ボバ・フェット

マンダロリアン シーズン3を見る前にボバ・フェットを見るしきたりになっているらしいのでボバ・フェットを見ることにして、まだ途中までしか見ていないのだが、ジャバ・ザ・ハットが死んだ後のタトゥイーンでなぜかボバ・フェットはジャバの跡継ぎを殺して自分がジャバの地位(大名?)に就く。大名となったボバ・フェットはタトゥイーンを暴力や権威ではなく尊敬によって治めようとする。

サンドピープル(タスケン・レイダー)に捕まったボバ・フェットは彼等と仲良くなり信頼関係を築き、彼等に自立の道を教える。

結局これはさ、西洋人の植民地支配に対する贖罪意識というかさ、レヴィストロースのサルトル批判というか構造主義というか西洋中心主義からの脱却というか、どんな未開な部族にもそれぞれの社会に道徳とか人倫とか規範というものはあるんだよってことを言いたいんだよね?

つまり広い意味でのポリコレなんだよこれもさ。ヨーロッパ人がわざわざアフリカの砂漠に井戸掘ったり木の苗植えてるのと同じだよ。

マンダロリアンでもマンドーがタスケン・レイダーと助け合ってでっかい虫を退治するっていう話があるんだが、マンダロリアンではまだポリコレ要素がそれほど露骨ではなかった。ボバ・フェットはタトゥイーンを舞台としてマンダロリアンのポリコレ要素を全面に押し出してきた。ディズニーとしてはこれもまたポリコレの布教活動なんだろう。ディズニーはどうしてもポリコレを商売にしたいわけだ。

このボバ・フェットってレヴィストロースとかの現代思想をある程度かじった人ならとてもわかりやすい話なんだけど、そうでない人には単に退屈でつまらん話に過ぎないし、わかったとしてまた西洋人のマスターベーションかっていうに過ぎないんだよな。

ボバ・フェットが砂の中に棲むでっかい虫の腹の中から出てくるところなんて旧約聖書のヨナ記そのまんまで、キリスト教徒どもの世界観の中でぐるぐる回ってる、ベンハーの頃からなんも進歩してない感じ。

Visited 13 times, 13 visit(s) today