自衛隊機の夜間飛行差し止め

[自衛隊機の夜間飛行差し止め 厚木基地の第4次騒音訴訟で初判断 横浜地裁](http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140521/trl14052114480002-n1.htm)

近隣住民の一人として言わせてもらえば、
まったくなんの意味もない判決だ。
22:00から6:00まで戦闘機は今現在ほとんど飛んでいない。
少なくともうちの近所では。
自衛隊機だけで米軍機を差し止めないのでは意味がない。

二重の意味で意味がない。

P3Cみたいな静かな飛行機は別に飛んでも良い、と思う。
偵察機や対潜哨戒機なんてのはもともと静かなんだよな。
プロペラの音はのんきだし、ジェットエンジンでもすごいしずか。
輸送機は図体はでかいがプロペラで割と静か。
新聞社のヘリコプターのほうがずっと迷惑。
ファントムもまあ許す。
しかし、最近になって飛び始めたスーパーホーネット。
あれはキチガイだ。
次から次にうるさい戦闘機が開発されて、
どんどん騒音がエスカレートしていくのであれば、
そりゃだまされたと思うわな。
今でさえ引っ越したいのにもっとうるさい戦闘機が配備されたらどうしようって思うわ。

だから、戦闘機は飛ばしてもいいから、
ある一定の騒音の基準をきめて、それを越えないでほしい。
スーパーホーネットF18とか論外。
どんくらいうるさいかというのはなかなか比較できないんだが、
福岡で箱崎天満宮の上をジャンボが低空飛行するくらい、と言えばよいか。
しかし、
スーパーホーネットはほんとに常識外れにうるさいので、
民間機のジャンボと同じかどうか私にはよくわからん。
というかうまく比較できない。
箱崎ではさすがにうるせーなとは思った。
だが福岡空港の便利さを考えると仕方ないのかなとも思う。
こんな日本でも最も人口密度の高いところに米軍の飛行基地があること自体間違っている。
もし、この騒音がなくなったら、どれほどたくさんの人のQoLが向上し、
不動産の資産価値が上がると思ってるのか。
頭おかしい。
も少し国土を有効利用してもらえないだろうか。
日本は狭いようで広いんだからさ。
どんどん地方過疎化して人が全然住んでないところが増えてるのになんでいまだにこんな都心の近くで戦闘機飛ばすかね?
ともかくまず、マスコミは、
町田上空あたりをスーパーホーネットが飛ぶときの取材でもしてくれよと言いたい。
わざわざ沖縄いくより近場で取材費節約になるだろ(笑)。
あのうるささは実際体験してみないとわからん。

しかし今の訴訟のやり方には失望する。
何の問題提起にもなってない気がする。
マスコミも頓珍漢なこと言ってるし。
勝訴とか敗訴とか控訴とかどうとでもなれって感じ。
気がめいる。

海賊王ロジェールその2

続編の話ではなくて昨日書いたことの続き。
いつものことながら書いているうちに歴史を調べ地理を調べしてどんどんプロットが変わる。

日本人がほんわかと思っている西洋とかキリスト教に関するイメージをたたき壊すようなそんな作品になってしまった。
そういう意味ではハイジのイメージをぶちこわしにするデーテとかフローニと同じたぐいの作品になった。
なんか怒られそうで今から怖い。

ワンピースみたいな海賊冒険ものを想像して読んだ人も、唖然とするだろうと思う。
たぶん私の中には日本アニメに反逆してやろうという気持ちがあるね。
書いていてそう気づく。

ただまあ、ほんとに西洋やキリスト教を知っている人には、
逆に支持してもらえると、信じてるよ?
高校生の頃からしばらく完全に小室直樹の影響下にあったからな。
やっぱこういうふうになるわな。
宮崎市定とかもだな。

だいたいアルメニア人とかクルド人とかグルジア人とかアゼルバイジャン人とか良くわからんのだよね。
そういう意味では安彦良和はあんなに昔によく「クルドの星」を書いたと思うよ。

