溝の口

国木田独歩の随筆か私小説のようなものを読んでいると,横浜から八王子に行くのに「溝の口という宿場」に一泊した,などと書いてある.いまなら横浜から八王子までは横浜線で通勤できる距離で毎日往復する人もいるだろうに.昔の人はずいぶんとずいぶんと不便をしたものだ.

東京バス案内

徹夜で Biohazard Veronica やった。
寒かった。

ドリキャス本体と DDR 2nd Mix と Club version
と DDR コントローラと東京バス案内と Veronica を買った。
ソフトはすべて中古。
Club version ですら中古なのだから、
いかに優れた中古屋かということがわかる(笑)。
Veronica はかなり面白い。
D2 が売れないわけがおぼろげにわかった。
さらにシェンムーの「顔が美しくない」と言われるわけもわかった。
単なるホラーではないのだな。

Veronica、2 枚組中、ほぼ丸一日かけて Disk 1 終了。
連休中の良い暇つぶしになったというべきか。
といっても、ネット検索ばりばりかけて
Very Easy モードでやったから、えばれたものではない。

東京バス案内はこれはある意味クレージータクシーの対極にあるようなゲームで、
バス停でとまるとき方向指示をださないと減点、
急発進急ブレーキは減点、アナウンス忘れも減点、とかいうのはまだしも、
こっちが先に交差点入ってて直進なのにいきなり右折してきた車にぶつかって、
教習終了ってのはどういうことだ!
警察呼ぶぞこらっ!!警察警察。
あと、六本木とか麻布十番とか新宿伊勢丹前とか、
ぜんぜんそれっぽく見えない(そういわれればそうか~?くらい)。
まあそれにもかかわらずけっこう面白い。
まあ万が一続編を出すことがあったら渋谷~三茶~砧コースも入れてくれ!
国際興業バスの成増~高島平~赤羽なんて要らないから(笑)。

DDR はまあこんなもんかな。

頼山陽記念館

羽田 10:50 発。広島空港着。 15:00 頃広島バスセンター着。雨。原爆ドームや平和記念館などを見たあと、頼山陽記念館に行く。ここには頼山陽の親類縁者の書画しかない。戦前は多少はあったのが、原爆ですべて灰塵となったか。或いは京都のあたりにあるのかもしれん。 1500 円の中央公論「頼山陽」という本を買う。これは「日本外史」の一部和訳が載っていて、なかなかおもしろい。が、しかし、北条氏、豊臣氏、徳川氏などがごっそり抜けていて、全訳だったらもっと良いのにと思った。

群ようこ

群ようこのエッセイはまあおもしろく読めるが、小説は(フィクションがきつくて)気持悪くてとても読めたものでない。
いっしょうけんめい読んではみたが「恨みしゅらん」はやっぱりつまらない。
しかし群ようこはさすがに作家、西原とは文章の質がちがう。西原の俳句(?)はまるでリズムがない(字数はもちろんあってない)。

広島市街に頼山陽史跡資料館というものがあるようだ。
頼山陽マニアの私としてはいかずばなるまい。
頼山陽旧宅も隣接してあるようだ。
しかしこんなところだともとの建物は原爆であとかたもなかっただろうな。
頼山陽はともかくとして頼三樹三郎の情報は非常に少ないので、何かわかるかもしれん。
三樹三郎は山陽の三男だが、三樹三郎が安政の大獄で刑死したとき山陽はもう死んだあとだったようだ。

Dreamcast 中古ハンドルデバイスの調子は最高!

良い買い物したよね!?
PS2 は Sega がつぶれるか、
Dreamcast が発売中止になったあと、
買うかどうか考えよう。
うーん。たぶんかなり高い確率で「私は買わない」だろうとおもう。
「首都高バトル 2」と「東京バス案内」は、
買うだろう。
昨日ゲーセンで「クレタク」をやってる人をはじめてみた。
ものすごかった。私よりか軽く一桁点数が高かった。
もしかしてあのまま続けていたら二桁違ってたかもしれないが、
見てるひまがなかったので知らない。

論語の新しい読み方

宮崎市定著「論語の新しい読み方」を読む。なかなか奇抜でおもしろい内容だ。
いままでにも文庫で出てた「雍生帝」など読んだことあるが、もともと東洋史の人だが、おもしろい人だ。

「学びて時にこれを習う。またよろこばしからずや」
学んだことを、いざというときに使ってみて、さらに習熟していくんだよ。
なんて楽しいことだろう(うわー。なんか言っててすごい説教臭い)。

耕雲

モーニングをだらだら読んでたら「ぶっせん」に「耕雲」というのが出てきた。どうもこれは禅宗(曹洞宗)用語らしいな。「耕雲種月」というのは「(心の)雲を耕し(心の)月に種を蒔く」という意味らしい。私の祖父が昭和 45 年大晦日に「釣月耕雲慕古風」という書を書いたのだが、この「釣月耕雲」と「耕雲種月」は非常に良く似ている。「釣月耕雲慕古風」は中国人の漢詩にしてはあまりに浪漫的で妙に端正なので、私はおそらく日本人の、しかもかなり近世の漢詩だろうとみていたのだが、このたび確信を新たにしたね。

さて、ネットで検索すると武田耕雲斎というのがぼろぼろ出てくる。これは水戸浪士で天狗党という幕末に世間を騒がした連中の首領らしい。また、耕雲という号を使っていた人はほかにもいたようだ。また、耕雲寺という曹洞宗の寺もあるようだ。「釣月」に関しては、まったくみあたらない。「耕雲」というのは江戸後期にはかなり一般的な用語だったので、「釣月」で詩としてのひねりを加えたのだろうか。