久しぶりのエウドキア・マクレンボリティサのネタ。
紛らわしいがエウドキアにはミカエルという叔父が一人いて、それと別に、叔父のように親しかったミカエルという歴史家がいる。
本当の叔父は総司教ミカエル一世ケールラリオス。ケールラリオスはエウドキアの母方の家系。
エウドキアの母の弟もしくは兄だったろうと思われる。
歴史家のミカエルは、エウドキアから、叔父と親しまれていた、ミカエル・プセロス。Michael Psellos。
プセロスというのは、口ごもるという意味らしい。そのあだ名はなんとなく控えめで人付き合いが苦手そうな印象だ。
皇帝コーンスタンティノス九世モノマコスのとき宮廷に出仕する。
政治を嫌って1054年にオリンポス修道院に入る。
モノマコスが死去すると女帝テオドラに呼び戻される。
この女帝テオドラというのは、エウドキアなんかよりずっと話題性のある人らしい。
で、皇帝が1年か2年くらいでおおぜいめまぐるしく交代し、マケドニア朝からドゥカス朝に代わると、
コーンスタンティノス10世ドゥカス(エウドキアの夫)にそのまま政治顧問として仕え、
さらにローマノス4世やミカエル7世にも個人教師のような立場で仕える。
プセロスは当時もっとも学識のある人と見なされていたらしい、プラトンくらいに。
クロノグラフィアという書を残した。
直訳すれば、年代記ってとこか。
彼が史料を残さなければ、エウドキアというマイナーな女帝の話はほとんど後世に残らなかっただろう。
それどころかバスィレイオス二世や女帝テオドラ、ドゥカス朝やローマノスやマラズギルト戦役の話も残らなかったのに違いない。
『セルジューク戦記』に出てくるエウドキアの叔父のルカスはこの二人のミカエルが合わさったような人物として出てくる。
『セルジューク戦記』では、エウドキアは、父母が離婚し、孤児となって修道院に入れられて、叔父ルカスの養子になって、
貧しく育てられる、という話になっているがこれはまったくのフィクションである。
もし叔父の養子になっていたら、彼女の名前は、エウドキア・ケールラリオサとなっていただろう。
たぶん彼女はマクレンボリティサ家の貴族の娘であり、コーンスタンティノスとの結婚が初婚だとすれば、
貴族故に晩婚だったのだろうと考えるしかない。
きっとプセロスの書を読めばもっと詳しいことが書いてあるのだろうけど、
と思ったら[クロノグラフィアのオンライン版](http://www.fordham.edu/halsall/basis/psellus-chronographia.asp)があった。
うーむ。これ読むのかぁ。