亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

Archive for 4月, 2013

ハナのずぼら飯

04.29.2013 · Posted in kindle

しまった。 ついぽちった。 『だんどりくん』とかはすでに買って読んでるのだが、 カスタマーレビューの否定的なコメントと、 良いと悪いの評価が分かれていたのが面白そうなんで買ってみた。これから読む。

追記:悪くはない。買ってよかった。しかし完全に予想通りの内容だった。 一般女子が買うと裏切られるのだろう。

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銀河英雄伝説

04.29.2013 · Posted in kindle

これも第一巻だけ無料というパターンか。 どうやってこういうの探せばいいの。

そうか、5月2日までなんだ。

酒のほそ道も定価に戻ってる。 タイミングなんだな。 無料キャンペーンだったってことか。 それにしてはkindleランキングに上がってこないようだが。 不思議だの。

追記: うーん。 帝国ってのは近代のオーストリア帝国みたいなものを漠然と参考にしているようだが、 まあ以下略。

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剣菱

04.28.2013 · Posted in kindle

小説に書いてしまうとどうでもいいことまでくよくよと気になるものであり、 フィクションなんだから、頼山陽は通説どおりに大酒飲みという書き方をしても別に誰も怒るまい。 今更、山陽は下戸でしたという設定にしては一から書き直さなくてはならないからしないが、 どうも調べれば調べるほど頼山陽はさほど酒好きではなかったように思われる。 幕末のころに暴れた頼三樹三郎が酒豪であったので、父の山陽にそのイメージが投映されているのかもしれん。 ならそれはそれで面白いことだと思う。

岩波文庫『頼山陽詩抄』にも酒を飲む詩は出てこない。 李白やオマル・ハイヤームみたいにのべつに酒を飲んでいるのではない。

頼山陽が剣菱を飲んだのはほぼ間違いないと思うが、 それ以外の銘柄や酒造についてはよくわからん。 個人が所有している書簡に書いてあるとか、 頼家に伝わる史料にあるとか、 頼山陽全集に書いてあるなどと言われると不勉強な私はご免なさいというしかないのだが、 剣菱などの酒の銘柄を詩に詠んで広告塔になった、などということは、 絶対無いとは言い切れないが、あんまり考えにくい。 そういうことはいかにも三樹三郎あたりがやりそうなことで、 それとごっちゃになっているのではなかろうか。

剣菱は伊丹の酒か灘の酒かということについても諸説あるが、 剣菱は江戸初期から将軍家の御用酒、御膳酒であって、 下り酒の最たるものであった。 頼山陽が広報しなくてもすでに十分に有名な酒であったろう。

となると、伊丹の他の酒造に先駆けて回漕に便利なように灘に工場を作ったと考えるのが自然。 本家は伊丹にありながら工場は灘にあった、 それが大正時代に本社ごと灘に移った、 という辺りが真相なんじゃないかと思うが、 ググっただけではそこまでわからん。 江戸の人間が剣菱は灘の酒だと思っても全然不思議ではない。

ていうかまあ小説を書き直すまでの間違いではないような気がする。

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印税振り込み

04.28.2013 · Posted in kindle

ほんとにアマゾンから銀行に振り込みがあった。 30%アメリカの所得税天引きされてた。 振込手数料はかかってなかった。さすが新生銀行。

4月15日くらいにアメリカにfaxしたから返事が来るのは五月半ばくらいか。

びゅんびゅん売れてはないがときどき1冊ずつくらい売れる。

小説書いて新人賞に応募しだしてだいたい4年くらい。 今後 kindle で 20ないし30冊くらい、いやできればもっとたくさん売って、 それで地味ーに1冊あたり1000部とか売っていければそれでよいのだが、 もちろんそれ以上に売れてくれればうれしい。

今の時代に生まれて、 小説書き始めるのと kdp 始まるのとほとんどシンクロできたのは幸運と言うべきなのだろう。

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山紫水明処

04.27.2013 · Posted in 読書

先日京都に行ったときに、頼山陽の山紫水明処やら墓所やらを見て回ったのだが、 頼山陽は毎日鴨川から水をくんでそれで茶を点てたり、硯に入れたり、 硯を洗ったりしたのだという。 だが実際に水をくんだのは、おそらく、 「みそそぎ川」、つまり高瀬川上流部分のことだろう。 みそそぎ川は今は丸太町通りより南から地上に出てそれより上流は暗渠になっているが、 頼山陽の時代には山紫水明処を出てすぐの鴨川の河原のそばを流れていたのではなかろうか。 だから、