ユダヤ教とアルメニア教会は良く似ていると思った。
メジャーな一神教はキリスト教やイスラム教のようになるが、
マイナーな一神教はユダヤ教やアルメニア教会のようになるんだなあと思う。
そしてメジャーなようにみえて一神教の内部も宗派によってこまかく対立しているのだ。
その理由は主に、宗教が結婚というものを規定しているからだ。
家庭が相続というものを規定する以上、
いやいや相続が家庭や結婚というものを規定する以上、
相続とは宗教の教義よって決まる。
ある相続が有効か無効かは、宗教が結婚を有効と認めたかどうかで決まる。
ヨーロッパで王の相続とは国そのものであるから、
教会が結婚や相続の正統性を決め、王はそれを不服として継承戦争を起こす。
対立教皇をたてる。
対立宗派を創設する。
教会と無関係に勝手に結婚して勝手に相続すりゃいいじゃないかと、
まあ日本人なら思うわな。
だんだんそのへんのからくりをうまく説明できるような気がしてきた。

海賊王ロジェール

今書いている海賊王ロジェールは、
割と計算尽くで書いたものである。

いくつもキンドルで本出しているとだいたい傾向はわかってくる。

私の書いたものの中では、日本史ものよりも世界史ものの方が読まれる。
エウメネスだけでなくエウドキアもわりと読まれている。
これらに比べると日本史ものは全然読まれてないと言っても良い。
洋物でも、フローニとかデーテはあまり読まれてない。

世界史、特にギリシャ関係の話は、受けるらしいのである。
といってめちゃくちゃ売れているわけではないが、
どうも私はしばらくの間はギリシャものだけ書いて、
こつこつ読者を獲得していればいいんじゃないか、とすら思う。

世界史は複雑だ。
情報量が圧倒的に多い。
できるだけたくさん集めておいて、
ストーリーに直接絡まない部分を大胆に捨てる。
教科書的、ウィキペディア的な記述にならないように。
かといってディテイルを落とさないように。
正直難しいが、その分やりがいがある。

今回かなり作って書いている。ある程度技を覚えたともいえる。
も少し若い頃から書き始めていればよかったとも思える。
「紫峰軒」や「スース」「超ヒモ理論」「安藤レイ」なんかはわりとさらっと書いている。
普通の現代小説(でも、あまり読まれてない?)。
我ながら同じ作家の作品ではないなこりゃと思う。
言っちゃ悪いが新人賞に応募してもほとんどなんの反応もない。
パブーに公開しても、読者が何考えてるかよくわからん。
しかしKDPだとかなりわかる。
書いているうちになんとなく読者や編集者の気持ちまでわかるような気がするのだ。
逆にいうとこう書けばきっと読者は喜ぶに違いないなんて書き方をするようになった。
悪いことじゃないと思う。
今までは自由すぎて逆に書きにくかったともいえる。
自由に書いてまったく反応が無いでは書きようがない。
ともかくKDPはありがたい。

KDPは自分で作家や作品を選べるのが良いと思う。
普通の読者は、書店で本を買うような読者は、実は本を自分で選んで読んでいるのではない。
本屋で平積みになってたからとか宣伝してたからとかドラマ化されたからとか映画化されたからとか、
そんなんだ。
だからソニーリーダーみたいなビジネスモデルが成立する。
選択の余地はほとんどない。
ただ流行の本、推してる本を読まされるだけだ。
KDPはそうではない。
そうじゃないことに気がつく人はこれからますます増えるだろう。
私もそういう人に読んでもらえれば十分だ。
というかそういう人をターゲットにするしか読者を獲得する方法が私にはない。

