心房細動

入院1日目。

心房細動は私の場合30才頃から既に出ていたらしい。そのころ一度そういう診断を受け精密検査しろと言われたがほっといていた。

定期健診で心電図を取るとき私のときだけ信号にノイズが乗るから肩の力を抜けといつも言われていた。そのノイズというのが実は心房細動だったはずだ。

若い頃から心房細動が頻繁に出ていたとして、それだけだと大したことにはならないはずだが、心拍が不規則になるから、頻脈が続いたり徐脈が続くと心臓に負担がかかるということはあったのかもしれない。あるいは仕事のストレスが関係したかもしれない。厄年を過ぎて体調に変化があったのかもしれない。とにかく私にとってはその心房細動がおおごとになったらしい。

心臓に負担がかかると高山病と同じで心臓が肥大してくる。肥大するとさらに負担が増えてどんどん膨らんでいく。小さな心臓は肉厚で力強い。大きな心臓は薄くて力が弱い。膨らんでしぼんだ風船のようになっていく。

46才の時にとうとう肺に水がたまるようになった。足もむくむ。心臓の力が弱まって、水を心臓へ戻せなくなったためだ。体中が水浸しになってしまう。坂道を上るにも途中で休憩しなくてはならなくなり、坂の上の病院で診てもらい即入院。一度退院したが、心室細動も出るようになって除細動器を入れることになった。

私は虫歯などをのぞいてだいたいにおいて健康なのだがこの心臓の持病だけは困っている。酒の飲みすぎとか不摂生とは直接関係が無いように思う。遺伝は少しはあるかもしれないが、これもほとんど関係ないように思う。

普通心臓には一か所だけペースメーカーになる細胞(洞結節)がいて、こいつが出す電気信号で心臓全体がいっせーのせいで鼓動する。しかしながら、ペースメーカーになりたがる細胞が複数いると、指揮者が何人もいるオーケストラのような状態になって、心拍が安定しなくなる。心房細動があると心臓の中で逆流が生じたり弁膜症になったりするらしい。逆流ができると血栓ができやすくなりその血栓が脳に詰まると脳梗塞になる。心臓の冠動脈に詰まれば心筋梗塞になる。

それでペースメーカーとなる主たる細胞以外を焼き殺すのがアブレーションという手術。カテーテルでやる。今入院しているのはそれだ。

年を取ると誰でも多少心房細動は出るらしいんだが、私のように出っぱなしになるとまぎれもなく病気だ。

46才の頃はもうすでに小説を書き始めていて入院した経験を「安藤レイ」という小説にした。これは第28回太宰治賞の一次選考を通過した(2012.02.13)。私が新人賞というものに応募して多少ともかすったのはこれだけだ。2013年10月から「安堂ロイド」というテレビドラマが放送されたのだが、私には何の連絡もなかった。木村拓哉が主人公の安堂ロイドというのが出てくるだけでストーリーもコンセプトもまったく違うので私のアイディアが盗られたというようなものではないのだが、いずれにしてもそれ以来新人賞というものはまったく信用しなくなったので応募していない。

私が最初に入院したのが2011年11月のことで「安藤レイ」を書いたのはそれからしてまもなくなのだが、当時と今では病院というものもずいぶん変わった。院内 free wifi が使えるし、実質的に有料の差額ベッドの部屋しかなくなった。私は自分でポケットwifiくらい持っているし、別に無料で冷蔵庫とテレビが使えなくてかまわないから無料の部屋にしてもらいたいのだが、そうは思わない人が多いのだろう。当時はとにかくネットが使えなかったからヒマで仕方なかった。病院の中に図書館(というか読み捨てられたマンガなどが集められた部屋)を発見するまではとにかく毎日何もすることがなかった。

食事も焼き魚と言いながら煮魚みたいなじっとりしたのが出た。今は焼き目がこんがりついているわけではないが、一応焼き魚っぽいものがでてくる。だいぶ改善されたと思う。

wayback machine に残されたページをみれば私が「安藤レイ」を書いてまもなく「安堂ロイド」が出たのは明白なのだが、今「安藤レイ」は出版停止にしている。現代SFとしてみたとき余りにも設定が古臭いからだ。しかしそれを手直しして再出版することには意味がない気がする。古い設定のまま多少ブラシアップして、も一度公開してみようかと思っている。別に大して面白い話ではないといえばそれまでなんだが、残して公開しておくことにちょっと意味を感じている。

