小林秀雄『本居宣長』をまたしても読むことにした。今度は徹底的に読むつもりだ。以前に書いたもの。「本居宣長」連載、小林秀雄 源氏物語、池田雅延氏 小林秀雄を語る。
小林秀雄は1902年生まれ。『本居宣長』は 1904年創刊の月刊の文芸雑誌『新潮』に、1965年から1976年まで、小林秀雄が63歳から74歳まで、64回連載された。隔月くらいの掲載だったのだろうか。これらに1977年、最終章を加筆し、50回にまとめて同年単行本として出版。小林秀雄 78歳。およそ10万部が売れた。さらにその後も『本居宣長補記』の連載を78歳(1980年)まで継続。1983年、小林秀雄没、80歳。ほとんど死ぬまで書き続けた、最晩年の長大作、と言って良い。効なり名を遂げ何を書いても許されるようになった大批評家が、晩年、やや耄碌した頃に書き綴ったよくわからないエッセイだと片付けることもできなくはない。というよりそういう評判の方がずっと多いと思う。また、小林秀雄という人は、戦前も戦後もまったく主義主張を変えなかった人であり、「反省しない人」とか「反省できない人」などとも言われた。その小林秀雄が、若い頃はフランス文芸の翻訳、或いはヨーロッパ芸術の評論などをやっていたが、晩年になって日本固有の「国学」に回帰しちゃった残念な人、というようにもとらえられよう。そういうもろもろが小林秀雄のファンの大半には気に入らないものと思われる。
64回+最終章がどのようにして50回になったかだが、たぶん何回か分をまとめたものがあるという程度のことで、知ったところでどうということはないかもしれない。64回分を1/3くらいに縮めて49回にしたわけだが、もともとがどれほど冗長な文章であったか、雑誌連載をリアルタイムで読んだ人(たとえば白洲正子など)が、それをどれほど退屈な思いで読んだだろうか、ご愁傷様、という気にもなる。
* 1 序章。宣長の墓探訪。14
* 2 宣長の遺言、墓参、法事等。辞世の歌。6
* 3 宣長の少年時代。松坂の生家、生い立ち、家業。京都遊学。12
* 4 大平『恩頼図』。宣長が影響を受けた学者ら。京都時代の師・堀景山。12
* 5 儒学との関わり。孔子。10
* 6 契沖。13
* 7 契沖。水戸光圀。万葉代匠記。12
* 8 中江藤樹。15
* 9 伊藤仁斎。13
* 10 荻生徂徠。11
* 11 儒学まとめ。荒木田久老による宣長(の取り巻き)批判。12
* 12 あしわけ小舟。宣長の学問は真淵に入門する前にすでに方向性が決まっていたということ。7
* 13 もののあはれ。源氏。15
* 14 同上。17
* 15 同上。17
* 16 同上。12
* 17 源氏。契沖。秋成。真淵。17
* 18 源氏。15
* 19 真淵と契沖。真淵の万葉考、枕詞考 16
* 20 宣長と真淵の書簡のやりとり、和歌添削。真淵の破門状。16
* 21 宣長と真淵の対立。16
* 22 万葉調批判。15
* 23 歌とは。語釈は緊要にあらず。15
* 24 源氏の読み方。9
* 25 大和魂 13
* 26 篤胤 12
* 27 業平、土佐日記。言霊、大和心、手弱女ぶり。15
* 28 古事記の文体。18
* 29 津田左右吉による宣長批判。14
* 30 古事記。主に序文。19
* 31 新井白石による古事記評価。14
* 32 荻生徂徠の影響。22
* 33 徂徠。直毘霊。漢意。15
* 34 雑記?10
* 35 雑記?13
* 36 和歌の本義。10
* 37 まごころ 13
* 38 雅の趣、迦微(カミ)。9
* 39 迦微 12
* 40 上田秋成との論争(日の神論争)。14
* 41 続き。13
* 42 続き。8
* 43 熊沢蕃山批判など。学者らしく、もっともらしく処理することの拒絶。「あやしさ」へのこだわり。14
* 44 晩年の真淵。10
* 45 荷田在満、田安宗武、真淵。古事記解釈。14
* 46 続き?13
* 47 続き?14
* 48 続き?「あやしさ」の処理。12
* 49 秋成との論争、再び。15
* 50 終章(1977年10月)24
* 江藤淳との対談(1977年12月)28
* 補記1 (1979年1-2月)
* 1 ソクラテスは神話を信じるかいなか。12
* 2 雑記 21
* 3 真暦考 21
* 補記2 (1980年2-6月)
* 1 13
* 2 17
* 3 16
* 4 19
最初の3章はある程度話の流れがあり、途中にも少し整理して書いているところもあるが、全体に調べたり思いついたりしたことをその順番に記していて、必ずしも一つのテーマで一つの章ができているのではない。特に補記などは、ソクラテスの話と真暦考には一応の流れがあるが、他は後から思いついたことを付け足した雑記になってしまっている。補記を執筆したときにはすでに相当高齢になっているので、論旨もものすごく錯綜しているように思われる。ただまあそれはそれとして辛抱して読んでみるかと思っている。
28回目以降は古事記の話題が中心になり、明らかにどうでも良いような神道教義の解釈うんぬんという話になり、29回目の「津田左右吉「記紀研究」の紹介など」からどうも明らかにテンションが下がりまくり、後はもうどうでも良い感じ。
という感想をかつて書いたわけだが、上田秋成との論争はそれなりに面白いし、神道教義の解釈うんぬんとか古事記伝についての話は以前感じてたほど多くはないなと思った。というより後半へ行くにつれて、雑記感がどんどん強くなっていく。前に言及し忘れていたことをつけたし付け足ししているのが見え見えであり、本来なら全部一度整理し直さなくちゃならないところをそのまま時系列につないであるようだ。だから、誰かが整理してあげるとよいのだろうが、誰がそんな仕事をわざわざ引き受けるだろうか。源氏物語についての箇所も一つにまとめてきちんと筋立てて論じれば面白いと思う。国文学の学生なんかがそういうのを論文にすれば良いと思うが、まあ、誰も注目してはくれないだろうな。
中江藤樹、伊藤仁斎、荻生徂徠なんかはいかにも余計だと思うけど、私もいろいろ調べていくうちに、白洲正子やら柳田国男やら佐佐木信綱のことも一応書いておきたくなるから、それは仕方のないことかもしれない。