階下浅水流 ・・・ 臨流洗我研

などと言ったのであろう。 鴨川の河原は階下というには広すぎる。 みそそぎ川は当時は上水として飲用されていたと考えられる。 いくらなんでも鴨川から直接水をくんで飲んだりはしないのではなかろうか。 といっても鴨川から分岐するみそそぎ川の取水口は一条通りくらいの堰であるから、 そんなにむちゃくちゃ上流から水を引いているのではない。 しかし、当時は今よりずっと人家も少なかっただろうから、 飲用することもできたのだろう。

鴨川から水をくんで茶を点てる、という言い方はだから間違いとまでは言い切れないが、 少し違う気がする。

みそそぎ川から分流する高瀬川は水運に使われたりして、たぶん上水としての目的には使われてなかっただろう。 誰も直接水をくんで飲もうとはしなかったんじゃなかろうか。

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『巨鐘を撞く者』そろそろ出版

04.26.2013 · Posted in kindle

『巨鐘を撞く者』はもうじき出版されると思う。 だいぶ改稿した。 後半部分は、長谷川哲也『ナポレオン~獅子の時代~』とか司馬遼太郎『花神』などに影響を受けた、 今から読み返すと恥ずかしい内容だったが、 その辺(つまり戦闘シーンなど)はばっさり斬り捨てて、 『将軍家の仲人』とかそっちの得意な方向でまとめ上げた。 たぶん今のほうがずっと良い。 たぶん、私は、剣豪がとか、くノ一がとか、岡っ引きの捕り物がとか、そういう戦闘シーンを描くのが、嫌い。 嫌いだから未だに描写が下手だとおもう。苦手。 ていうかそういうの書く人はたくさんいる、いわゆるレッドオーシャン、そっちで勝負したくない。 戦争の描写はあるがそういう個別の戦闘はほぼ無く、戦術に関してはそこそこあり、 主に全体の戦略しか書かない。 自分がそっちの方が好きで自然とそっちの描写に凝るからしかたない。

2010年9月30日〆切の某新人賞に『将軍放浪記』とともに投稿したものだから、 自分の書いたものの中ではかなり古い。

結局パブーで公開していた小説はすべて非公開にした。 パブーは何も悪くないが、kindleで出版するたびにレビューが長引いたり著作権照会されるのは面倒。 もうこれ以上勝手にテキストをコピペされることを防止するためには、やむを得ない。

『歌詠みに与ふる物語』『アルプスの少女デーテ』『セルジューク戦記』『スース』『超ヒモ理論』。 ふー。まだkindle化してない旧作がかなりあるな。 まあいいや。並行して新作の構想を練るとする。

ていうかまず、『阿佐ヶ谷バンディッツ』と『帝都春暦』を全然違う話に改作するって作業が。

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墨西綺譚

04.23.2013 · Posted in kindle, 雑感

またレビューを書いていただいてありがとうございます。

とにかく人が入り乱れている。誰かに、フォーカスを当てたままで話を進めると、よりよくなるのではないかと思う。

まあ、「川越素描」の中でも自嘲しているのだが、

だいたい、こういうものを読む人たちというのは、主人公に感情移入できないとついていけないわけ。で、自分が主人公になりきって、読者が女なら主人公も女で、好きなタイプの男を捕まえる。読者が男なら主人公も男で好きな女をつかまえる。これだけなのよ。それ以上複雑な人間関係を描こうとすると頭が混乱するから、さらっと読めなくなるわけ。でも、あんまりシンプルでもストーリーを展開しにくいから、登場人物を三人にして、三角関係に持っていくのね。キャラを増やしたければ徐々に。RPGみたいに、レベル上げしながら、仲間を増やしていく感じよ。

だいたい登場人物が多い話ってのは読み切りとか新連載ではあり得ないのよ、特にマンガ。長期連載化して話がマンネリになったから仕方なくキャラ増やして展開させているだけなの。キャラの数にそれ以上の意味なんてありゃしないのよ。『日露戦争物語』みたいに史実だからってどんどんキャラ書いてたらストーリー破綻するわよ。

最初に出てきた人物が原則的に主人公で、話の終わりまでずっと生きてなくちゃだめ。主人公だと思ったら途中で死んで別の主人公に切り替わる、とかやっちゃうと暴動が起きるわよ。

「墨西綺譚」は最初に出てきた人が途中で死んじゃう話であり、 登場人物が多くで誰が主役かわからなくて、 感情移入しにくい話なわけですよ。 人に読ませたら「群像劇」ですかとか「バトルロワイヤル」みたいだと言われた。