とりあえずこの複雑なストーリーをなんとか読者に最後まで飽きずに読ませることが必要だ。
複雑さ、おもしろさで言えば「将軍家の仲人」も捨てたもんじゃない。
だけど、新井白石や徳川家宣では地味すぎて読者はなかなかついてきてくれない。
十字軍ならなんとかなるんじゃないかという一縷の望みがある。
「十字軍物語」とは全然違う。
塩野七生の書いたものは、たしかにローマ人の物語の、
ハンニバル戦記あたりは面白いし参考になる。
しかしやはり教科書的であって小説っぽくない。
もう少し書きようがあったんじゃないかと思えてしかたない。
今は英語版Wikipedia他を検索すると、かなり膨大な情報が得られるから、
そう思うだけかもしれんが。

塩野七生が売れているのはおそらく需要の割に供給が少ないからだろう。
なんでか知らんが日本人はああいうのが好きなのだろう。
そして実際書けるひとは少ない。
高校のときちゃんと世界史勉強してないからだ(笑)。
三国志とか信長とか秀吉とか龍馬とかばかり読んでいて脳がやられてる。
だから私が書いてやろう。

読んだことはないが(汗)トルコ人のノーベル賞作家が書いた『わたしの名は紅』に近いんじゃないか。
とにかく書いてて調べてて話がもうどろっどろで気持ち悪くなった。
まじでどろっどろな話なので気をつけてください。
だけどこういう陰謀物でメンヘラな話だと最後まで読める人が多いような気がするんだよな。

これも旧作のリメイクなんだけど、
もとの話は世界広すぎて一度に書けないから短編にばらして書くことにした。
ある意味「エウドキア」の後に続く十字軍をすっ飛ばしてその後の話を書いた。
十字軍も書くかなあ。
手垢の付いたネタは好きじゃない。
「ベタを恐れない勇気」とか言われてそうかなあとは思うが、
そこまでまだ作家に徹し切れてない。
いや、それ以前に、十字軍の話はつまらんよ、
神殿の中は床にくるぶしまで血がたまったとか。ばかばかしい。
キリスト教徒、とくにカトリック信者によるバイアスがかかりすぎている。
それをクリスチャンでもムスリムでもない視点で直すのが面白いと言えば面白いかな。
続編書くかどうかは反応しだいだな。

ロジェールだが、
英語だと Roger (ロジャー)。
イタリア語だと Ruggero (ルッジェーロ)。
だが古ノルド語では Hrod-Ger
であって、ノルマン人がシチリアにやってきたときは、
ロッゲール、と呼んでいた可能性が高いだろうと思う。
dg が[gy](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E5%A3%B0%E5%BE%8C%E9%83%A8%E6%AD%AF%E8%8C%8E%E6%91%A9%E6%93%A6%E9%9F%B3)になまってロッジェール、あるいはロジェールと呼んでいた可能性もなくもない。
フランス語だとロジェ。
ドイツ語だとロギーア(ロギエール)。Rutgers とも綴るらしい。
実際に Roger と書いてロジェールと読む名があるのはスペイン語かポルトガル語くらいらしいが、
結局ロジェールとした。
ロジャーとはしたくない。
ちなみにラテン語だとロゲリウス。

Baldwin は現代フランス語読みではボードゥワン、
Gottfried はゴドフロワなどと呼ぶが、十字軍のころ、
こんなすかした呼び方をしたはずがない。
Bald-win はすばやい、容易な勝利、という意味のゲルマン語であるし、
Gott-fried は神の平和という、やはりゲルマン語である。
Baudouin、Godefroy じゃ意味がわからん。

ロジェールはおそらくパレルモからほとんど動かなかった。
シチリアからメッシーナ海峡を渡りナポリまでも行かなかったらしい。
だが、[アブドゥル・ラーマン](https://en.wikipedia.org/wiki/Christodulus)や[ゲオルグ](https://en.wikipedia.org/wiki/George_of_Antioch)などの個性豊かな海賊が部下にいた。
だから「海賊王」なのである。
続編を書くとしたらゲオルグあたりが実際の主人公になると思う。
ていうかしないといけない。

「ベタを恐れない勇気」って誰が言った言葉かと思ったら、
[直木賞作家の辻村深月](http://d.hatena.ne.jp/hiro010301/20130207/p1)が言ってたわー。
> ベタを恐れない勇気というか、そういうものを、たぶん一番上質なお手本としてドラえもんや藤子先生や他の作品から教えてもらったんだと思います

