亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

有栖川宮幸仁親王

01.25.2013 · Posted in 歴史

宮将軍擁立説 なるものを書いたのだが、 有栖川宮幸仁親王の母親は藤原共子であって明子王女ではない。 明子は家康の玄孫であるが、幸仁親王は明子の実子ではないのだから、幸仁親王は家康の血を引いてない。 なんかだまされた。

ではなんで幸仁親王を将軍にしようなんて話が出てきたのだろう。 おかしいなあ。

でも、明子には桂宮長仁親王があるので、彼ならば宮将軍になってもおかしくない。 だから宮将軍擁立説は実は幸仁親王ではなく長仁親王だったのではないか。

ダメだ。家綱が死んだ1680年には、長仁親王はすでに死んでいる。1675年死去。 実子も残してない。

藤原共子にはけっこう年子が多い。 これも怪しいと言えば怪しい。 実は幸仁親王は明子の実子だが、それを隠匿するため藤原共子の子としたのか。 うーんトリッキーだなあ。 結構無理がある。 それとも、wikipediaの記述が間違っていて、もともと幸仁親王は明子の実子だったが、 綱吉がその出生を捏造したとか。 うーむ。

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