山紫水明処

先日京都に行ったときに、頼山陽の山紫水明処やら墓所やらを見て回ったのだが、
頼山陽は毎日鴨川から水をくんでそれで茶を点てたり、硯に入れたり、
硯を洗ったりしたのだという。
だが実際に水をくんだのは、おそらく、
「みそそぎ川」、つまり高瀬川上流部分のことだろう。
みそそぎ川は今は丸太町通りより南から地上に出てそれより上流は暗渠になっているが、
頼山陽の時代には山紫水明処を出てすぐの鴨川の河原のそばを流れていたのではなかろうか。
だから、

> 階下浅水流 ・・・ 臨流洗我研

などと言ったのであろう。
鴨川の河原は階下というには広すぎる。
みそそぎ川は当時は上水として飲用されていたと考えられる。
いくらなんでも鴨川から直接水をくんで飲んだりはしないのではなかろうか。
といっても鴨川から分岐するみそそぎ川の取水口は一条通りくらいの堰であるから、
そんなにむちゃくちゃ上流から水を引いているのではない。
しかし、当時は今よりずっと人家も少なかっただろうから、
飲用することもできたのだろう。

鴨川から水をくんで茶を点てる、という言い方はだから間違いとまでは言い切れないが、
少し違う気がする。

みそそぎ川から分流する高瀬川は水運に使われたりして、たぶん上水としての目的には使われてなかっただろう。
誰も直接水をくんで飲もうとはしなかったんじゃなかろうか。

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