ことわざ

Lieber dem Baecker, als dem Doktor.

博士よりもパン屋がまし。

Ein warmes Bad reinigt mehr als ein kaltes.

お湯の方が水よりもよく洗える。

Ein hungriger Bauch hat keine Ohnen.

空腹には耳がない。

Ein hungriger Bauch sehmeckt alles wohl.

空腹にはすべてが美味だ。

Ein voller Bauch studiert nicht gern.

満腹はよく学ばない。

Der liebt mich recht, der mainen Bauch fuellt.

お腹をいっぱいにしてくれる人が私をほんとうに愛する人だ。

Besser ein reicher Bauer als ein armer Edelmann.

貧乏貴族よりも金持ち百姓の方がよい。

Der Zweck heiligt die Mittel.

目的は手段を神聖にする。

Zahlen macht Frieden.

勘定を払えば平和になる。

D2

いままでは立ち読みでがまんしていたのだが、
とうとう Dreamcast Magazine を買う。
なかなか読み応えあり。
飯野賢治のインタビュー記事あり。
D2 でいままでの儲けをすべて吐き出したそうだ。
かなり笑えた。
気合いも金もかけたが売れなかったソフトっていうのはある意味お買い得だ。

D2 は実は 4 枚目までぎっしり詰まっていた。
ただし終わってから延々と movie が流れ続けるというもので、
もしかすると 4 枚目は CD-ROM の容量が余ったので movie を入るだけ入れたのかもしれん。
最後のボスキャラは思ったよりも弱く、拍子抜けした。
ていうか全編「説教好きのオヤジ」モードで話長過ぎ。
「世紀末」「進化論」思想に染まり過ぎ。

結局 D2 は 2 日ですべてをクリアした。
シェンムーには 7 日かかったから、それよりはるかに短い。
まあ、シェンムーにも意味不明の時間稼ぎがないかといえばなくはないが。
それに、ほとんどバグと言って良いほどの、致命的欠陥を私は D2
に発見したぞ。

Dreamcast はモデム部分が取り外し可能で、
代わりに LAN アダプタを取り付けることができるという。
うーむ。しかし NTSC 640×480 ではしょせん web の閲覧には向いてないしなあ。

Dの食卓2

「Dの食卓2」「クレイジータクシー」「ぷるぷるパック」を購入。
一日中ドリキャスで遊ぶ。
「ぷるぷる」は人のプレステで体験し、自分のドリキャスにも買ってみたもの。
なかなかよい。
「クレタク」まあまあ良い。
ときどき気分転換にやるにはよさそう。
「D2」ははまらないつもりがはまった。
まあ、買って損はないだろう。

D2 は RPG + スプラッタもの。
地下の迷路で敵と闘うとか、いちいち RPG の定石を踏んでいる
(なぜこんな古くさいテーマを、わざわざ 3D でやる必要がある?)。
RPG 自体に何十年という歴史があって、それをなぞっているのだから、
はずす危険性は少ないし、プレイヤーも安心、
良く考えられているが、思考錯誤というイメージはない。
換言すれば、結局は、経験値とか hit point とか、
RPG の Paradigm の中でいろいろシナリオをいじってるだけなのだ。
シェンムーはどちらかというと、わざと RPG や ADV の慣習を外して、
わざわざ FREE という新しい分野を作ろうとしている。
そこがシェンムーの「オカシサ」になっているのだが。
遊ぶほうが「別の意味で」はらはらしてしまうのである。
つまり「新しい時代」のリアリティと同時に違和感を味わっているのである。
Shenmue にも RPG の痕跡はあちこちに残ってて、
さらにイベントが起きないと次に進めないから、
なんとかイベントを起こして先に進もうとしてしまう。
story 性を重視しつつ自由度を上げようとすると、
どうしても event driven になるのだろうが、そこをなんとかならんのか。

D2 がスプラッタだと知っていれば買わなかっただろう。
「わかば日記」で絶賛していたので、だまされたつもりで(笑)
買ってみたのだが。
一作くらいは持っていても良いが、もうこの手のやつは絶対買わん。

