢物語すら終わらせられないのにギリシャ語なんてやってどうするのか。

日本外史も完訳してみたいと考えていた。 不可能ではないと思うが、時間が無限にあるわけではなく、なんでもかんでもやれるわけではないのだ。

私としてはまず古今和歌集を調べた。 その後、藤原定家に寄り道した。 もいっぺん古今和歌集に戻って、古今和歌集と密接な関係にある伊勢物語を調べ始めた。 どうも伊勢物語は、紀有常から在原棟梁に伝わり、紀貫之に伝わり、紀貫之が亡くなったあと、 村上天皇の時代にまとめられたように思う。 この時代には後撰集と古今和歌六帖があり、伊勢物語に良く似た業平集というものもある。 古今和歌六帖の成立は非常に興味ぶかい。 菅原道真は万葉集を知っていたから、新撰万葉集という名の歌集を編んだのだろうが、 古今和歌六帖は万葉集を知らずに、奈良時代の古い和歌も収集したように思われる。 この時代の史書には続日本紀、日本後紀、続日本後紀、文徳実録、三代実録などがあって、 これらも読まないわけにはいかない。 さらに言えば、竹取物語もこの時期に成立したはずであり、 合わせて土佐日記や貫之集、その他の私家集なども読まないわけにはいかない。 江戸時代、特に本居宣長もやりたいし。 和文の研究だけでもこんなにやりたいことがある。困ったものである。

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01.23.2017 · Posted in kindle

私の書いたものの中で、 KENP が一番多いのは明らかに『潜入捜査官マリナ』だ。

売れているのは『エウメネス』シリーズだが、 KENP はそれほどでもない。

『妻が僕を選んだ理由』と『新歌物語』は無料配布なので、 この二冊は、長期的にサブジャンルのランキングに露出するためのものなので、 売れ方というのはよくわからない。

全然まったく読まれても買われてもいないのが 『特務内親王遼子』、『安藤レイ』、『アルプスの少女デーテ』、『司書夢譚』、『巨鐘を撞く者』あたりで、 『スース』、『西行秘伝』、『斎藤さんアラカルト』などもほとんど読まれない。 その他の歴史物はたまに読まれる。

『紫峰軒』もなぜかときどき読まれる。

なぜなのか。

『潜入捜査官マリナ』のKENPが多いというのは途中でやめずにわりと最後まで読んでくれたということなのだろう。 続編を書いてみようかなという気になる。

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01.22.2017 · Posted in 読書

いろんなことがいわれているが、 ようするにタレント本はタレント本に過ぎず、 その本のマーケティングは、無名作家の我々とはまったくことなるわけで、 逆にうちらは、まったく無名なところから、その内容だけで、どこまでのし上がれるかとか、 どういうマーケティングをするかってところが醍醐味なわけなんじゃないのか。

タレントの「芸」というのは、目立ってあばれてふざけることであって、 文芸の「芸」とは異質なものであり、 彼は彼なりに忠実にタレントの芸を演じてみせただけだということだと思う。

でまあ、あれは有名人のネームバリューを借りたいわゆる「タレント本」(ほりえもんとか昔からあるパターン)に炎上商法という合わせ技をしてきて、そこにクラウドファンディングとかキャッチーな風味付けをしたものであった。 そこが少し目新しく、多くの人が釣られた。

名前が知られていたとかすごい肩書きもっていたら、ほんとうに自分の本が面白くて読まれているのかどうか、 証明できないではないか。 私は本が売りたいというよりは、私の本がほんとうに後世に残る価値があるかどうかを見てから死にたい。 しかし見て死ななくてもいい。 死んだ後に証明されればそれでもいい。 生きてるうちに変に人気がでて勘違いして死ぬくらいなら。 本がくそつまらなくても名前が売れていたら本も売れるわけで、 そんな本書いても時間の無駄だと思う。 人生はもっと有意義なことに使いたい。

もちろん多くの目に触れたほうがよいのには違いない。 誰の目にも触れずに埋没してしまえば、どんなに優れていても、評価を受ける機会さえない、ということになる。 だからマーケティングがいかんとは思わない。 三段ロケットの一段目の役割としてのマーケティングはもちろん必要だと思う。

某絵本が23万部売れたとして、ほんとうに内容が優れていて売れたのか、 その証明をしていない。 十分ではない。 メディアに露出し多くの人の目に触れてそこからどれほどの評価を受けるかということが重要ではなかろうか。

そのためには、一発屋でもありたくない。 私の作品のすべてを総合的に判断してもらい、 どこが優れているかということを分析した上で認められたい。

私にも、大したことはないが、そこそこの社会的な肩書きがないわけではない。 前にも書いたが、共著で本を書いたことならある。 だがその名前を出さずにどこまで売れるかってことを試したい気持ちもある。

今のところ、身内に借りを作ってまで広報したいとは思わない、ということもあるし、 たぶん身内がいくら頑張っても大して部数は増えないという計算もある。

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移植

01.22.2017 · Posted in 学問

  • Autotransplantation 自己移植。自分自身への移植。火傷したときの皮膚移植、手術にそなえた貯血、自分の骨の一部を他の場所の失われた骨格り利用するなど。
  • Syngeneic transplantation 同遺伝子的移植。同じ遺伝子を持つ(或いは、ほとんど同等の遺伝子を持つとみなされる)ものどうしの間の移植。一卵性双生児の間の移植など。
  • Allotransplantation 同種移植。種は同じだが異なる個体間の移植。他人への臓器移植、輸血など。allograft、allogeneic transplant、homograft。
  • Xenotransplantation 異種移植。異なる種の間の移植。