ベタを恐れるっていうか。
ベタなの書くのが嫌いなんだよね。読むのも嫌い。
自分以外の誰かが書いて読めばいいと思う。

て居り

喜田貞吉[サンカ者名義考](http://www.aozora.gr.jp/cards/001344/files/49822_44667.html)
を読んでいると、平安朝末期の散木奇歌集に

> うからめは うかれて宿も 定めぬか くぐつまはしは 廻り来て居り

という連歌があるという。
散木奇歌集とは何かというと、源俊頼の家集であるという。
どうみてもこれは連歌というよりは、一種の和歌だが、
私がびっくりしたのは「てをり」で、こんな現代短歌みたいな言い方が平安時代からあったのか。
慌てて検索してみるが、[和歌データベース](http://tois.nichibun.ac.jp/database/html2/waka/waka_kigo_search.html)にはこの一首のみらしい。
他にも変な歌がいくつかある。

> くひほそく いほししりして たちなほれ いなごまろびて みぞにおちるな

> たかうなと たかしはいはで もてまゐれ きしにおひたる たてきしたてて

> くろをとこ くろとのほとに おとすなり ひこのしろぬし ゆきたかかるい

源俊頼はごくまっとうな歌人である。
それが「傀儡回しは廻り来て居り」とか「イナゴまろびて溝に落ちるな」とか「もてまゐれ」などと歌に詠むだろうか。
信じられない。
これらは明らかに俗謡であろう。
俊頼が戯れに詠んだか。あるいは、民間の歌を収録したのか。
後拾遺集序に

> 又うるはしき花の集といひ、足引の山伏がしわざと名づけ、うゑ木のもとの集といひあつめて言の葉いやしく、姿だみたる物あり。これらの類は、誰がしわざともしらず。又歌のいでどころ詳ならず。たとへば山河の流を見て、水上ゆかしく、霧のうちの梢を望みて、いづれのうゑ木と知らざるが如し。

とあるが、民間の和歌を集めた歌集もあったと見えるが、
そういう歌が紛れ込んだ、或いは俊頼の歌集とごちゃまぜになったのではないか、とすら思える。

土佐日記に舟子舵取の歌とて

> 春の野にてぞねをばなく。わが薄にて手をきるきる、つんだる菜を、親やまほるらむ、姑やくふらむ。かへらや。よんべのうなゐもがな。ぜにこはむ。そらごとをして、おぎのりわざをして、ぜにももてこずおのれだにこず

とあり、
また梁塵秘抄のような俗謡(今様)もあるわけだが、
平安末期にはすでに「てをり」のような口語があって、
それが現代短歌にどういうルートをたどったか知らぬが復活したのかもしれぬ。
「ゐし」とか「たりし」などもそうだろうか。
おそろしいことである。

まいずれにしろ、
記録に残ってないだけで口語による俗謡のたぐいはずっとあったわけだ。
それが復権しただけかもしれんね。

> まことにや れむかをしては おともせぬ ひとはしもやとに すゑつけよかし

ははあ。
こんな歌もある。
「れむか」は連歌だわな。
『俊頼髄脳』にも連歌が採られているという。

> このみちに はうちやうたいふ ちやうしたり みれはみよしの すけるれうりも

意味はわからんが、かなり大胆に漢語を取り入れているようだ。
釈教歌以外で漢語が用いられることは珍しい。

してみると後拾遺集や金葉集の頃すでに連歌と呼ばれる(五七五・七七・五七五・七七・・・という形式の)俗謡が流行っていて、
俊頼はそれをある程度研究していた、ということだろうか。
そうするとどうも連歌というのは、少なくともその当初は、
上の句と下の句をつないでいく遊びというよりは、
むしろ、俗謡という意味に近かったのではなかろうか。