それはそうと、D2 に出てくるモンスターはクレクレタコラに似てる。

D2 は WARP というところの作品で、
SEGA BBS では露骨に差別されている。
シーマンは SEGA ではなく VIVARIUM というところの作品だが、
すごく売れたので SEGA BBS でも VIP 扱い。
D2 はそれほど売れてもいないのだろう、
検索してみてもほとんど何も情報が集まらない。
四枚組で一枚はデモのみ、
実質三枚組なのだが、DISC 3 まではあっという間。
「北の石橋」にはまんまとだまされた。
「シェンムーが狭い」という意味がわかったような気がする。
Shenmue と D2 を比べると明らかに Shenmue の方が情報量も多く、
中身も濃い。しかし、
D2 はいかにも腹一杯ゲームをやりましたという気分になるのに対し、
Shenmue はゲームらしくなく、あっさりしすぎているように感じるのだ。
Shenmue はさらにキャラの操作が非常にわかりやすく滑らか、そのため
「簡単なゲーム」のような錯覚を与えるようだ。

だんだん「セガらしいゲーム」というのがわかり始めた。
私はわりと「セガらしいゲーム」が好きなようだ。

クレージークライマー、クリア.
ラストの CG がいかにも意味不明.
いかにもニチブツ.
オリジナル版の効果音を 3D 版でも使えるようにするとうれしい.

単に 3D 化するのではなく,次回作はリアリティを追求してもらいたい.
もっとリアルな壁面で….
オネエサンが部屋の中で着替えしてたりして.
で,部屋の中に侵入するとミニゲームが始まったりするのね.
で,部屋の中の戸棚を開けるとセガサターンがあって,
スペースハリアーで遊べたりするとかいうのはどうかな.

宝島

宝島を読む。
最初の数頁を我慢すればなかなか面白い読物だ。
project gutenberg から英文のテキストを拾ってきて、合わせて読む。以下和訳は岩波文庫版。

Squire Trelawney 郷士のトレローニさん

Dr. Livesey リブシー先生

Admiral Benbow ベンボー提督

Fifteen men on the dead man’s chest —
Yo-ho-ho, and a bottle of rum!
Drink and the devil had done for the rest–
Yo-ho-ho, and a bottle of rum!

>亡者の箱まで這い登ったる十五人、

> 一杯飲もうぞ、ヨーホーホー。

>後の残りは酒と悪魔にやられたよ、

>一杯飲もうぞ、ヨーホーホー。

Bristol ブリストル

Captain Flint
フリント船長

Captain Kid
キッド船長

Captain Smollett
スモレット船長

John Silver
ジョン・シルバー

Jim Hawkins
ジム・ホーキンズ

Billy Bones
ビリー・ボーンズ

Ben Gunn
ベン・ガン

I haven’t spoke with a Christian these three years.
もう三年、人間ちゅうもんと話をしたことがねえ。

marooned
島流しになる。

clove hitch
どん詰まり。徳利結び。

Jolly Roger
海賊旗

flag of truce
休戦旗

desertion
脱船、遺棄、放棄、脱走、逃亡

black spot
黒丸。船長不信任状のこと。

parole
仮釈放

「宝島」(Treasure Island) の原題は Sea Cook だったそうだ。 Sea Cook というのはつまり John Silver のことなのだった。どっちがいいのか良くわからないのだが、もし Sea Cook だったら「宝島社」すら存在しなかっただろう。そう言えば Hawkins というサンダルメーカがあるが、これはやはり Jim Hawkins にちなむのだろうか。

「李陵」は作者の遺稿で、題名も決まっていなかったので、無難に「李陵」としたのだというが、「漠北悲歌」というのがほんとの題だったという説が有力だそうだ。つまり漢に帰る蘇武に、李陵が贈った詩のことなのだが、まあそれもふさわしくはあるが、少し sentimental 過ぎるかも。

姐御怪獣アネゴン(笑)。

中島敦全集

ちくま文庫の「中島敦全集」全三冊,これは本物の全集である.
書簡や日記までありとあらゆる著作が収められている.
これの二冊目の解説を群ようこが書いているのだが,これが笑える.
どうしてこの人は子供のときに考えたことや感じたことをこんな詳しく覚えているのだろうか.
この人の著作の大半は,子供の頃の思いでばなしだ.
そういう意味では西原理恵子に似ていなくもない.
というか,よく雑誌で対談してるなこの二人は.

