平維盛

すげえ面白い人だな。

たぶんこの人は、長男ではあったが嫡嗣ではなかったのだろう。
平氏は清盛の代で初めて摂関家よりも朝廷で権力を握ったが、
長年の姻戚関係で藤原氏と天皇家は親戚同然。
平氏も嫡男は後見役として藤原氏と婚姻関係を持たないと、何かと形見が狭かったろう。
維盛は平氏の中でも都でもかなり浮いた存在だったのではないか。

富士川の戦いや倶利伽羅峠の戦いでは総大将ということになっている。
富士川の戦いほどよくわからん戦いもないだろう。
一応平氏の長男として維盛が総大将だが、目付役として藤原忠清が付いている。
まあ二人とも公家だわな。
物見遊山気分で遊女など連れて繰り出したんだろうな。まあ負けそうだよな。
倶利伽羅峠に至っては野人のごとき木曽源氏の本拠地で公家が戦ってはまあ負けるわな。

平家都落ちの際には妻子を都に残し、一の谷の合戦の頃に敵前逃亡。
自殺したことになっているが果たしてどうか。
ま、ともかく、平氏の一門として闘争心があったかどうかはかなり疑わしい。
運命共同体的なものは、感じてなかったに違いない。

ある意味ダメ平氏の象徴みたいな人ではある。

維盛の子どもが六代で、清盛の血筋では最後まで生き残ったが、結局殺されてしまう。
平家物語では重盛-維盛-六代の血筋がかなりひいきされているようにも見える。

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