ふと地図を眺めていて気付いたのだが、オーストリアのギュライ軍は、ポー川が氾濫して水田が水浸しになったから、
ノヴァーラで足止めを食ったのではない。
なぜかというに、ミラノからトリノまでは、ポー川を渡らなくてもたどり着くことができるからだ。
ギュライが渡れなかったのは、ノヴァーラとヴェルチェッリの間に流れている、
ポー川の支流のセージア川でなくてはならない。
また、水田が水浸しになったのは、ピエモンテ軍がわざと川を決壊させていたからだ。
おそらくピエモンテ軍は大雨で水かさが増しているのを知っていて、オーストリア軍を挑発したのだろう。
或いは、四月から五月にかけて、アルプスの雪解け水で、田んぼは勝手に水であふれるのかもしれん。
ピエモンテ側では予測の範囲内ではなかったか。
それから、ナポリとテアーノとガエータの位置が間違っていたので、直す。
いじりまくりだな。
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