>・・・だから私たちの間では,中島敦という作家は「とっても難しい中国の話を書いて,若くして亡くなった,眼鏡をかけた人」で終わってしまったのである.
・・・これではいかんと,私は昨年,ちくま日本文学全集に収録されている,中島敦の本を読んだ.
そこで初めて,彼が「マリヤン」「鶏」といった,南の島の物語を書いているのを知った.
「山月記」の印象が強かった私は,その内容の違いにびっくりした.
ほのぼのとしていて,ユーモラスで,これが「山月記」を書いたのと,同じ人が書いたとは思えなかったからだ.

いやはや,まったく率直で的確なご意見.
国語の教科書はなぜか中島敦といえば「李陵」「山月記」「弟子」「名人伝」のどれかしか採らない.
また,中島敦の文庫本で,「マリアン」などの南国譚を併せて載せてるものは少ない.
従ってわれわれは子供の頃「中嶋敦 == 漢文調の難しい小説」という先入観を植え付けられてしまうのだ.

> やっと私も「山月記」を読んで,じーんとできるような歳になったのかと,しみじみとした.
彼は私の想像以上に,いろいろな種類の作品を書いている.
先入観は恐ろしい.
それは読書するチャンスを奪う.
私は四十歳近くになって,やっと中島敦を読む機会を得たわけだけれど,今まで読んでいなかったことを後悔し,そしてこれから新参者として,彼の作品を読むのが,とても楽しみになってきたのである.

ぎゃははは.そのとおり.さあみんなも中島敦を読もう!

「牛人」というのは,同じネタで宮城沢昌光も書いている.読み比べると面白いかも.

ミスターマガジン休刊

なんとミスターマガジン休刊!そ,そそそれでなのか.それで「王道の狗」も最終話だったのか.それで「天切り松闇がたり」も最終話なのか.「突破者太陽傳」も面白かったのに終わるのか.「ドーラク弁護士」も「ERET」も終わってしまうのか.ああなんていうことだろう.

なんてひどい話だ.ミスターマガジンだけは欠かさず買ってたのに.主に「王道の狗」を読むためだったけど.モーニングは買わなくてもミスターマガジンだけは買っていたのに.ひどいっ.しかし,「王道の狗」の最終回があまり不自然でなかったのは救いだ.それほど唐突さを感じなかったのも救いだ.もしかすると,編集部は「王道の狗」の最終話まではとがんばったのかもしれない.それでも,話を多少はしょることはあったかもしれんな.こんなにクオリティの高い雑誌を休刊するなんて.もっとくだらない低俗な雑誌はいくらでもあるというのに.ひどいひどいひどすぎる.そもそもそんな雑誌を一番楽しみにしてた私の立場はどうなる.

中島敦

「宝島」を借りてきた.あまり面白そうではない.

世間一般では中島敦というものをひどく誤解しているというか,深く理解していないというか,あるいは深く広く理解させようという努力が足りてないというか,そんな気がする.
「文字禍」には,病床にふせる作家とそれを取り巻く妻や父母の姿が,前世がエジプト人であったペルシャの兵士に投影されているように思われるし,「巡査の居る風景」は,作者が京城中学校二年生の冬に見たソウルの町の,言うに言われぬ痛ましい光景,また,おそらく自分自身が深く考えもせず差別した朝鮮人達の記憶,自己嫌悪,などが描かれているのだと思う.
中島敦は漢学者の家系に生まれ,父が朝鮮ソウルの中学校教諭に赴任したために,小学生高学年から中学生の間ソウルに住んでいたのである.
「巡査の居る風景」の舞台は 1923 年のソウル,これを,朝鮮総督を暗殺しようとして失敗した朝鮮人を逮捕した巡査の目で描写している.
この巡査もまた朝鮮人である.
この巡査に生意気な口をきく日本人中学生というのが登場するのだが,これは中島本人だったのではないか.
私はこれほど生々しく戦前の植民地下のソウルを描写した小説を知らない.

