久しぶりに仁和寺を訪れたのだが、
明治の初めころにほとんど焼失してしまい、
明治42年頃に再建された建物がほとんどであるという。
明治42年というのは日露戦争の後だから、国力にもずいぶん余裕が出来た。
仁和寺というのは、
むろん大昔から続いているわけだが、
実質的には明治の建造物であって、明治維新と日露戦争を記念するモニュメントであって、
そういう意味では明治神宮や、戦前の明治宮殿に類するものだろう。
平安神宮や京都御所もそうだろう。
そう思ってみないとわけわからん。
仁和寺を、京都にあるあまたの寺の中の一つだと思って眺めても何も見えてはこない。
寺院なのに仏教色が非常に少ないのも明治という時代だからだ。
ただ歴代門跡の位牌が置いてある場所だけが仏教的聖域。
いわば、普通の住宅の中に一部屋だけある仏間のようなもの。
それ以外の場所は、たぶん皇族が京都に滞在するときに実際に利用した住居だったのではないか。
京都という町自体が、その多くが、日露戦争による国力伸長後に、
国家権力の象徴として整備されたのだと思う。
そういう意味では極めて人工的な都市だ。
天然自然に平安朝から続いたものではない。
もし明治という時代がなければ、京都は多くの地方都市の中の一つに過ぎなかったのではなかろうか。
これに対して知恩院などは完全に日本仏教の総本山的な存在なのよね。
二条城は、江戸城が失われた今、一般人も見学できるという意味で非常に貴重な建物だと思った。
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