「ハイディ」邦訳疑惑

矢川澄子訳『ハイジ』は

> のどかに広がる昔ながらの小さな町、マイエンフェルトから、一筋の小道が、木立の多い緑の牧場をぬけて、大きくいかめしくこの谷を見おろす山々のふもとまでつづいています。

で始まる。
野上弥生子訳だと

> スウィスのマイエンフェルトといふ古風な、気もちの良い村から、一すぢの路が緑いろの牧場を抜けて、うねうねと遠く山の麓まで曲つてゐます。

となる。
原文

> Vom freundlichen Dorfe Maienfeld führt ein Fußweg durch grüne, baumreiche Fluren bis zum Fuße der Höhen, die von dieser Seite groß und ernst auf das Tal herniederschauen.

を忠実に訳すならば、

> 親しげな村マイエンフェルトから一本の小道が緑の木立が多い野原を通って、谷を見下ろすほうへひらけた、大きくいかめしい高地の麓へ続いている。

とでもなろうか。
多少の意訳は当然あり得るとして、原文には「昔ながら」とか「古風な」などという言葉は一言も出てこないのである。
実際マイエンフェルトには当時ちょうど鉄道が通って駅ができた。
産業革命の波がようやくスイスの山奥まで到達しつつあるときだった。
だから、昔ながらの古風な村ではあり得ないのである。

1919年の英訳(ELISABETH P. STORK)によれば、

> The little old town of Mayenfeld is charmingly situated. From it a footpath leads through green, well-wooded stretches to the foot of the heights which look down imposingly upon the valley.

> 小さな古い町マイエンフェルトは愛らしいところだ。そこから小道が、緑の、木立の多い、谷を堂々と見下ろす高地の麓へ伸びている。

とでもなろうか。

「スウィスの」と補ったのは良いとして、「うねうねと」などは原文のニュアンスにはない。
どちらかといえば「まっすぐつっきっている」とでも訳したいくらいだ。
「のどかに広がる昔ながらの小さな町」というのも訳者の勝手な想像というしかない。

あきらかにどちらの邦訳も英訳の影響を受けている。
矢川澄子訳の方は一応ドイツ語原文にも目を通しているらしい。

牧場という言葉も、原文、英訳ともに出てこない。
Flur を注意深く訳すならば「野原」もしくは村の外に広がる畑のことであり、必ずしも牧場とは限らない。
牧場と訳しても間違いではないが。

アニメよりずっとまえ、邦訳よりも前の、英訳のころから、スイスの外の世界の人は、スイスという国は、浮き世離れした、時間が止まったメルヒェンの世界だというふうに考えたかったわけだ。『ハイディ』はそのイメージにぴったりだったから受け入れられたし、受け入れがたい部分は勝手に解釈してきたというわけだ。
下界のフランクフルトとアルプスは対極的な存在でなくてはならない。
古代ギリシャの神話のように、現世から神話の世界へと転生する話に再解釈された。
後編でクララの足が治るのも、天上界に転生したので治ったのと同じ意味にとらえられた。
ヨハンナ・シュピリの作品の中でも最も非現実的なこの『ハイディ』という作品しか、世界は受け入れてくれなかった。ヨハンナはきっと悔しい思いだったのに違いない。