サンカ者名義考に戻ると、シサムというのはアイヌ語で和人のことだ。
サンカにシサムという語があったのだろうか。
なんとも言えぬ。
クグツとは単に人形のことだから、
クグツシサムは単に人形使いという意味ではなかろうか。
散木奇歌集には割と詳しい詞書がついているようだから、是非読んでみたい。
どうやったら読めるのだろう。
できれば活字で読みたい。

なみより出ででなみにこそ入れ

武蔵野の広漠とした風景をうまく表した歌

> むさしのは 月の入るべき 山もなし 草より出でて 草にこそ入れ

これは江戸時代の俗謡で元は、藤原通方という人の歌

> むさしのは 月の入るべき 峰もなし 尾花が末に かかる白雲

であるという。採られているのは続古今集。
しかし、土佐日記に出てくる歌

> 都にてやまのはに見し月なれどなみより出ででなみにこそ入れ

にも似ている。
合わせ技なのだろう。

藤原通方という人はよくわからんが、定家と同じ時代の人だったようだ。
通方の歌を指摘した人はいるようだが、
土佐日記に言及した人はいないように思う。

倒騎

面白いのでさらに調べてみた。
倒騎は反坐ともいう。
馬の曲乗りにはもっといろんな用語がある。
側騎とか。

李白は騾(ラバ)に倒騎し、
老子は青牛に倒騎し、
また張果という唐時代の仙人は毛驢(毛の長いロバ?)
に後ろ向きに乗ったという。
[果老倒騎白驢](http://www.backpackers.com.tw/forum/showthread.php?t=653225&page=2)
というのが当にそれである。

トルコでは
[ナスッレッディン・ホジャ](http://wasures1.sakura.ne.jp/turkey/turkey5.html)
という人がロバに逆さに乗っている。

馬術にも手離しで後ろ向きに乗馬する、という技があるようだ。

血圧

昨日おとといと非常に体調が悪かったのだが、
今日は案外普通だ。
別に動き回れないわけではない。
とにかく何かが変な具合で、ずっと寝ていたくなるのだ。

おとといは起きて立ちくらみがしたり、
ものを食べたあとなんか急にがくっと血圧がさがるような気がしたので、
いわゆる加齢による(あるいは処方されている心臓の薬の副作用による)低血圧かと思ったが、
測ってみるとぎゃくに高血圧であった。

どうも私は起きたばかりは高血圧になるらしく、
ずっと昔からそうだったらしい。
昼過ぎには正常になるから、あまり関係なさそうだ。

人は食事をすると血圧が下がるから自然に血管が収縮して血圧を上げるそうである。
寝ているときは低血圧なので、朝起きるときはやはり体が逆に血圧を上げようとするらしい。
寝ても立ち上がっても、運動しても風呂に入っても血圧は常に変動するから、
体が血圧を一定に保とうとする。
その機能がどうもおかしな感じである。

実は酒を飲んだ翌朝は気持ち悪いとか夕方になると酒が飲みたくなってしかたないと思っていたが、
単に朝体調が悪くて夕方回復しているだけなんじゃないか。
今までは酒を飲んだ翌朝だけそれが自覚されたのが、
最近は酒を飲まなくても顕著に現れるようになったのではないか。

体にガタがきているのは間違いない。
30代の頃は多少無茶しても体の調整機能でどうにかなっていただけだったのだ。

立ちくらみを感じ始めたのは薬を飲み始めたあとなので、
薬をやめれば血圧調整はまともになるかもしれん。
だがどの薬をやめてよいかはよくわからんし、
やめて心臓に負担がかかり心不全になって不整脈がでるようではどうしようもない。
たぶん瞬間的に心臓が頑張らなくちゃならないときにも、薬がそれを押さえているから、
がくっと膝が落ちそうになるんじゃなかろうか。
不整脈とは違うような気がする。
私の知る限り不整脈には前もって自覚症状はない。
来るな来るなと思ってくるのではない。
前触れなしにいきなりブラックアウトするだけだ。
ともかく朝の立ちくらみは我慢するしかない。

