霞関集 大江戸和歌集

江戸時代に石野広道という人が編んだ「霞関集」という私撰集が新編国歌大観第六巻に載っていて、安政年間に蜂屋光世という人が編んだ、「霞関集」の続編的な「大江戸和歌集」という私撰集も載っている。江戸には京都から下ってきた堂上和歌の家元、つまり、冷泉、中院、武者小路、烏丸、日野などの公家が、徳川直参の幕臣に和歌を教えていた(実際に京都から公家が江戸に下ってきたのではなく、ほとんどの場合は書簡で教えを受けていただけかもしれない)。純粋に学術的に研究している人をのぞけば、この、江戸における堂上和歌に関心を持ちわざわざ調べてみようという物好きはほとんどいないようである。研究している人たちもそうした和歌に文芸的な面白みがあるとは思っていないだろう。

私はかつてもし幕末に孝明天皇が勅撰集を作ったらどんな歌集になるだろうかと考えて、「民葉和歌集」というものを試みに選ぼうとした。その頃、私には小沢蘆庵、香川景樹、上田秋成、賀茂真淵などの江戸時代の歌人はすでに見えていたのだが、近世歌人の全貌というものはまだ全然見えてはいなかった。徳川家継の生母月光院が冷泉為村に習って詠んだ歌などもわずかに知っていただけだった。

「大江戸和歌集」に採られた歌は当然「民葉和歌集」にも採られなくてはならない。今はほったらかしているが、もしこれから「民葉和歌集」を完成させるのであれば、当然それら堂上和歌も調べてみなくてはならない。また「霞関集」の編者石野広道やその同輩らの歌も、同じように調べてみなくてはならんと思った。これとは別に同時期に本居大平が編んだ「八十浦之玉」という私撰集があってこれも新編国歌大観第六巻に載っている。この「八十浦之玉」については調べなくともだいたいどんなものかは予想が付くのだが、やはりちゃんとこの機会にどんな歌が採られているか見てみる必要があると思った。

「霞関集」「大江戸和歌集」などの江戸堂上和歌は、賀茂真淵が始めた県居門の和歌、つまり万葉調の和歌とはひどく対立していたらしい。村田春海はもともと江戸堂上和歌派であり、「霞関集」の初版には歌を採られていたが、後に真淵の県居門下に入ったために、「霞関集」の新しい版からは歌を抹消されたという。「八十浦之玉」は宣長の息子が編んでいるから、真淵と同じ国学の一派ではあるが、真淵の万葉調とはまた全然違う。しかしながら村田春海と宣長は同じ真淵の弟子どうしで(表向きは)仲良しだったから、その人間関係はかなりこみ入っている。

ともかく「民葉和歌集」はそれら江戸時代の歌人らの歌を門派によらずみんな採録して、また、21代和歌集に続く、22番目の勅撰集という形でまとめたいので、それまでの勅撰集に漏れた古歌も合わせて採りたいと思っていて、ちゃんと作るのは相当な手間だ。ものすごい大仕事になる。江戸時代の和歌というものは全然知られてないだけでものすごく莫大なボリュームがあってそれを一通り調べるだけでも気の遠くなるような作業が必要で、ちゃんと研究している人はいるにはいるけどほとんど手が付けられていない状態だと思う。世の中の人たちはみんな小倉百人一首レベルの知識で止まっていて、或いは明治以降の新派和歌にしか興味がなくて、250年間続いた江戸時代の和歌を総括しようという人はいない(いや、いたのかもしれないが全然成果が出ていない)。江戸の幕臣たちが膨大な和歌を詠み遺していたなんて誰も知らない。

で、実際江戸時代の和歌には価値がない、調べる価値がそもそも無いのかというと、石野広道の歌をちらっと見た感じではけっこう面白い。たとえば、

かすかなる 田づらの庵の ともしびも 蛍やおのが 友とみるらむ

など。堂上和歌を模倣した以上の機知がある。師の冷泉為村なんかよりずっと面白いのではなかろうか(私は加藤千蔭や村田春海の歌はちっとも面白いとは思わないが石野広道の歌はかなり面白いと感じる)。現代の私たちが和歌を詠むのに役に立つヒントやアイディアがかなり含まれているように思われるのである。

江戸時代ってやっぱすげーなと思う。我らは江戸時代に対してテレビドラマの時代劇でみるうすっぺらいイメージしか持ってない。しかし水戸黄門にしろ、吉宗評判記にしろ、最初放送がスタートした頃はすごくきゅっと締まった硬派な番組だったんだが、しだいしだいにだらけてきて、ただの紋切り型のチャンバラになってしまった。そういうものばかりみているから江戸時代なんてちゃらいと思いがちである。

