またレビューを書いていただいてありがとうございます。
> とにかく人が入り乱れている。誰かに、フォーカスを当てたままで話を進めると、よりよくなるのではないかと思う。
まあ、「川越素描」の中でも自嘲しているのだが、
> だいたい、こういうものを読む人たちというのは、主人公に感情移入できないとついていけないわけ。で、自分が主人公になりきって、読者が女なら主人公も女で、好きなタイプの男を捕まえる。読者が男なら主人公も男で好きな女をつかまえる。これだけなのよ。それ以上複雑な人間関係を描こうとすると頭が混乱するから、さらっと読めなくなるわけ。でも、あんまりシンプルでもストーリーを展開しにくいから、登場人物を三人にして、三角関係に持っていくのね。キャラを増やしたければ徐々に。RPGみたいに、レベル上げしながら、仲間を増やしていく感じよ。
> だいたい登場人物が多い話ってのは読み切りとか新連載ではあり得ないのよ、特にマンガ。長期連載化して話がマンネリになったから仕方なくキャラ増やして展開させているだけなの。キャラの数にそれ以上の意味なんてありゃしないのよ。『日露戦争物語』みたいに史実だからってどんどんキャラ書いてたらストーリー破綻するわよ。
> 最初に出てきた人物が原則的に主人公で、話の終わりまでずっと生きてなくちゃだめ。主人公だと思ったら途中で死んで別の主人公に切り替わる、とかやっちゃうと暴動が起きるわよ。
「墨西綺譚」は最初に出てきた人が途中で死んじゃう話であり、
登場人物が多くで誰が主役かわからなくて、
感情移入しにくい話なわけですよ。
人に読ませたら「群像劇」ですかとか「バトルロワイヤル」みたいだと言われた。
うーむ。
しかし「墨西綺譚」はもうこういう話なんだからこれでいくしかないんです。
「作者が神の視点で書いてる」
とも言われた。
そうなのよね、歴史書の書き方なのよね、これは。
だから、その反動で一人称の小説なんかも書いたりしたわけだが。