古典

以前にも書いたことがあるのだが、
ある人のブログを読んでいてふと書きたくなったのだが、
私が高校生まで影響を受けたのは、
祖父、内村鑑三、小室直樹、中島敦。大学生になってからは明治天皇御製。
これらの人々にはあまり関連性はないように思える。
しかしさらにそこからいろいろ勉強してみると、
私が好きなことの源泉は、どうやら頼山陽と本居宣長にたどり着くらしい、ということがわかった。
私は山陽や宣長の二次創作を見たり読んだりして彼らを「既に知っていた」らしいのだ。

戦前の人はほぼ間違いなく頼山陽や本居宣長の教育を受けている。
そういう人たちから私は間接的に江戸期の文人の影響を受けた。
戦後民主主義教育というものがその中心部分を隠蔽していたが、
私はその周辺に広がるコロナやオーラを観測して、
日教組や全共闘の大人たちが懸命に毒息を吐いて隠そうとしている本尊の存在を直観していたのだ。
プラトンのイデア論に似ているかもしれないが、
私にとってのイデアは実在していた。
古文や漢文で書かれているから直接子供には理解できないが大人になればそれほど難しくはない。

たどり着いてみればそこには私が求めるものが100%ピュアな形で存在していた。
今の子供たちも案外そうかもしれない。
いろんな二次創作や派生作品を見ているうちに、初代ガンダムとか、あるいは、
三国志演義や水滸伝にたどり着いたりするわけだ。

夏目漱石を読んだことがなくても、
漱石の文体は現代日本人の全員に影響を与えている。
そういう文章の中で育てばいつのまにかイデアとしての漱石が自分の中に蓄積されるだろう。
ある日漱石の原作を読んだときに、
忽然として悟るのだ、ああまさしくこれが私にとってのイデアであると。
それは自分自身であるから否定することはできないのだ。
漱石はイギリスの小話を江戸っ子の話し言葉に翻案してみせた。
それが現代日本語の核心になっていった。
イギリス人の皮肉とかユーモアが江戸っ子と相性が良かったのかもしれない。
江戸弁を標準語として国民教育していく過程で一番都合がよかったかもしれない。
尾崎紅葉や森鴎外ではちと不都合だし、
山東京伝や為永春水ではよけいだめだ。

古典はもともと素晴らしかったわけではない。
たくさんの人によって読まれることによって素晴らしくなったのである。
源氏物語ですらそうだと思う。
源氏物語によって古典ができ、規範ができたのだから、
その規範に照らして源氏物語が完璧なのは当たり前のことだ(多くの歴史的現象は逆に考えるとたいていうまく説明がつく)。
だから何人も源氏物語を否定することはできない。
むろん源氏物語も先行する(おそらく今は伝わらない)無数の物語を規範として書かれたわけだが。

東大五月祭

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2011年ころに「帝都春暦」という小説をどこかの新人賞に応募してそのままにしているのだが、
これは関東大震災直後の主に東大本郷キャンパスを描いたものだった。


> そんな四方山話を交えながら、僕は例によって、昼二時過ぎには中座して、遅い昼食をとりに学食に向かった。島村先生も宮内さんもお弁当持参なので、僕だけ学食を利用している。この学食もまた、校庭の空き地に建てられた、震災後のバラックだ。新しい学食は、今建設中の、安田講堂という建物の地階にできる予定だ。他にも続々と新築の校舎が建てられてる。

> 本郷キャンパスの校舎は地震による倒壊、またその後の出火でほとんど壊滅した。僕も地震の時は島村先生と一目散に三四郎池に、それから不忍池方面に避難した。翌日戻ってみると、本郷は完全な廃墟になっていた。それで東大は代々木の練兵場へ移転が計画されたりもしたのだが、結局本郷に残ることになった。

とか

> 順天堂病院前の電停から外堀線に乗って東京駅へ向かう。路面電車はまず、神田川に架かる鉄骨トラス造りのお茶の水橋を渡り、明治大学や日本大学などが建ち並び、ニコライ堂がそびえ立つ駿河台界隈を抜ける。ギリシャ正教建築の尖塔とドームが見事だったニコライ堂は、その煉瓦造りの尖塔が倒壊してドームを破壊してしまって、未だに修復中である。

