社会システムというものが何もなかった中世においては、
政治にしても社会保障にしても芸事にしても、
何か世襲という形にしなくては持続性を持たなかった。
世襲でない、皆に機会が与えられて競争ができる状態のほうが優れているというのは、
社会システムが完備している現代だから言えることなのだ。
天皇家にしても将軍家にしても歌道の家にしても、みな家というものを作って「実体化」
しなくてはならなかった。
「血統」というもので相伝を守って行かねばならなかった。
一旦、「家」「血統」というものが確立したら、それをさらにいろんな伝説で理論武装し、
身内で結束しなくてはならなかった。
個人崇拝が、秘伝の教義がそこに生まれる。
それが、勅撰選者を世襲した定家の運命だったのだ。
定家個人の業績というものももちろんあるのだが、定家がなした一番大きな業績は選者を世襲したということだ。
世襲は今の時代にも案外効用がある。社会システムがいまだに不完全だから、古き良き「血」というものが補うのである。
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