都議選

いろいろと面白すぎる(笑)

再生の道、あんだけ候補者立てといて全員落選。なんなのあれ。いったい誰があの石丸って人を持ち上げて盛り上げようとしているわけ?なんか湯水の如く金を支援しているものすごい大金持ちが裏にいるのかな。

さとうさおりさん。普通にすごい。好きか嫌いかといわれれば微妙。深田萌絵さん的なキャラだよな。二人とも非常にあやうい感じだけど、どんどん世の中を引っかき回せば良いと思う。冷静に考えれば今回たまたま一都議になっただけだ。歴史上都議や府議や県議になった人なんて何万人もいる。まだその一人になったに過ぎない、とも言える。だけど普通の都議よりは期待値は高い。

さとうさおりさんといえばつい最近もクラファンで参院選の供託金集めようとしてたよな。たしか今年、千代田区長選挙で江戸城の天守閣再建を公約にしてたよね。もとはといえば菅義偉が言い出したことらしいが。それについては最近 twitter にも書いたのだけど、

2024年12月5日
江戸城再建(笑)

菅義偉が天守閣を再建しようって言ったのか。それで300億円くらい?
午前2:02 · 2024年12月5日

2024年12月5日
せっかくなので本丸とかもろもろも再建しよう。

2024年12月5日
ていうか江戸城を再建するんなら天守閣は無しのまま本丸だけ再建するのが筋なんじゃないの。
天守閣だけあって本丸は無い状態なんて江戸時代には一切なかったわけだし。

2024年12月5日
ついでに首都高を撤去してお濠も昔通りの姿にしようよ。

2022年8月10日
城(特に華美な天守閣)は贅沢品なので、戦時でなければ、財政負担を減らし領民を慈しむためにも、火事や雷で焼けたら再建しないっていうのが善政、という認識があったからではないかね。
江戸城の天守閣などもそう。むしろあるべきところに無いのが平和と治世のシンボルみたいなところあったと思う。

ま、だから、さとうさおりさんが減税党などというのであれば徳川幕府の精神を受け継いで、天守閣は建てないままにして、本丸などを復元して、博物館代わりにすれば良いと思うよ。天守なんてものは織田信長が発明したただのはったりに過ぎないよ。江戸城の価値はあの壮大な縄張り、内堀に外堀にある。だから本気で江戸城を再建しようと思うなら外堀を復活させないと。

天守再建に300億円かかるとして本丸を再建するにはたぶんもっと金がかかる。外堀復活にはもっと金がかかる。しかしそれ以上の観光収入があれば問題無いわけだよな。これ以上東京に観光客が来られても困るがね。だからまず首都移転を先にやって、首都高もみんな撤去して、外堀を復活させて、江戸城を江戸時代のままに戻す。それがほんとうの保守だよ。

さとうさおりさんみたいに積極的にガンガン選挙に立候補してネットに露出していれば今の時代けっこう効き目があるってことなんじゃないのかな。

自民の票が、大阪では維新に、東京では都民ファーストに流れて、全体的にばらけてきていて、ネットに露出している個人(元NHK党やその他のいわゆるネット政党などを含めて)が当選するケースが増えている。以前は自民がダメだから民主に流れたりしたがそれじゃダメだったことがわかったから、自民がダメなら分散するという傾向になっているように思える。私だって今の自民党には入れたくない(笑)。でもその代替で民主党にはもっと入れたくない。となれば第三の選択肢になる、しかない。自民がふがいなさすぎるのがよくない。自民が割れて政党が再編されるまでいってほしい。

参政党は、それなりに議席を取ったということは、少なくとも再生の道なんかよりは一定の支持者がいるということか。党首の経歴とかマスコミから嫌われていることなどから察するに(元)自衛隊員らの人的ネットワークに支援されているということか。

自民党は保守とは言っているけども薩長政権がやったことを保守しようと言っているだけで、徳川幕府なんかがやってたことを保守しようと言っているのではない。今のネットウヨなんかはもっと混乱している。何を保守なきゃいけないかってことがわかってないように思える。もちろん明治政府は良い仕事もした。徳川の治世にも問題はあった。どれが良くどれが悪いと取捨選択すること自体が難しい。革新は古いものは全部ダメだといえばそれで済むから簡単だ。わかりやすい。それが良いかどうかはともかく。いっぽう保守は難しい。難しいにもかかわらず、革新と同じノリで、簡単にこれは保守しましょうというのが好きになれない。人は足利幕府のダメだったところしか見ない。室町時代は文化芸能だけが栄えて発展したなどと軽々しく言う。そんなことは全然無い。あの無茶苦茶な後醍醐天皇、南北朝にしても、ある種の、痛みを伴う改革だったと言えなくもないし、その反省から出てきたのが足利幕府で、あんまりうまく機能しなかったけれど当時としてはそれなりに成果は残したと思う。

ていうような話を司馬遼太郎なんかはまるでわかってないし、坂本龍馬好きな連中もわかってないし、いわゆる保守とかネトウヨという連中はみんなそのたぐいだから、保守は好きだけど保守と言われているもしくは自称している連中は好きじゃない。リベラルとかパヨクに対抗するためにネトウヨはある程度いるほうが良いと思うが、ネトウヨとは歴史認識が違うから賛同できない。

世間一般では、きちんと歴史を勉強して、和歌が詠めるようになってから保守になるのではない。そんな保守いるわけない。私だって子供の頃は歴史も知らなかったし和歌も詠めなかった。ただ保守の表面ではなく根っこのほうに興味があって好きだったから続けられたというのはあると思う。

それはそうと和歌についての本を書き終えてもうだいぶ経つ。和歌のことばかり考えていると和歌のことがわかるようになり歌も自然に詠めるのだが、歌にばかり集中してるわけにはいかないし、飽きも来る。他のことに集中し出すととたんに歌が詠めなくなる。詠もうと思って詠めないことはないが時間がかかるし、頭を無理矢理切り替えなくてはならない。良いものも出てきにくい。和歌が詠める人というのは要するに毎日和歌のことばかり考えて毎日歌を詠んでいる人なのだ。作曲も同じで、作曲のことばかり毎日考えているとそのうちそれらしきものが少しは作れるようになる。しかししばらく離れているとまた作れなくなる。研究も同じだな。ずっと研究し続けてないと研究はできなくなってしまう。ブランクが長ければ長いほどリハビリに時間と努力を要する。

ましかし、それで客観的に、冷静に、自分が書いたものを読めるようになるのは良い。

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