応仁の乱

10年も続いた応仁の乱の徹底解説みたいなブログやユーチューブがけっこうあり、「応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱」という本がこれまでに50万部近く売れたともいう。なんでみんなそんなに応仁の乱に興味があるの。たぶん、室町時代の中で一番大きな事件が応仁の乱で、応仁の乱で事実上室町時代が終わって戦国時代になった、ここ絶対試験に出るから覚えとこうねくらいの、傾向と対策的にとてつもなく重要なアイテムだという考えなのだと思う。それって結局、室町時代に対する、もっといえば日本歴史に対する無関心の裏返しに過ぎなくて、できるだけ手間暇かけずに手っ取り早く室町時代のことを知ろう、そのためには応仁の乱理解しとけばいいよね、くらいの、バカノイッチョオボエ的考え方なのだ。このことをまずやめないことには応仁の乱もわからなければ室町時代もわからない。

鎌倉、室町、江戸幕府のうち室町幕府だけが京都に幕府があった。だから室町時代は京都が大事だと思いがちだがそんなことはない。室町時代だって関東を見なくてはわかるはずがない。むしろ京都なんて見てもみなくても大した違いはない。

応仁の乱なんていくら勉強したって日本史がわかるはずがない。むしろ逆にまったく応仁の乱を知らないほうが日本史はわかるだろう。応仁の乱の武者絵とか錦絵ってほとんど無いだろ?昔の人にはどうでもよかったんだよ応仁の乱なんてさ。

京都ではたまたま10年間応仁の乱が続いたかもしれないが関東では最初から最後まで200年以上ずーっと戦争していたのだ。たまたま応仁の乱の10年間くらい、関東には小康状態があった。関東の大乱がやっと関西まで及んできたのが応仁の乱なのだ。応仁の乱を知るには関東管領と鎌倉公方の対立を知らぬわけにはいかないではないか。関東と関西を切り離して関西の応仁の乱だけ見ることにどんな価値があるというのか。

さらに言えば、応仁の乱は何がなんだかさっぱりわからないが、関東の戦乱はものすごくわかりやすい。何が問題か一目瞭然。そもそも足利氏は北関東の出だ。さらに太田道灌が出て、北条早雲が出て、上杉謙信が出た。ところが東京びいきの東京人でさえもが室町時代の関東をなんにも知らない。困ったことに。昔関東は利根川を挟んで西と東に分かれて戦っていたんですって言っても、何それ歴史創作?面白そうって言うくらいで誰一人知らない。

私がまだ子供のころNHKで南総里見八犬伝の人形劇をやっていた。南総里見八犬伝は室町時代の関東を舞台にしたものだが、今からみるとめちゃめちゃ面白くてわかりやすい。そうかー、東関東人(千葉とか茨城とか)って西関東(武蔵、相模)とか関東管領上杉氏をそんなに嫌ってたのかー、ってのがヤバすぎるくらいしつこく描かれている。だが人形劇はというと、歴史はそっちのけで「我こそはたまづさがおんりょー」ばかりやってて意味不明。あんな良い教材があるのにあれをネタにどうしてもっと歴史教育しないのかとはがゆい。相馬の古内裏にしても、江戸時代の人はみんな知ってたんだろうけど、今の人はでかい骸骨が描かれた浮世絵くらいの認識しかない。実にもったいない。

足利尊氏だって本当は関東に幕府を開きたかったに違いない。そのくらい日本全体の統治とか治安維持という意味で関東は重い。逆に京都は、鎌倉時代みたいに六波羅探題をおいたり、江戸時代みたいに京都守護かなんかおいて、紀州と尾張徳川氏と、彦根井伊家あたりにみはらせておけば十分なのだ。

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