半信半疑の定家

投稿者: | 2010年2月15日

やはり藤原定家はわからん。
定家がわからんというより、いろんな人が良いと言っている歌がわからん。
自分で拾ってみると少し面白い歌もあるが、誰も良いとは言ってない。
丸谷才一の本をいろいろ読んでみるといろんなところで本居宣長をぼろくそにけなしていて、
定家は良いと言っている。
そこが良くわからん。
源氏物語のような、新古今のような歌が良いというのは一つの価値観であり、
本居宣長が新古今を好んだ上で独特の歌を詠んだのはまた当たり前のことで、
それがなぜいけないのかわからん。

私が定家で面白いと思うのはたぶん定家っぽくない、古今風の、
写生に近いものだと思うのだよね。たぶん。

> 玉ぼこの道行く人のことづてもたえてほどふるさみだれの空 (定家)

これは少し面白い。本歌は

> 恋ひ死なば恋ひも死ねとや玉桙の道ゆき人にことづてもなき (人麻呂)

だそうだ。

> 時雨行く四方の梢の色よりも秋は夕べのかはるなりけり

面白いが意味わからん。

> わかれても心へだつな旅衣いくへかさなる山路なりとも

佐渡に流された順徳院を詠んだものだと言う。
まあ、ふつう。

> いづくにて風をも世をも恨みまし吉野のおくも花は散るなり

少し面白い。

> おのづからあればある世にながらへて惜しむと人に見えぬべきかな

まあまあ。

> たまゆらの露も涙もとどまらず亡き人恋ふる宿の秋風

少し面白い。

> いづらにも今夜は宿をかり衣日もゆふぐれの嶺の嵐に

ふつうに面白い。

> 忘れなむ待つとな告げそなかなかにいなばの山のみねの秋風

少し面白い。

> なびかじな海人のもしほ火たきそめて煙は空にくゆりわぶとも

まあまあ。

> わくらばにとはれし人も昔にてそれより庭の跡は絶えにき

ふつう?

> 飛鳥河遠き梅が枝にほふ夜はいたづらにやは春風の吹く

> 秋風にそよぐ田の面のいねがてにまつ明け方の初雁の声

まあまあ。

> 霰降るしづが笹屋のそよさらに一夜ばかりの夢をやは見る

わびしい感じだが、よくわからん。

> やまがつの朝餉のこやに焚く柴のしばしと見れば暮るる空かな

かなりこじつけ。
つまり、山の中に住む田舎者が小屋で朝飯を炊いている柴ではないが、
しばし眺めていたらはやくも夕暮れどきとなった空かな、と言っているわけだが、
朝から夕方まで何をぼんやりしていたのか不明。
ただまあ田舎ののんびりした気分にはなるわな。

> 信楽の外山の霰ふりすさみ荒れゆく冬の雲の色かな

> 待つ人の麓の道やたえぬらん軒端の杉に雪おもるなり

> 雪折の竹の下道跡もなし荒れにしのちの深草の里

> 大伴の御津の浜風吹きはらへ松とも見えじうづむ白雪

> 久方のあまてる神のゆふかづらかけて幾世を恋ひわたるらん

> うへしげる垣根がくれの小笹原しられぬ恋はうきふしもなし

やや面白い。

> 人知れず今や今やとちはやぶる神さぶるまで君をこそ待て (読人不知)

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