引き続き宗政五十緒「江戸時代の和歌と歌人」。
真淵の歌
> 大比叡や小比叡の雲の巡り来て夕立すなり粟津野の原
に対して景樹の歌
> 大比叡や小比叡の奥のさざなみの比良の高根ぞ霞そめたる
を挙げて、「この二首を比較しても、景樹の才気は十分窺いうる」などと言っている。
景樹の方が優れている、とまでは言ってないが、良い歌だと言っているわけだ。
どうもこの著者は、例の挙げ方がおかしい気がしてしかたない。
まず真淵の歌だが、「粟津野」はただの地名ではない。古戦場である。
おそらくかつて木曽義仲が討ち死にした近江の粟津野に真淵が実際に訪れており、
天気はだいたい西から東へと変わっていくものだから、西の比叡山の方から雲がやってきて、夕立になったという、
近江盆地の雄大な情景を詠んだものであり、
わざわざ古戦場辺りを探しあてて、平家物語か何かの義仲の最期をしのびながら詠んだものに違いなく、
真淵の作のなかでもなかなかの秀歌だと言って良いと思う。
「粟津野」をわざわざ「粟津野の原」と言っているのは「武蔵野の原」という東国風の言い回しをイメージさせる。
一方で景樹の歌だが、これは京都側からあるいは琵琶湖側から眺めた景色だか判然としない。
だがおそらくは著者の言うように京都側から見て、比叡山のさらに奥の近江の国の(さざなみは志賀の枕言葉)
比良連峰に霞がかかり始めた、と言っているのだろう。
悪くもないが特に良くもない。通俗的な印象すら受ける。
そもそもそれだけの遠景となると普通にかすんで見えるものではあるまいか。
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