> 震災復興事業として、ニコライ堂と湯島聖堂の間に新たに橋を架けて、上野から神田橋を通り丸の内まで大通りを通すことになった。帝都の大動脈となる予定である。この橋の名前は公募で「聖橋」と決まったのだが、それは儒教とギリシャ正教の聖堂が両岸にあるからなのだった。

とか

> 東大本郷キャンパスもやはり、化学薬品室から出火して、図書館を類焼してしまったのだよ。

などといろいろ調べて書いたのだが、
その図書館の玄関が今発掘工事されていて、非常に感慨深かった。
このままだとちとアレだがお蔵入りにするのももったいない気がするので、
そのうち使いまわすかもしれない。
大正時代というのは割合面白い素材なのでもっと書きたいのだが。
いろいろアイディアだけはあるのだが、
歴史小説はお膳立てが非常に大変で。
下手なことは書けないからなあ。

>「宮内さん、やはり、あなたは本を読むのが好きで、近視になってしまったのでしょうね。」

>「ええそうね。私、尋常小学校に上がるときの身体検査で、いきなりひっかかってしまったの。親は慌てて眼科に連れて行き、さっそく眼鏡をこしらえて、それからはずっと眼鏡っ子。「メガネザル」とみんなによく馬鹿にされたわ。みんなが外の明るいところで遊んでいるとき、暗い屋内で、かまわず本を読んでいたのがいけなかったのね。

> でも、私はずっと、師範学校の頃も本の虫でした。お茶の水に居たころも、東京大学図書館には七十六万冊の蔵書があるというので、学校に届け出して、本郷によく通ったものです。ところが本郷の図書館も、震災で一万冊を残して焼けてしまいました。明大・日大・中央大・専修大・お茶大・東大などの大学の学生街として発展してきた神保町の古書店街も全焼して、何百万冊という本が、文字通り灰燼に帰してしまいました。実にもったいないことでした。

> 今仮に設営されている大学図書館には、日本中の図書館から蔵書を分けてもらったり、新たに購入したりして、もう十万冊まで増えましたけど。なにしろ建物がバラックなので、もうこれ以上は入りません。

> ところが、今建造が予定されていて、三年後に完成する新図書館棟は、地下一階、地上三階、中央部は五階建て。鉄骨鉄筋コンクリート造り。世界三十カ国以上から図書の寄贈を受けて、一挙に五十五万冊にまで、蔵書が回復するんですって。さらに百万冊くらいは余裕で収蔵可能だそうですよ。なんだかわくわくしてくるわね。」

いやはや。
久しぶりに読むと懐かしい。

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銀杏並木も安田講堂と一緒に植えられ、整備されたものらしい。
この切り株は福武ホールというものを建てるため、並木の一部を伐採した残りのようであるが、
それから新芽が出ていて、
感慨深い。
これまた震災の記憶なのだ。

しかしこの夏至の季節が近づくと日差しが強くて写真を撮るのが楽しいよね。


道元 永平広録 巻十 偈頌

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最近このブログで山居がよく読まれているようだが、これは、tanaka0903と名乗る前から書いていたWeb日記に載せた記事で、2001年のものであるから、かなり古い。どんな人がどういう具合でこのページにたどり着くのだろうか。興味ぶかい。

最初に書いたのは釣月耕雲慕古風というものなのだが、1996年、このころからWebに日記を書いていたという人は、そうざらにはいないはずである。いわゆる日記猿人の時代だ。

あとで耕雲鉤月などを書いた。2001年と2011年。

それで久しぶりにじいさんの掛け軸を取り出して眺めてみたのだが、今見るとけっこう面白い。こうして写真に撮ってみると余計にわかりやすい。うまい字というより、面白い字だ。全体のバランスがなんか微妙。メリハリがあるというより、気負って勢い余ってる感じだよなあ。当時58才だったはずだ。装丁もかなり本格的でこれはけっこう金かかったはず。

