袈裟御前

袈裟御前については、平家物語には出てこず、源平盛衰記が初出と思われる。
第十九 文覚発心附東帰節女事。
おそらくは後世の創作か。
他人の妻を殺害して出家しただけで咎めがないのはちとおかしいだろう。

愚管抄:
コノ頼朝コノ宮(以仁王)ノ宣旨ト云物ヲモテ来リケルヲ見テ。
サレバヨコノ世ノ事ハサ思シモノヲトテ心ヲコリニケリ。
又光能(藤原)卿院(後白河)ノ御氣色ヲミテ。
文覚トテ余リニ高雄ノ事ススメスゴシテ伊豆ニ流サレタル上人アリキ。
ソレシテ云ヤリタル旨モ有ケルトカヤ。
但是ハ僻事也。
文覚、上覚、千覚トテ具シテアルヒジリ流サレタリケル中。
四年同ジ伊豆國ニテ朝夕ニ頼朝ニナレタリケル。
其文覚サカシキ事共ヲ。
仰モナケレドモ。上下ノ御・・・ノ内ヲサグリツツイヒイタリケル也。

まあ、この文章を普通に読めば、以仁王の令旨とは別に、
後白河法皇の「御気色」を読んだ藤原光能が、伊豆へ流される文覚に言付けて、頼朝へなにやら言い遣ることがあったというが、しかしそれはうそだよ、
と読める。
平家物語のように文覚がいきなり福原まで訪ねてきて後白河法皇の宣旨をもらって伊豆に戻ってきたとはならんわな。しかもたったの八日で往復とかありえん。
文覚は弟子の上覚、千覚とともに伊豆に流されたことになっている。
まあそれはあり得るのかもしれん。

義仲ハワヅカニ四五騎ニテカケ出タリケル。
ヤガテ落テ勢多ノ手ニ加ハラント大津ノ方ヘ落ケルニ。
九郎追カケテ大津ノ田中ニ追ハメテ。
伊勢三郎ト云ケル郎等。打テケリト聞ヘキ。
頸モチテ参リタリケレバ。法皇ハ御車ニテ御門ヘイデデ御覧ジケリ。

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