加藤千蔭とか村田春海とか、よくもまあこんなチャラい歌ばかり詠んだものだとあきれかえるのだが、今はほとんど忘れ去られた優れた歌人や歌が、或いは随筆や評論や研究が、長い長い江戸時代には実はみっちりとつまっていて、膨大な堆積物となって遺されている。それらは第二次世界大戦の敗戦という壁の向こうにあって、さらに明治維新というものが目隠しになっていて、今の私たちには容易に想像できないものになっていて、きちんと読む人もいない。

そういうものをどんどん掘り返す作業をしなきゃいけない。実にもったいない鉱脈である。そもそも雄略天皇以来1500年の和歌の歴史というものはものすごく分厚くて、そう簡単にわかるものじゃあない。図書館に行くと日本歌学大系という佐佐木信綱が主体となって編んだシリーズものがあるがこれとは別に歌学文庫 本居豊頴 監修 室松岩雄 編 法文館書店というものがあって、これは要するに宣長のひ孫が編集したものらしいのだが国会図書館デジタルコレクションで見れる。恐ろしい。また世の中には筑摩書房の宣長全集というものがあるが、これとは別に本居全集 吉川弘文館というものがあってこれがまたすごい。さらに荷田全集(荷田春満)というのがあるがこれまたすごい。国会図書館の送信サービスめちゃくちゃすごい。そういうのが明治以降戦前までに相当するまとめられていてこれらを読むだけでもあっという間に10年くらいはかかりそう。世の中のつまらん俗事に時間を取られている暇などないのである。

トランプとゼレンスキー

思うに、トランプとゼレンスキーはカメラに写っていないところでいくらでも話はできたはずだ。公開の場でああいう喧嘩をしたということは、あれはヨーロッパやロシアに対するゼスチャーであって、落とし所は別の所にある、と考えるのがふつうではないか。テレビはしょせんショーなのだ。台本があったとしてもおかしくない。もちろんやらせがばれないようにある程度ガチンコで討論もしたのだろうが。アレを見せられたアメリカ人やヨーロッパ人が、トランプはまたわけのわからんことを言っている、ゼレンスキーがんばれ、ウクライナかわいそう、と思わせればそれで良かったのだ。トランプは一生懸命道化師役を演じている。アホな独裁者役に徹している。茶番だ。

ゼレンスキーもトランプも考えていることは同じなのではないか。ロシアに喧嘩を売るのが早すぎた。もう少し待っていればプーチンは死ぬ。それが自然の摂理だ。ロシアにプーチンの後継者は育っていない。ロシアはもはや国家としての体をなしていない。ちょっとばかり天然資源があり、冷戦時代の遺産があるのみだ。

今ゼレンスキーがトランプの停戦協定を飲めばそれが既成事実となって、東ウクライナもクリミアもロシア領ということが確定してしまう。

一度始めてしまった戦争をチャラにはできない。ゼレンスキーはともかく今の状態をできるだけ長引かせてプーチンが死ぬのを待ちたい。トランプはもうこれ以上ウクライナに金を使いたくない。だからテレビの前で二人はガス抜きをして見せた。

それだけのように思える。

要するにおっちょこちょいなボリス・ジョンソンが痴呆のジョー・バイデンをそそのかしてゼレンスキーをおだてて戦争を始めてしまった、そのタイミングが悪い。

フランスがドイツに核配備するとかポーランドが核武装するとかキチガイ沙汰だ。ヨーロッパは頭に血がのぼってしまい、あとにひけないところまでおいつめられている。実に愚かだ。ゼレンスキー一人であんな戦争ができたわけはない。彼は単なる役者だよ。アイコンに過ぎぬ。第三次世界大戦に賭けようとしているのはヨーロッパで、トランプはゼレンスキーの肩ごしにヨーロッパに警告しているのだ。

日本政府は「ウクライナ戦争」のことを「ロシアによるウクライナ侵略」と呼んでいるらしいが(ヨーロッパなどの呼び方にならっているだけらしいが)非常に誤解を招く表現だと思う。ではもし韓国が実効支配している竹島を自衛隊が奪還しようとしたら、或いはもし自衛隊が北方領土に兵を派遣したらそれはどうか。韓国軍が、ロシア軍が駐留している地域から、はいあなたそこうちの土地だから出て行ってねといって何の見返りもなしに素直に出て行くわけがない。そこをごり押ししたらどうなるか。やってみれば良い。簡単なことだ、自衛隊が竹島に上陸しさえすればよい。なんなら尖閣諸島でも良い。日本はそんなことすらできないではないか。吉田寮ですらまだ明け渡されてないではないか。

吉田寮はどうやって解決するかって?全共闘世代の年寄りがみんな死ぬのを待つのが一番無難だよな。だけどそろそろ強制退去執行してもいいんじゃないの。手ぬるいよな(笑)。