ディズニーチャンネルなど見ていると、
どうしても、なぜジブリはディズニーになれなかったのだろうと考えてしまう。
「もののけ姫」や「千と千尋」を出してた、一番体力のある頃に、
もう少し経営を多角化しておけばよかった。
ディズニーみたいにCGも使い、ゲームも作り、実写も作り、
ジブリチャンネルみたいなものも始めていればよかった。
しかしそうしなかったのは、宮崎駿や高畑勲というワンマンがいたからだろう。
ジブリは「もののけ姫」や「千と千尋」でCGを使いこなしてみせたのにそれを棄てた。
文芸的な、手描きセルアニメにこだわることによって、
ディズニーや他のアニメ制作会社と差別化を図ったつもりだろうが、
自分で自分を縛ってしまったのだ。
CGが使えなければ当然ゲームも作れない。
ゲームというものに対する反感や憎悪を感じる。
子供はぎりぎりアニメはみても良いがゲームは悪だ、そう思っているのに違いない。
だからジブリ美術館のような方向へと走っていった。
時代に逆行して手描きセルアニメばかりやってれば制作コストは増大し、
古典芸能に、伝統芸能みたいになっていくしかない。
そういう文芸部門は残しつつ、新しい部署や新しい人材を育てていけばよかったのだ。
宮崎駿や高畑勲が引退するのを待つまでもなく。
しかし日本の企業は、そういうトップダウンの経営判断が苦手だ。
鈴木敏夫ですらそれができなかった。
日本のゲーム会社がみな過去の成功体験にとらわれて世界企業に育たなかったようなものだ。
ドワンゴはそんなよどんだ日本社会の救世主のようにも見える。
しかしジブリはすでにだいぶ体力を失った。
宮崎駿は老いて、彼以外にはとくにめだった監督がいない。
監督というよりか、原作と脚本が地味すぎる。
一般受けするはずがない。
なぜここまでこじらせなくてはならなかったのか、というのが結果論ではある。
ぎりぎりまで「マーニー」に期待していたのかもしれない。
「マーニー」がこけたせいでやっとジブリのメンバーもあきらめがついて、撤退できたのかもしれない。
まさか監督を一子相伝しようとしたのか(特に血縁という意味ではなく)。
なぜそこまでしてジブリを一色に染めたいのだろう。
なぜそんなにしてまで孤立主義・純血主義なんだろう。
ジブリという会社で作品を作ることとジブリという会社を経営することとは別なはずだ。