今の時代にも、西洋古典音楽の作曲家というのはいるわけで、
ピタゴラスがとかバロックとか楽典がとか和声とか対位法がとか学んだ上で、
それらを克服して、現代音楽、前衛音楽を作曲したりするわけだが、
和歌を詠むにも、
そういう古典から順々に積み重ねていき、
その精華として現代的前衛的な和歌を詠むということはあってしかるべきだが、
そういう歌人は現代には一人もいないように思われる。
そういう教育手法もなければ研究者もいない。
研究と実作ということを少なくとも宣長の時代までは普通にやっていた。
今はただ昔はこんな和歌がありましたという学者がいて、
歌人は歌人で好き勝手に詠んでいる。
後村上天皇の歌が京極派の影響を受けているのは間違いないと思うが、
南朝は京極派ではなく二条派だということになっている。
後村上天皇の周囲、というか、南朝の歌集には、京極派的な歌を詠む人は、
後村上天皇以外にいない。
彼がたまたま突然変異なのか、京極派を独学したかと思ったのだが、
何かミッシングリンクのようなものがあるんじゃないかと思う。
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