墨染めの袖

承久の乱後の後鳥羽院の歌を見るに「墨染めの袖」というフレーズが目立つのだが、
検索してみると一番最初に使ったのはどうも花山院らしい。

ただ単に墨染め、墨染めの衣、墨染めの衣の袖などならば、古今集に、上野岑雄

> 深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け

壬生忠峯

> すみぞめの君がたもとは雲なれやたえず涙の雨とのみふる

または詠み人知らず

> あしひきの山へに今はすみぞめの衣の袖はひる時もなし

> 心にもあらぬうき世にすみぞめの衣の袖のぬれぬ日ぞなき

などたくさんある。「墨染め」を「住み初め」にかけている例が多い。

花山院

> 七夕に衣も脱ぎて貸すべきにゆゆしとや見む墨染めの袖

これはつまり、よくはわからんが、七夕に人に服を貸す習慣でもあったのだろうが、
それが僧侶の服、あるいは喪服であればあやしまれるだろう、という意味である。

がある。
後鳥羽院はおそらく花山院の境遇と自らを重ね合わせ、
「墨染めの袖」というフレーズを使ったのだろうと思う。
ただまあ、有名どころでは慈円の歌

> おほけなくうき世のたみにおほふかな我が立つ杣にすみぞめのそで

などがあって、墨染めの袖イコール花山院もしくは後鳥羽院、
というイメージに固まることはなかったかもしれない。

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