ギリシャ古典

『エウメネス』なんぞを書き始めて、エウメネスという人はよくわからない人なのだが、
とりあえずアリストテレスの下で学んだ学徒であったから、アレクサンドロスの遠征に秘書官として従軍した、という設定にしてみた。

それでアリストテレスを調べてみると、この人はどうも変な人で、お父さんはニコマコス、子供もニコマコス。自分を飛ばしてお父さんの名を子に付けることは一般的(たとえばアンティオコス→セレウコス→アンティオコス)、しかし三代同じ名前というのは古代ギリシャには無い。というか、西アジア的にはありにくい。なぜかというに、西アジアの人名はなんとかの子なんとか、となることが多いからだと思う。ラゴスの子ラゴスはなんかかっちょ悪い。それが三代続くとなおさらかっこ悪い。

アリストテレスという名は後世の人がつけた(すげえかっちょいい)あだ名のような気がする。アリストテレスの本名は彼の祖父か孫、でなければ叔父あるいはいとこの名がわかればかなり絞られてくると思う。

そしてアリストテレスはたしかに学者であって、博物学者のようなことは(あちこち放浪しながら)多少やったようだし、「ニコマコス倫理学」は本人が書いたものである(あるいは息子の口述筆記)のは間違いあるまいが、しかし、リュケイオンの講義をまとめたのがアリストテレス全集だというのはまあ絶対嘘だ。

アリストテレスが有名なのは、彼がアレクサンドロスの家庭教師で、アレクサンドロスがヘレニズム世界を作って、そのヘレニズム世界の学者らが、アリストテレスという偶像を必要としたのにすぎない。そしてヘレニズム世界の学者がみなギリシャ人であったわけでもない。ペルシャ人やエジプト人のほうが多かったはずだが、残された文献がギリシャ語で書かれているので、なんとなくギリシャ人だと思っているだけだ。

それでヘレニズムは東ローマが継承したわけだが、オスマン帝国が東ローマを滅ぼして、オスマン帝国がヘレニズムを継承することになったわけだが、こんどは西洋がオスマン帝国をぶん殴り始めて、ギリシャを独立させ、ギリシャ王国を作って、ヨーロッパのルーツはギリシャだとか言い出して、ニーチェみたいなオカルト的思想が流行した。
まあ、ニーチェにしてみればギリシャだろうとペルシャだろうとよかったわけだが、いずれにしても、当時のヘレニズムというものは近世のキリスト教が生み出した虚構にすぎない。それが虚構であって、本来のギリシャ古典とはなにかということを、近現代のオックスフォードとかの学者たちはけんめいに復元しようとしている。しかしオックスフォードが生み出した膨大な近代古典とか、ニーチェなどの近代哲学のために、あとは、それらを教義に取り込んでしまったキリスト教のために、なかなか元のギリシャ古典が世の中に知られることはない。

ヨーロッパの後追いをしているだけの(しかも五周遅れくらいで!)日本ではいまなお近代ヨーロッパにおけるギリシャ感がそのまま残っており、その虚像をぶっ壊そうと考えている学者もいなければ、オックスフォードの英訳に頼らず、ギリシャ語をそのまま読んで、本意をつかもうという学者もいなさそうだ。もちろんごくまれにプラトンを原語で読むとかいうのを自分の研究にしている人もいるようだけど。

プラトンは生粋のギリシャ人ではなくて、ギリシャ人の中でもかなり異邦人に近いシチリア人であったはずだ。彼はソクラテスの弟子の一人だったというにすぎない。そしてアリストテレスの師匠に収まったおかげで有名になったのである。

私たちが古代ギリシャにシンパシーを感じるとしたらそれは単に近代ヨーロッパの幻想に踊らされているだけなのだ。イスラム教徒が描いたヘレニズムに共感を覚える日本人は少ないだろ?アレクサンドロスをイスカンダルと呼んだり、マレーシア国王がイスタンダル・シャーを名乗ったりすると違和感を感じるだろ。

それでまあ、せっかくなので、この際徹底的に調べ上げて、『エウメネス』の続編の中で、ヘレニズムの実態を暴いて、見せつけてやりたいと思ったりしているのだが、しかしギリシャ語は難しい。

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