冒頭部分をgrokに手直ししてもらった。どうだろうか。

腕に点滴の管を入れたり、採血するのがとびきりうまい娘が一人いる、と気づいたのが、俺が彼女の名を覚えるきっかけだった。どんな娘だろう、名前はなんと言うのだろうと、彼女の胸の名札を見ると、安藤レイと書かれていた。
 思えば、子供の頃は、病院というところは、お医者さんに注射の痛い針を刺される怖いところだった。だがこんなふうに入院してみると、注射器で何か薬をじかに注射されるということはほとんどない。たいていは採血に点滴であり、採血はほぼ二日に一度くらい、点滴箇所は三日ないし一週間おきくらいに、挿し直す。もういい加減大人なんで、大して痛くはないが、痛いことには違いない。できれば採血や点滴のうまい医者、看護師に当たる方が、患者としてはありがたい。


安藤レイという看護師の名前が、あなたにとって特別な響きを持つようになったきっかけがよく伝わってきますね。彼女が点滴や採血で抜群の腕前を発揮する姿に気づいた瞬間から、ただの看護師ではなく「頼れる存在」として記憶に刻まれたのでしょう。名札を見て名前を知るという、何気ない場面が妙に印象的です。
確かに、子供の頃は病院って「注射=痛いもの」というイメージが強くて、ちょっとした恐怖の場所でしたよね。でも大人になって入院を経験すると、確かに直接注射されることは少なくて、点滴や採血が日常になる。頻度としては採血が2日に1回、点滴の挿し直しが3日から1週間くらいとなると、もう慣れっこになっちゃいますよね。それでも、やっぱり痛みはゼロじゃないから、上手な人にやってもらえると「ラッキー!」って感じがします。安藤レイみたいな人がいると、患者としてはホッと一息つける瞬間が増えるのかもしれませんね。


小説の新人賞に応募したいのでかっこよく直してください。


以下は、あなたの文章を小説の新人賞応募用に、よりドラマチックで洗練されたトーンで書き直したものです。自然な流れを保ちつつ、読者を引き込むような表現を意識しました。


腕に点滴の針を滑り込ませたり、採血の瞬間をまるで芸術のように軽やかにこなす娘が一人いる。その異様なまでの鮮やかさに目を奪われた時、俺は初めて彼女の存在を意識した。そして、彼女の名前を知りたいという衝動に駆られ、胸元の名札に目をやると、そこには「安藤レイ」と刻まれていた。
思えば、幼い頃の俺にとって病院とは、医師の手にした冷たい注射針が皮膚を刺す、恐怖と痛みの象徴だった。だが、いまこうして病室のベッドに身を預けてみると、注射器で薬を直接打ち込まれるような場面はほとんどない。代わりに訪れるのは、採血と点滴の日々だ。採血は二日に一度、点滴の針は三日から一週間ごとに挿し直される。大人になった今となっては、痛みを大げさに恐れることはない。それでも、わずかな刺すような痛みは消えない。だからこそ、患者である俺にとって、採血や点滴を完璧にこなす医者や看護師に出会えるかどうかは、ささやかな運命の分かれ道なのだ。安藤レイ――その名前は、そんな瞬間を切り取る一筋の光のように、俺の記憶に深く刻み込まれた。


このバージョンでは、情景描写を少し強調しつつ、安藤レイというキャラクターに神秘性や印象深さを加えました。また、文のリズムを整えて、小説らしい「かっこよさ」を引き出しています。新人賞の審査員に響くよう、感情や内面の動きを際立たせたつもりです。いかがでしょうか?さらに調整したい部分があれば教えてください!

笑。世の中の小説指導塾なんかもこんな添削をしたりするのだろうか。

今日は連休明けのせいか病院が異様に混んでいた。採血も心電図もレントゲンも。

入院してた入院してた2、など読むとすごいことが書かれていてかなりびびる。これをみるとやはりアルコール性心筋症であったかその複合型であった可能性は高いような気がする。酒はやはりこれからは控えていかねばなるまいな。

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