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01.10.2017 · Posted in 読書

某G社だが、普通の作家の本も出しているが自費出版に力を入れている。 普通の作家の普通の作品は呼び水だとみて良い。 で、G社が某タレント本をだしたが、その作家は自費で1万部買い取って自分で売ったという。 で、そのやり方をもてはやしているメディアもあるのだが、

これでG社としてみたら、自費出版して1万部も買い取ってもらえれば大喜びなわけである。

で、タレントも一種の炎上商法を兼ねている。 だいたいタレント本ほどどのくらい売れるか読みやすい本はあるまい。 普通に売るよりも、すこし話題性を持たせる広報をうっただけだろ。

どうみても100%やらせとしか思えない事例だ。

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01.08.2017 · Posted in kindle

kindle のプライスマッチだが、 2016年以降でも、 してもらえなかったとか、途中で切られたという人もいて、だんだん不安になってくる。 で、そういう人の作品を kobo や bw で探してみるとすでにもう存在しないようだ。 いったいどうなってるのだろうか。

私はだいぶ精神的にうたれ弱くなった。 酔っ払って変な歌をtwitterで呟き始めた頃からもうダメだったのだが、 ますますダメになっていく。 昔から他人とのもめ事はあったのだ。 しかし今は、人に責められたり、人に怒られたりすることに耐えられなくなった。 人は怒ったり怒られたりして生きていくものだろう。 それを平気でいられなくなったら、他人との交流を極限まで切断して生きていくしかない。

責められたり怒られたり、それがたまりにたまって、ある限度を超えてしまい、 それ以上責められることに耐えられなくなるのだと思う。 つまり、人に責められることに、アレルギー反応を起こしているのだと思う。 一度アレルギーを発症するともうダメだ。どんなささいなことでも気にしてしまう。

私の場合そういうことが多い。 犬がうるさいと感じるようになったのも、ある一線を超えてからだ。それまでは別にどうということもなかった。 タバコも似たようなものかもしれない。

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僭主と王

01.06.2017 · Posted in 歴史

僭主(τυραννος)と王(βασιλεύς)の違いはなんだろうかということをずっと考えていた。

Wikipedia の「僭主」を読んでもよくわからないと思う。 英語由来のタイラントだともっとわからない。タイラントには「暴君」という意味しかない。 これは一般化するよりは、古代ギリシャ世界における特有の呼び分け方だと思ったほうが理解しやすいと思う。

王というのは、血縁と地縁があって、その族長がなるものである。 だから王には血統があって、血筋というものが重視され、才能などはまあどちらでもよいということになる。 族長というものはどんな原始社会にもある。 王は、歴史に残らぬ古代から現代までずっとある君主の形態である。 人の集団は多かれ少なかれ、地縁と血縁、宗教や習俗でできているからであり、それは昔も今も大差ない。

これに対して、僭主はある程度文明が発達した社会にしか生まれ得ないはずである。

たとえば、地縁や血縁が強固なスパルタには僭主は生まれ得ない。王しかうまれない。

いっぽうアテナイやテーバイなどでは、無産階級が生まれ、奴隷や富豪などさまざまな、 地縁とも血縁とも関係のない市民がいた。 同じことはペルシャでもいえるのだが、 ペルシャのような巨大な国では皇帝独裁というものが発達した。 アテナイのようなミニチュアのような国では逆に、市民全員が政治に口出しする直接民主制というものが生まれた。

アテナイでもペルシャでも、一代で財をなしたり、あるいは領主となったり、 あるいは領地を相続したり、あるいは武力にうったえて政治権力をもったり、 戦争に功績があった将軍が民衆の支持を得て独裁を行ったり、 そういう形で僭主が生まれることがあるわけだ。

アテナイでは直接民主制もしくは貴族による寡占政治から逸脱した状態として、僭主が嫌われた。

しかし、ペルシャのように、大昔に支配者と被支配者が完全に分離した社会では、 ある日突然、一般人が領主になることがある。 それは婚姻によるものであったり、 跡取りがない領主が親しい奴隷に領地を相続させたりする。 宮廷の官僚や宦官などが王位を簒奪して領主になることもある。

アテナイではペイシストラトスとかテミストクレスが僭主と呼ばれる。 ペイシストラトスは貴族の親玉だった。無産階級をたくさん雇って農地や鉱山を開発させて一代で巨富を得た。 テミストクレスは戦争の英雄だった。サラミスの海戦でペルシャ艦隊を覆滅させた。 どちらも大衆を扇動して権力を独裁しようとしていると疑われたわけだ。

だけど、同じギリシャ人のポリスでもシチリアあたりだと全然違う。 どちらかといえばペルシャ世界と近い。

ギリシャ本土以外では、領主が血縁以外で継承すると僭主と言われる。 娘婿でもたぶん僭主扱い。 ただそれだけだ。

アテナイでは血縁や地縁が薄れてきたので、王政が貴族政に移行したのだろう。 直接民主制に移行したのは直接的にはペリクレスのせいだが、 狭いポリスで、アゴラに無産市民が集まって好き勝手いう環境が民主制というものを生み出したのだ。 でも同じギリシャ人でも、スパルタではそうはならなかった。 無産市民が発生せず、市民はみな農村にはなればなれで暮らしていたせいだろう。

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