うーむ。 しかし「墨西綺譚」はもうこういう話なんだからこれでいくしかないんです。

「作者が神の視点で書いてる」 とも言われた。 そうなのよね、歴史書の書き方なのよね、これは。 だから、その反動で一人称の小説なんかも書いたりしたわけだが。

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著作者の証明

04.23.2013 · Posted in kindle

「巨鐘を撞く者」のレビューがなかなか終わらないのはやはりまたなんか問題あるんじゃないかと思いつつ、 そういえば、大塩平八郎の檄文の現代語訳はだいぶ長い間wikiに掲載していたし、 太平記「吉野城軍事」は今も某wikiに掲載している。 しかもややこしいことには檄文を勝手に全文掲載しているブログまである。 見た感じだと、パブーに公開したほうじゃなくてwikiのをコピーしているね。 なんかウィキペディアの「日本外史」なんかもまるごとコピーしてるねこの人。

そうすると「檄文」と「吉野城軍事」の著作権が私にあることがなんらかの形で証明されないと、 出版できないということになる。 こりゃ困ったね。 どうやって証明しますか。 某wikiの削除記事のログを見せますかね。それで証明できるのかな。

あ、いや、 「吉野城軍事」は「司書夢譚」のほうだった。こっちはすでに審査通ってる。 問題はずいぶん昔に消したはずのwikiを無断転載してるやつがいるってことなわけだが。

削除記事を復元して履歴ごと見てもらうのが一番ですかね。 amazon から google に問い合わせれば初出、 つまり 2007 年くらいの魚拓くらい調べられるんじゃないかな。

おお、wayback machine! 2008年4月15日の版が残ってる。 やったね。 これでちゃんと証拠を示せるぞ。

しかしやばいな。 2000年頃書いた文書がみんな残ってるぞ。 秘密秘密。

しかしまあ、自分の著作物だってことを示すには kdp で出版するのが一番かもしれんね。 きちんと証拠残るわけで。

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send to kindle

04.22.2013 · Posted in kindle

send to kindle の技をマスターした。 kindle previwer で epub を mobi に変換して、 mobi を send to kindle で自分の kindle paperwhite に送る。 そすると kindle にパーソナルとかって普通の一覧に出るから、 それを読む。

でまあワープロで書いてそれをこれまでは印刷して読んだりしてた。 メディアを替えることによって違う気分で、第三者の気分で校正できるわけで、 これは必要なことですよね、と今更思う。 特に一人で書いて自分で校正するには、重要なことだ。 で、kindle previwer でもいいんだが、 kindle 端末でじっくりゆっくり読んだほうがいい。 ま、この技は kdp 以外でも使える気はするが、 ただ校正するためだけに kindle に転送するのはいかにも面倒だわな。

「司書夢譚」を無料キャンペーンにしようと思ってあらためて読んでみたが、 うーむ。これは難しい。 これ読んで私の書いたものを嫌いになられちゃ困るなってくらい難しい。 特に途中の承久の乱が三種の神器がうんぬんのあたり。 ま、しかし、出す予定。 手法としては『川越素描』に似てる。現代小説と歴史小説が並行する感じのもの。

『超ヒモ理論』のブロックは解除してもらえたようだ。 ほっとした。 たぶん著作権侵害がないかどうかコピペルナーみたいな作業をしてるんだろうと思う。

『巨鐘を撞く者』はまだレビュー中。 いろいろプロセスに時間差があるのね。

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閃輝暗点

04.21.2013 · Posted in 読書

芥川龍之介歯車病中雑記

閃輝暗点。 ここに書かれてあるように、 脳の中で何らかの痙攣が起きると血流が止まって視覚がおかしくなる。 歯車のような閃光がみえる。 痙攣がおさまると今度は血流が増大して血管が膨張し偏頭痛となる。

又古き活動写真を見る如く、黄色き光の断片目の前に現れ、「おや」と思ひしことも度たびあり。

のみならず僕の視野のうちに妙なものを見つけ出した。妙なものを?――と云ふのは絶えずまはつてゐる半透明の歯車だつた。僕はかう云ふ経験を前にも何度か持ち合せてゐた。歯車は次第に数を殖ふやし、半ば僕の視野を塞ふさいでしまふ、が、それも長いことではない、暫らくの後には消え失うせる代りに今度は頭痛を感じはじめる、――それはいつも同じことだつた。眼科の医者はこの錯覚(?)の為に度々僕に節煙を命じた。しかしかう云ふ歯車は僕の煙草に親まない二十前にも見えないことはなかつた。僕は又はじまつたなと思ひ、左の目の視力をためす為に片手に右の目を塞いで見た。左の目は果して何ともなかつた。しかし右の目の瞼の裏には歯車が幾つもまはつてゐた。僕は右側のビルデイングの次第に消えてしまふのを見ながら、せつせと往来を歩いて行つた。ホテルの玄関へはひつた時には歯車ももう消え失せてゐた。が、頭痛はまだ残つてゐた。

うーん。これのみを見れば、明らかに精神病とか癲癇ではなく、偏頭痛の一種らしいな。

鵠沼雑記

「歯車」の迷宮: 注釈と考察 詳しい。

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