レンブラントとゴッホ

相変わらず岡本太郎を読んでいるのだが、彼が友人とアムステルダムで開催された大ゴッホ展を見に行ったときの記事に次のように書かれている。

博覧会場を出てから友人に案内されるままに王立美術館を訪れた。オランダの最も誇りとする画家、レンブラントの傑作の数々が展示されていた。そこで私は「夜警」を見た。

レンブラントとゴッホは同じ国の人間だ。が、まったく正反対の極に運命づけられている。一方は過剰と思われるくらい確信にみち、冷ややかである。一方は熱く燃えながら、すべてから拒否され、絶望し、自ら命を絶った。

同行の友人はゴッホの絵を見ているときよりもはるかに真剣に、「レンブラント」の前に直立したまま動かない。確かに、そのスケール、巧みさは圧倒的だ。しかし、私はとまどった。いったい、このどこに私は入り込めるのか。どこにも、本当に私の魂をうってくるものがないのだ。このような美術史の典型的な大傑作。感動しなければならない条件はすべて揃っているのに、空しい。

それよりも、いま私の胸にこたえているのは、先ほど見てきたあの「じゃがいも」、あのまったく下手くそな、そして惨めな「じゃがいも」なのだ。その方が私の精神、身体全体にのしかかってきている。

とまあこんな感じである。これを読んで私はやはり、岡本太郎に見えているものと、私に見えているものはまったく違うんだなあってことを確信した。

私も実はアムステルダムの王立美術館に行ったことがある。同僚と二人、ポーランドで開かれる国際会議に向かう途中オランダのスキポール空港にトランジットで降りた。一泊したか、その日に移動したかはよく覚えていないが、あまり時間はなかった。同僚はアンネの部屋に行きたがり、私はゴッホ美術館と王立美術館に行きたかったので別行動をとった。

ゴッホ美術館にはまさしく本物のあのひまわりがあり、さらに驚いたことにはあの本物の烏の居る麦畑まで展示されていた。すべてがほんものだった。それで私は感動したにはしたのだけど、ゴッホの絵というものはすでに何かの画集のようなもので見たことがあるものばかりだったから、実物を見たからと言ってそれほど私はすごいなとは思わなかった。実物だから伝わってくる何か、というものは、ある種の絵にはあるのかもしれないが、私にとってはどうでもよかったらしい。

王立美術館では例の夜警の部屋も通った。いったん通り過ぎて、待てよ、今の部屋はなんだったんだろうと引き返したら、一部屋まるごとあの有名な夜警が展示されていた、というような出会いであったと思う。とにかく扱われ方がすごかった。こりゃすごいなと思ったけど、あまり事前知識がなくて見たので、なんだかやたらとたくさん人が描かれた絵だなと思ったが、細部まで眺めることはなかった。ああいう権威主義的な展示の仕方をするから何度も傷つけられるのだろう。かわいそうな絵だともいえる。

王立美術館で私が一番印象的だったというかびっくりしたのは、レンブラントの自画像だった。それはとても小さな手のひらサイズの絵で、しかし何か異様な感じがしたので近づいてみたら傍らに張られたプレートにレンブラントの名があったのである。そう、最初の印象はちっぽけな何か薄気味の悪い絵というだけだった。ゴヤに我が子を食らうサトゥルヌスという作品があるがあんな雰囲気。そしてあのレンブラントがこんなちっぽけな気持ち悪い絵を描くのかというのがなおさらに衝撃的であった。また、その展示方法があまりにもそっけなくてそれにもびっくりした。いろんな名画が並んでいる中にわざとそんなふうに展示してあるのか。わからない。

油絵で肖像画やら自画像を描いたことがある人ならわかると思うが普通はこういう肖像画は描かない。光は真横か少し後ろから当たっていて顔の半分は暗く、目はくぼんでうつろで、まるで黒い穴が開いたように描かれている。髪の毛はもじゃもじゃの天然パーマ。

レンブラントはなぜこんな絵を描いたのか。非常に不思議だった。あまりにも印象的だったので私はわざわざ売店でその絵の絵ハガキを買った。何度も眺めてみて、まさしくこれが光と影の画家、レンブラントの絵なのだろうと納得することにした。

今調べてみるとその絵は彼が23才の頃、つまり、絵の修行をして、やっと世の中に認められた頃に描いたものらしい。自画像というのものは、自分をモデルにしているから、いつでも好きな時に描きたいだけ描ける。絵の練習にはちょうど良い。絵の中で一番難しいのは人物の、それも顔を描いた絵なんだけど、レンブラントは自画像をたくさん描いている。年をとってからの自画像は醜く太っている。なんでこんなものを描いたのかやはりよくわからない。

他人に依頼され金をもらって描く肖像画と違って自画像を描くときにはある種の葛藤がある。どうしても実際よりかっこよく描きたいと 思ってしまい、逆に謙遜にかっこ悪く描いてしまったりする。自分自身との対話なのである。

自画像は当然、誰かに売るために描いたものでもない。だから描きたいように描きたいものを、人物画の練習として描いたものに違いない。さらにうがって考えてみれば、モデルがいる肖像画を描くときには前から光を当てて描くに決まっている。後ろから光が当たった時顔はどういうふうに見えるか、どういうふうに描けばよいか、それをテストするためわざわざ自分をモデルにして練習したのかもしれない。絵の中にモブ(ザコキャラ)を描きこむときその人物には逆光で光が当たっていることはしばしばあるわけだから。

そうした絵をいくつもいくつも描いて、練習して、絵の注文が来たら、夜警のような、集合写真みたいな絵を描くわけである。つまり、夜警はレンブラントの画業をまとめて応用した集大成であって、人に売るために描いたものであり、人に気に入られるように描いたものだ。一方でこの、23才で描いた自画像というものは、描きたいものを描いた、というより、自分は何を描こうか、何が描けるのかを試している絵なのである。もちろん自画像だから、そこには自分の内面も表現されているかもしれない。

それで話は岡本太郎に戻るが、岡本太郎はレンブラントというか、古典絵画というものをまったく理解していないし、理解する気も勉強する気もないようにみえる。おそらくこの認識でまず間違ってはいないと思う。これは非常に困ったことではなかろうか。レンブラントがわかってないということはゴッホのことも実はわかってないのではないかという疑いもわいてくる。

私は大学受験の時に大阪万博跡地を訪れて太陽の塔を見た。よく覚えていないが感動したと思う。更地になった芝生に残されている太陽の塔。そこにExpo70の熱狂を見た気がした。しかし同時に、だからなんなのだ、ただでかいだけではないかという気がした、ような気がする。私はむしろ民俗博物館のほうに新鮮な感動を覚えたことを記憶している。

この太陽の塔こそはレンブラントの夜警ではないか。功成り名を遂げて、注文されて作った。美術史の典型的な大傑作。感動しなければならない条件はすべて揃っている。しかし空しい。このどこに私は入り込めるのか。どこにも、本当に私の魂をうってくるものがない。それらの言葉が皮肉にもそのままそっくり当てはまるような気がしてならない。

さきほど手のひらサイズと描いたが、実際の大きさは h 22,6cm × b 18,7cm であるらしい。レンブラントは同時期に同じようなモチーフの自画像を少なくともあと二つ描いている。どれも良く似ている。

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