新井白石の日記を、全集ではなく、白石日記上下巻というもので読んだのだが、
あっけないほど短い。
折り焚く柴の記の半分もないように思う。
芝の白銀、つまり今の港区白金のことだと思うが、ここに綱豊から屋敷を拝領したという記述がある。非常に興味深いが、今までそんな記述は見たことない。
綱豊というのだから、まだ甲府藩邸勤務の頃だ。下屋敷か何かだろうか。
それとも本宅か。しかし、当時の白金はずいぶん田舎なはず。
改行が多く、難解ではないが、なんというかだらだらしてておもしろみはない。
一度じっくり読んでみる必要はあると思うが。
読み物として見れば断然折り焚くの方がおもしろい。
ふと見ると、夢で見たという「倭句」なるものが二箇所ほどみつかる。
寛永二年五月十四日
笛吹く宿へほにはろいいろは哉
正徳二年二月三日
春くれば垣ほの梅のほころびて
我が前に立つ人ぞ嬉しき
慰めに天といふ人まれなるべし
道にして心を道に任すれば
すでに天知る心なりけり
必ず後に至らざりけり
花橘の香には匂へる
ただただ道に任すべきなり
これは、何のつもりなのだろうか。
神のお告げのたぐいか。
和歌はある程度わかるようではあるが、
和歌を嗜むとか訓練を積んだというようにはみえない。
和歌のように見える箇所もあるが、単語や内容も陳腐だし、
素人同然と言ってよいと思う。
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