日本文化の恣意的な切り取り

ドナルド・キーンに「三島由紀夫」という文があり、その中で彼は三島が自決に際して詠んだ辞世の歌2首を紹介している。

散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐

益荒男が たばさむ太刀の 鞘鳴りに 幾とせ耐へて 今日の初霜

キーンは

この二首は彼の最後の短歌であると同時に、昭和十七年(一九四二)、十七歳の吟以来、最初の短歌でもある。

と言う。この十七歳の吟とは「大詔」という詩のことであろう。

やすみししわご大皇(おほきみ)の
おほみことのり宣へりし日
もろ鳥は啼きの音をやめ
もろ草はそよぐすべなみ
あめつちは涙せきあへず
寂としてこゑだにもなし
朗々とみことのりはも
葦はらのみづほ国原
みなぎれり げにみちみてり
時しもや南(みんなみ)の海 言挙(ことあげ)の国の首(かうべ)に、
高照らす日の御子の国 流涕の剣は落ちぬ
時しもや声放たれぬ 敵共(あだどち)の船人
玉藻刈る沖にしづめぬ、
かちどきは今しとよめど
吉事(よごと)はもいよゝ重(し)けども
むらぎものわれのこころは いかにせむ
よろこびの声もえあげずたゞ涙すも

祝詞かなにかのように、古語で、大和言葉だけで詠まれているようにみせて実は「寂として」「朗々と」は漢語である。

三島が割腹自殺したのは11月25日である。しかし「散るこそ花」とは桜であろう。季節があってない。またキーンによれば「今日の初霜」と詠んだのは3ヶ月前の7月であったらしい。要するに三島はその場で歌を詠んだのではなくて、かなり久しい以前からこれらの辞世の句を準備していた、ということになろう。長い時間をかけて巧んだ結果がこれだ、ということだ。

三島はたぶん居合刀のことを言っているのだと思うが、私は、そんな鞘鳴りするような刀を見たことがない。居合の演武で、刀が鞘とぶつかってカタカタ音がするなどというぶざまなことはほぼあり得ないと思うのだ。けなしているというより、違和感を感じるというか、何かぎこちない、作り事めいたものをこれらの歌から感じるのである。

歌の嗜みがない人が辞世の歌だけはあらかじめ用意しておく。さいとうたかをの『鬼平犯科帳』には磔になる罪人が辞世を代詠してもらう話があるけれども、そういうことはあっても良いと思う。その上で敢えて言わせてもらうが、和歌というものは、無意識のうちにその場ですっと出てきたものが良いのである。巧んで時間をかけた作り事はすぐに見破られる。異臭がするのだ。作為の後が残る歌はダメだ。そのため歌人はふだんから歌を詠みならして、口慣らしをして、自然と歌が出てくるようにしておく。そうしていくつもいくつも歌を詠んでいって詠草がたまっていって、その中にたまたま良い歌が混じる。歌とはそうしたもののはずだ。

三島はおそらく居合を習ったのだろう。腰に刀をさすようになった。鞘がなるたびに、自決を、あるいは蹶起をうながされているような気持ちになる。その誘惑に、その衝動に、もう何年も耐えてきた。そしてついに今日自決するのだ。今朝、目の前には白い霜がおりている。もちろん腹を切るのも日本刀。介錯で首を落とすのも日本刀。私には戯画としか思えない。

三島由紀夫という人は歌人ではなかった、彼が生涯で詠んだわずか2首の歌、それも辞世の歌をドナルド・キーンがわざわざ取り上げるということに私は嫌な気分がしてならない。世の中にはいろんな歌人がいていろんな歌がある。ドナルド・キーンは日本文学の研究者だ。その彼がなぜこんな特殊で奇妙な歌をわざわざ論じなくてはならないのか。たまたま目に付いたからか。たまたま気になったからか。違うだろう。ある種の悪意、あざとさ、とでもいえそうなものを私は感じる。そこに私は恣意的な切り取りを感じざるを得ないのだ。

この世に存在したすべての日本人のうち、三島由紀夫はおそらく世界で最も有名な日本人であろう。

三島由紀夫はネイティブ並に英語が話せたのでそりゃあ外国人には受けが良かったであったろう。しかもハラキリ自殺までしたのだ。それがキーンの執筆動機か?

キーンは石川啄木についても書いている。キーンが歌人について一番まとまった文章を書いているのは啄木だ。なぜ啄木だったのだろう。啄木は日本を代表する歌人であろうか。最も偉大な歌人であろうか?

啄木は大和歌の破壊者であった。彼は最初まともな古語で和歌を詠んでいたのだが、途中から疑似文語とでもいおうか、へんてこりんな言葉で歌を詠むようになった。彼がきっぱりと因習を離れ、すなおに現代口語で歌を詠むならそれはそれでよかったのだが、大和言葉を変に改造した、気持ちの悪い人工言語を発明した。それは大和言葉をゆがめ、その血に毒を流し、死に至らしめる作用をする。啄木は意図的に大和言葉を殺そうとしてああいう歌を詠んだし、だからこそ啄木は名声を博したのである。おそらくドナルド・キーンはそのことを十分に察知していた。啄木という腹黒い男のことを熟知していたからこそ、ほかの歌人はほっといて、この明治の文明開化期に出てきた旧時代の破壊者啄木を取り上げたのだ。啄木だけを取り上げるということは啄木と対極にいる保守的な歌人らを暗に否定しているのだ。キーンもまた啄木の一味だということだ。

世間ではメディアの切り取りということがしばしば問題視されるが、ドナルド・キーンが、さまざまな日本の文物を見渡した上で、三島由紀夫とか、足利義政とか、石川啄木のような、尋常ではない部分を敢えてピックアップして蒸し返し、さも普遍的な日本文化であるかのように紹介することは、日本文化というものを奇形たらしむることになりはしないか。

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