光と風と夢

「光と風と夢」これはもとは「ツシタラの死 — 五河荘日記抄」という名前だったのだが,編集者に言いくるめられてわけのわからない名前に変えたのだそうだ.中島敦も当時駆け出し作家で,強情が張れなかったのか,かわいそうなことだ.「光と風と夢」じゃあまるで少女漫画か西部劇か.中島にしては珍しく長編で,タイトルがわけわからず,また冒頭も実に退屈だから,誰もが読むのは後回しにするのではないか.しかし,中島の作品の中では一番作家の「地」が出た,面白い作品だ.「李陵」「山月記」などは,ちょっときどった娯楽短編に思えてしまう.そういうふつうの中島敦体験を一通り済ませてから読むのも良い.

「ツシタラ」というのはサモア語で「物語作家」というような意味らしい.スティーブンソンというイギリスの作家がいる.代表作は「宝島」という冒険小説と「ジキル博士とハイド氏」,そういわれれば誰でもわかるに違いない.彼は大変有名になったのだが,体が弱いたちで,熱帯以外では喀血してしまうので,サモアに移りすむことにした.で,そのすむところに五つの川が流れているので,「五河荘」.スティーブンソンの日記と,中島敦のナレーションが交互に繰り返されるという斬新な構成.オリジナルの日記が実在するのか,中島の創作なのかは不明.最初は実にのんびりとした南の島の描写が続くが,次第にきな臭い話に発展する.当時サモアには王が君臨していたが,ドイツ,イギリス,アメリカの三国の勢力が手を伸ばしてきており,その中でも植民地後発のドイツが露骨な砲艦外交で干渉をしてくる.イギリスとアメリカが反発し,サモアはドイツが支持する傀儡王政府と,英米が支援する反乱軍の戦争に発展,三国の艦隊があわや会戦というところで,台風が襲来し,ほとんどすべての戦艦が沈没してしまう.スティーブンソンは政治嫌いながらも,白人の圧制に反発し,土人の王や副王,ドイツの裁判官などの間でさまざまな調停役を買って出る.で,なんだかんだがあったあと,かの地でスティーブンソンは死去し,山の頂上に土人らによって手厚く葬られる.というストーリーなのである.簡単に言えばサモアにスティーブンソンが来てから死ぬまでの日記風の話なので,「ツシタラの死 — 五河荘日記抄」というわけだ.

日本の南洋の委任統治領はもともとドイツ領で,第一次大戦で日本が火事場泥棒的に奪い取った.中島は南洋庁役人としてパラオに療養をかねて赴任する.中島はスティーブンソンと同じ喘息持ちの作家なのである.結核は当時 fatal な病であった.事実彼は一時帰国後まもなく死んでしまう.世は日中戦争,日独伊三国同盟の殺伐たる時代.新たな世界大戦の到来を感じつつ,自分の境遇をスティーブンソンに重ねて,白人,土人,植民地,帝国主義やら,また,日本や自分自身がこれからどのように行動すべきかということを考え,それを訴えたかったのに違いない.わたし的には非常に面白い.「パパラギ」よりももっと広く,少なくとも日本人には知られて良い作品だと思う.大東亜戦争前夜,日本人は国際感覚が麻痺していたととかく考えられがちだが(司馬史観と言うこともあるようだが),そんなことはなく,中島のような正常な物の見方をする人たちも少なからず居たのだろう.

中島敦はともかく非常に面白い.全集を熟読してみたい.「ツシタラの死」は芥川賞候補となり,選考委員の川端康成ただ一人が絶賛したという.誰か他に受賞者が居たのではなく,「該当者なし」で落とされたのだ!確かにこの作品は非常に新しくかつ変則的で,ふつうの日本の純文学とはかけはなれている.直木賞にもなりにくいかも.「李陵」が長編小説だったら,中島はやすやすと芥川賞を取ったかもしれない.しかし,中島は自分の書きたいことを自由に書きたかったのだ.

「まんだら屋良太」の中で,円生はつまらん,談志は最悪,林家三平は落語が文学的芸術的に堕落していくのをくい止めた最高功労者,という話が出てきた.これは作者の畑中純の見解だろうか.私は円生が一番面白いと思うが.談志は…ようわからん.