楚辞の屈原の詩を読むと、「朕皇考」という単語が出てきてこれが死んだ自分の父親を意味するという。
また「皇」一字でも死んだ父を表すようだ。
「朕」がかつて一般的な一人称だったのはまあよいとして、「皇考」がなぜ死んだ父となるのか。

角川新字源によれば「皇」は燭台の上で火が輝くさまを表すそうで、要するに輝かしい(煌かしい、煌は皇と同根)、
というのが原義であるらしい。
「考」はもともと長寿の老人という意味であると言う。
また礼記に「父を皇考と曰う」とか「曾祖の廟を皇考廟と曰う」などという記述があるという。
つまり「皇考」とは立派な長老とか祖先のことをもとは言っていたらしい。

また「皇辟」は礼記によれば死んだ夫の敬称であるという。

「皇祖」「皇宗」なども一般人が自分の祖先のことを言っていたのだけど、
後世に皇族だけが用いるようになった、ということではなかろうか。

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