「釣月耕雲」を画像検索するとけっこう出てくる。禅宗、というか茶道ではわりと有名な掛け軸の題材なのだろう。

でまあネットも日々便利になりつつあるので改めて検索してみるといろんなことがわかる。山居の詩は「永平広録」もしくは「永平道元和尚広録」の巻十に収録されている125首の偈頌のうちの一つだという。永平広録、読みたい。アマゾンでも売っているがかなり高い。たぶん曹洞宗系の仏教大学の図書館にでも行けば読めるのだろうが、なんともめんどくさい。

さて他にもいろいろ調べているうちに、「濟顛禪師自畫像 – 神子贊」というものがあるらしいことがわかった。済顛という禅僧の自画像につけた画賛。

遠看不是、近看不像、費盡許多功夫、畫出這般模樣。
兩隻帚眉、但能掃愁;
一張大口、只貪吃酒。
不怕冷、常作赤脚;
未曾老、漸漸白頭。
有色無心、有染無著。
睡眠不管江海波、渾身襤褸害風魔。
桃花柳葉無心恋、月白風清笑與歌。
有一日倒騎驢子歸天嶺、釣月耕雲自琢磨。

適当に訳してみると、

左右の眉は跳ね上がり、口は大きく、大酒飲み。
寒くてもいつも裸足。
年は取ってないのに白髪。
無頓着。
何事にも気にせず波の上に眠り、粗末な服を着て、風雨に身をさらしている。
桃の花や柳の葉は無心、月は白く風は清く、笑いは歌を与える。
後ろ向きにロバに乗り山に帰った日には、月を釣り、雲を耕し、自ら修行に励む。

「帚眉」だが、人相の用語らしく、いろんな眉の形の一つらしい。検索してみると、図があった。能面。まだまだ知らないことがたくさんあるんだなあと思う。たぶん箒のように開いた眉毛という意味だ。「兩隻」もわかりにくい言葉で、「隻眼」と言えば片目のこと。屏風に「右隻」「左隻」「両隻」などという言葉があるようだ。いずれにしても、人相や絵などを表現するための用語で、左右一対の両方、という意味だろう。「倒騎」。これも画像検索してみるとわかるが、後ろ向きに馬やロバに乗ることを言う。

さてこの済顛、済公あるいは道済とは、1148年に生まれ、1209年に死んだ伝説的な僧で、
日本で言えば一休のような瘋癲の破戒僧であったようだ。道元が南宋に渡ったのは1223年のことなので、済顛の詩句を、自分の詩に取り入れた、ということになる。確かに「釣月耕雲」だけ人から借りてきた禅問答風なにおいがする。後は読めばわかる平易な句だ。「釣月耕雲」と「慕古風」のアンバランスな組み合わせから奇妙な抒情が生まれている、と言えるか。そこが味なのか。

済顛は肉も食い、酒も飲んだので、「釣月」とはやはり月の光の下で釣りをすることを本来は意味したかもしれない。道元が魚釣りをして食べたかどうかまではわからん。臨済にしてもそうだが、禅僧にはおかしなやつがたくさんいる。道元ももしかするとその同輩であったかもしれんよ。

ははあ。菅茶山に「宿釣月楼」という詩がある。

湖樓月淨夜無蚊

忘却山行困暑氛

宿鷺不驚人對語

跳魚有響水生紋

湖のほとりの「釣月楼」は月が浄らかで夜の蚊もいない。
山登りで暑さに苦しんだのも忘れてしまう。
棲み着いたサギは人が話しても驚かず、
魚がはねる音が響き、水紋が生じる。

なかなか良い詩だな。「氛」がわかりにくいが「雰」とだいたい同じ。「蚊」や「紋」と韻を踏むためにわざと使われているのだろう。「雰」でも韻は踏める。平仄は完璧と言って良いのではないか。さすが菅茶山。