うーんなんちゅうか。

500万円でCD買うのも、車買うのも、酒飲んだくれるのも結局同じじゃねーのか。ただの趣味だよな。

自分の中では上の三つのうち一番無駄なのは車だと思うが。
結局、道具でしかない車とかPCとかに金かけてるのが一番むなしい。仕事で使うなら経費で落とせばそれで良いわけで。

常々言っていることだが、タクシーを公共交通機関として認めて、今の運賃の十分の一にする。それで、自家用車にわざわざ乗るやつは激減する。
わざわざ個人で所有するやつもいなくなる。
ついでに個人で運転するやつの免許取得をはるかに難しく、コストも高くする。
そうすりゃ交通事故も減る。
いいことづくめだろ。
それが実現しないのは自動車産業のせいだ。
それと交通課の利権?
まあいい。
ともかくさっさと自動運転を実用化してもらいたい。
自分のテクニックで公道で車を運転していると錯覚している連中をなんとかしてくれ。
あと自転車もなー。

肺の調子

また肺に水をためてしまった。
肺に水がたまるのは一瞬。
それがほぼ完全に抜けるのに五日か一週間くらいかかることがほぼわかった。
だいたいどんな状況で肺静脈に圧力をかけてしまい、水が肺にたまるのか、
わかってきた。それを回避して、
肺に水をためないように。用心して生きていく。
できれば心臓をも少し鍛えて、肺静脈に負担をかけないような心臓にしていきたいものだ。

肺から完全に水が抜ける前に、運動をすると心臓に負担をかけるので危険だ。
逆に抜けてしまうと、かなりきつい運動をしても、心臓の鼓動はさほど増えない。

スース2

[スース](http://p.booklog.jp/book/27144)の続編
[スース2](http://p.booklog.jp/book/27939)をほぼ書き終えた。
『スース』はけっこうダウンロードもPVも多くて、そのうち『超ヒモ理論I』を超えそうな勢いだ。
なぜかはわからないが、それで励まされて、続編を書いてしまったのだが、
しかし思うに、この『スース2』みたいな話を喜ぶ読者というのがどのくらいいるものなのだろうか。
そもそも『スース』がなぜこんなに読まれているのかもわからん。

だいたいパブーというところは、ただ小説を公開しただけでは埋もれてしまうだけのはずだが、
いったいどこからどうみつけてきて、『スース』までたどり着くのか。
単に「女子大生」とかでググって来ているだけなのか。
謎だ。

それから

> ぼんやりして、少時(しばらく)、赤ん坊の頭(あたま)程もある大きな花の色を見詰めてゐた彼は、急に思ひ出した様に、寐ながら胸の上に手を当(あ)てゝ、又心臓の鼓動を検し始めた。寐ながら胸の脈(みやく)を聴(き)いて見るのは彼の近来の癖になつてゐる。動悸は相変らず落ち付いて確(たしか)に打つてゐた。彼は胸に手を当(あ)てた儘、此鼓動の下に、温(あたた)かい紅(くれなゐ)の血潮の緩く流れる様(さま)を想像して見た。是が命(いのち)であると考へた。自分は今流れる命(いのち)を掌(てのひら)で抑へてゐるんだと考へた。それから、此掌(てのひら)に応(こた)へる、時計の針に似た響(ひゞき)は、自分を死(し)に誘(いざな)ふ警鐘の様なものであると考へた。此警鐘を聞くことなしに生(い)きてゐられたなら、――血を盛(も)る袋(ふくろ)が、時(とき)を盛(も)る袋(ふくろ)の用を兼ねなかつたなら、如何(いか)に自分は気楽だらう。如何に自分は絶対に生(せい)を味はひ得るだらう。けれども――代助(だいすけ)は覚えず悚(ぞつ)とした。彼は血潮(ちしほ)によつて打たるゝ掛念のない、静かな心臓を想像するに堪へぬ程に、生(い)きたがる男である。彼は時々(とき/″\)寐(ね)ながら、左の乳(ちゝ)の下(した)に手を置いて、もし、此所(こゝ)を鉄槌(かなづち)で一つ撲(どや)されたならと思ふ事がある。彼は健全に生きてゐながら、此生きてゐるといふ大丈夫な事実を、殆んど奇蹟の如き僥倖とのみ自覚し出す事さへある。

夏目漱石『それから』の冒頭部分だが、まあまさに今、そんな心境だわな。
漱石が42才頃の作品。うーむ。

侍従

徳川家康が30才から33才まで、従五位上で侍従という官職についているのだが、
なんだよそれ。
戦国から江戸時代までの官職とか気が狂いそうになる。
そうでもないですか。
だって家康が侍従だよ 。
文官で天皇の側近の侍従だよ。あり得んなあ。
これはつまり、応仁の乱以後の足利幕府が、官位官職を勝手に、無意味に、機械的に割り当てるようになったからだろうな。
嗚呼、律令国家。

出勤

おそるおそる、電車とバスを乗り継いで出勤してみたわけだが、
用心して歩いたせいで、腹が張ってくるほどではなかった。およそセーフ。
ただし上り坂は休憩しながらのぼり、階段はエレベータを使った。
木曜、金曜辺りは、朝起きて、いきなり肺がごぼごぼ言ってたわけだから、
特に木曜日はひどかったが、
それに比べるとかなり改善したと言える。
今日は、さほど、息苦しくもない。
まったく常人の暮らしではないが、今日くらいなら、常人に混じって暮らすことはできそうだ。
このままだんだん腹が張らなくなり、さくさく歩けるようになれば良いのだけど。

こうしてみると、たぶん、火曜日の夜から水曜日の朝にかけて、何か急性の原因があったとみるべきだろう。
かなり特定してきた。

漢籍由来の熟語

相変わらず『日本外史』巻19辺りを読んでいるのだが、
「塗一敗地」(一敗地にまみれる)「尚何足畏哉」(なおなんぞおそるるにたらんや)「衆寡不敵」(衆寡敵せず)などの、
どう考えても頼山陽が自分で考えたのではない言い回しが出てくる。
「塗一敗地」は『史記』、「尚何足畏哉」は『孟子』らしい。
「衆寡不敵」は『魏志』。
「何足畏」は現代の中文で「死何足畏」など、これはたぶん宗教関係の言い回しだと思うが、
頻出する。
「西洋文明なんぞ恐るるに足らんや」とは福沢諭吉の『学問のすすめ』。

しかしたまには「鎧袖一触」のように、『日本外史』に初出の言い回しもあって、いろいろ難しい。